1990年、サッカーワールドカップ、イタリア大会
あのとき、私は、サッカーに全く興味が無かった。
たまたま、その放送を見ていた。
その放送とは、1990年のワールドカップ・イタリア大会のことだ。
Jリーグができる3年も前の出来事だ。
このときの日本は、サッカーなんて、まだマイナースポーツだった。
今で例えると、どうだろう?私の感覚では、ハンドボールと同じくらいの知名度と人気度だったような気がする。
私は、学生だった。
学校のクラスメイトで、この世界大会のことを知っている人間は、ほとんどいなかった。
もちろん、教職員もだ。
現在、それが開催中であるという事も、当然、知らない。
女子は全滅で、男子でもサッカー部の連中を含めて、ようやく7~8人居た程度だ。
私の記憶では、地上波放送は、深夜にNHKで数試合流れたくらい。
しかも、その試合すら、ほとんどの国民が見ていない状態だった。
正直、今じゃ考えられないような時代だった。
あれから何十年が経って、今では、国民総動員で夢中になっている大会なのだから信じられない。
正直、これほどまでに時代の流れを感じるスポーツは無い。
イタリア大会を知っている人間からすると、今のこの盛り上がりは驚愕でしかない。
私だって、顔と名前が一致したのはマラドーナただ1人だった。
バスケ部だった私は、サッカー部の連中に熱くワールドカップを語られて、いろいろと知識を吹き込まれ、それなりに興味を持った程度……。
当然「さあ、どこが優勝するか賭けをしよう」となる。
学生時代の男の集まりなんて、所詮、そんなもんだ。
ただ私は、親しい友人がいたわけでもなく、部員との人間関係が良かったわけでもないので、仕方なくその輪の中に居たという感じだった。
私は、ユーゴスラビア代表に賭けた。
正直、理解して賭けたわけじゃないけど、ただ、なんとなく……。
ユーゴスラビア代表が勝ち上がったのもあって、のめり込んだ。
PKでマラドーナのアルゼンチンに破れ、準決勝には進めなかった。
まさか、あのあと日本にプロリーグができて、あのストイコビッチが日本でプレーすることになるなんて……、しかも、やってきたのは地元の名古屋グランパス……、来日したときは本当に驚いた。
まぁ、発足当時は、名古屋はリネカー一色だったけどね。
なぜか、あのイタリア大会に出場していた多くの外国人プレーヤーが、ごっそりと日本にやって来たので、正直、驚きでしかなかったけど……。
もし、民族紛争が起きず、あのユーゴスラビア代表チームが4年後に存在していたらどうなっていたか?は、私じゃなくてもよく考えることだ。
サッカーのことを誰も知らない時代から、突然、誰もが知っていて、それが当たり前の時代になった。
4年後のアメリカ大会から、急に、そうなったので、正直、今でも奇妙な感覚が続いている。
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