258 斎藤さんの復隊

 油小路での一件から数日が過ぎた、十一月の下旬。

 隊務を終えて部屋へ戻るも、朝から出掛けている土方さんは昼を過ぎた今もまだ戻っていなかった。

 だから……というわけではないけれど、まだ明るい外を何もせずただぼんやりと眺めていたら、鉄之助くんがやって来た。


「春先生、これからお茶菓子を買いに行くのですが、良ろしければ一緒に行って選んでもらえませんか?」

「……私?」

「はい」


 本音を言えばこのまま動きたくないけれど、鉄之助くんからのお願いなんて珍し過ぎて断ることが出来きなかった。

 さっそく屯所を出て並んで歩けば、鉄之助くんが訊いてくる。


「好きな物を買っていいと、副長からお金を預かっています。だから、遠慮なく仰ってください」

「土方さんから?」

「はい。あっ、でも、連れ出したのは俺の独断です。すみません……」


 相変わらず、土方さんは何でもお見通しらしい。一人きりの部屋でふさぎ込んでいると思ったのだろう。

 それに、これは鉄之助くんにまで気を遣わせちゃったかな……。悲しい出来事を忘れることは出来ないし、忘れちゃいけないことだってあるけれど、いつまでも引きずるのとはまた違うだろうから、ちゃんと前を向かないといけないよね。

 だから、パチンと音が鳴るほど両手で頬を叩いた。


「は、春先生!?」

「く~ッ。痛い……」

「当たり前です! 何してるんですか!」

「う~ん。気合の入れ直し……?」

「……」


 何だかスベッた気がしなくもないから、驚きと若干の呆れを含んだまん丸の目に向かって微笑み、私よりもほんの少し高い頭を撫で回した。


「鉄之助くん、ありがとね!」

「ちょ! 止めてくださいってば!」


 逃げる鉄之助くんを追いかけるようにして甘味屋へ向かえば、途中、突然後ろから声をかけられ肩まで叩かれた。


「お二人は鬼ごっこですか?」

「ひぃ! ……って、山崎さん!?」

「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが……」


 さすがは新選組が誇る優秀な監察方。気配を全く感じさせないとは!

 ……なんて、山崎さんが本気で申し訳なさそうに謝るから、慌てて私も頭を下げた。


「こ、こちらこそ大げさにすみません。鉄之助くんを追いかけるのに夢中で……全然周りが見えていませんでした……」

「いえ、何となくそんな気はしていたので、私がそこまで考慮すべきでした」


 ……いやいやいや、それはさすがに過保護すぎだから。

 そんな相変わらずな山崎さんが、優しく微笑んだ。


「少し時間があるので、鬼ごっこを中断させてしまったお詫びにお二人に甘味をご馳走しますね」


 そこまでしてもらうのは気が引ける……と思うも、私の意思とは正反対にお腹が鳴り、なんと鉄之助くんのお腹まで共鳴した。

 うん。私たちついさっきまでいい運動してたしねっ!

 お互い気恥ずかしさで顔を見合わせるも、山崎さんに背中を押され、気づけば近くの甘味屋の縁台に座らされていた……。




 私も鉄之助くんも、運ばれてきた温かいお汁粉をありがたく受け取った。猫舌のせいでなかなかすぐには食べられないけれど、こうしてお椀を持っているだけでも温まる。

 そんな私を見かねた山崎さんが、冷めるまでの間食べられるようにと、あろうことか大福にお団子まで追加注文した。


「山崎さん……ちょっと頼みすぎでは?」

「春さんならこれくらい食べられるでしょう。ほら、鉄之助くんもどうぞ」


 そう言って、よっぽどお腹が空いていたのかちょうど空になったお椀を置いた鉄之助くんに、大福とお団子を握らせた。

 次いで私にも差し出してくるけれど、温かいお椀を手から離すのは忍びなくて、片手で大福だけを取りさっそくかぶりつく。


「あっ、美味ひい……」

「先日出たばかりの新作らしいですよ」

ほうなんでうね~そうなんですね~

「こっちのみたらしも美味しいんですよ」


 そう言ってお団子も差し出してくれるけれど、あいにく私の両手は今お椀と大福でふさがっている。

 大福が終わったら、と普通は思うでしょう?

 だけどそうは問屋が卸さない。……いや、過保護な山崎さんが許さない!

 冬の寒空にも負けない眩しい笑みを浮かべながら、私の口元へとお団子を差し出している!

 や、山崎さーん!


「春さん、遠慮せずどうぞ」


 う、うん。これだけご馳走してもらっているので、今さら遠慮とかそういうのはないのだけれど……。


「あっ、早くしないとみたらしが……」


 確かにとろっとろのみたらしが今にも垂れちゃいそう!

 しかも、私の着物が汚れないよう山崎さんが手をお皿代わりにして受け止めようとしている!


「春さん、早く」


 過保護を拗らせた山崎さんがこうなってしまったら、簡単に引いてくれないことは嫌というほど知っている。

 あげく、みたらしの垂れ具合に合わせて鉄之助くんまで悲しげな声をあげだした……。


 ええい、ままよ!


 みたらしが垂れるその間際、豪快に食らいつけば双方からほっと安堵のため息が聞こえた。

 私は一体何をさせられているのか……。

 けれど……。


「あっ、美味ひい……」


 でしょう? と言わんばかりの打算のない笑顔が眩しい。

 とはいえ本当に美味しいのは事実……残りのお団子も大福も、もちろんお汁粉も余すことなくいただいた。




 任務中だという山崎さんと別れると、お腹が満たされたのか、甘いものはもういい……と言いたげな鉄之助くんを連れてお茶菓子の調達に向かう。


「何となく気づいてはいましたが、春先生は本当に甘いものが好きなんですね」

「だって美味しいでしょ?」

「ええ……まぁ……。限度ってもんはあると思いますが……」


 あれ? じとっとした目で見つめられているのは気のせいかな?

 来たばかりの鉄之助くんてもっとこう、主張を押し殺して波風立てないような、そんな子じゃなかったっけ……?

 ま、まぁ、それだけ鉄之助くんらしくなった、心を開いてくれたってことだよね!

 というわけで、鉄之助くんの背中をばーんと叩いた。


「よし、土方さんの奢りだし、うーんと美味しいもの買いに行くよー!」


 えぇ……なんて声が聞こえた気がするけれど気にしなーい!




 無事に? 普段より高級なお茶菓子を調達して屯所へ帰ってくると、雑務に戻るという鉄之助くんを見送りゆっくり歩いていれば、庭に一人佇む斎藤さんの後ろ姿を見つけた。

 思わず声をかけてみるも気づいてもらえず、今度は少し近づいて声をかけてみた。

 けれど、またしても振り向いてはもらえず、気づけば距離は縮まりすぐ後ろまで来たというのに、驚くほど全く反応がなかった。

 まさかの人違い? と少し不安に思いながら、恐る恐る前に回って覗き込む。


「……斎藤さん?」


 屯所の方をじっと見つめているその顔は、やっぱり斎藤さんだった。

 けれども私には一切目もくれず、屯所を見渡しながら口を開いた。


「立派だな」

「屯所ですか?」

「ああ。よその家を間借りさせてもたっていた頃とは大違いだと思ってな」

「あー……確かに」


 壬生浪士組から始まって、あの頃は八木邸や前川邸の一部に屯所を構えていたっけ。

 その後に引っ越した西本願寺も広かったけれど、言ってしまえばあそこも間借り……というか押し掛け状態だったしね。建った経緯は何であれ、ここは新選組しかいない。

 そう考えると、確かに随分変わったかもしれない。

 でも、変わったのは屯所だけじゃない……。情勢もそうだけれど、新選組の顔ぶれも随分と変わってしまったから……。


 そういえば、ここへ引っ越して来たのは斎藤さんが衛士へ行っている間だ。

 いつかみたいに、今度は私が案内してあげるべく、いまだ少し遠くを見つめるような目で屯所を見ているその横顔に声をかけた。


「斎藤さん」

「……」


 ……って、何だかさっきから無視されているような?


「……斎藤さん?」

「そうやってお前にその名で呼ばれると、不思議と帰って来たという実感がわくと思ってな」

「……へ? ……あっ! そうでした。えっと……山口二郎やまぐち じろうさん、でしたっけ……」

「……ああ」


 返事とともに、ようやくちゃんと目もあった。

 けれど、その顔はほんの少し寂しげに見えた。


 実は御陵衛士を抜けて新選組へ戻る際、斎藤さんは名前を山口二郎に変えている。まぁ、抜けるといっても工作のためにお金まで盗っているし、衛士からしてみれば、見つければただじゃおかない! と思っているかもしれないしね……。

 ……ただその衛士も、この間の油小路での一件で伊東さんをはじめ、藤堂さんらまで亡くなってしまい、事実上壊滅してしまったばかりだけれど……。

 もしかして、さっきあれだけ呼んでも振り向いてくれなかったのは、新しい名前で呼ばなかったからだろうか。


 斎藤さん……もとい山口さんはこうして正式に新選組へ戻って来たけれど、本来、新選組と衛士の間では隊士の行き来を禁ずるという取り決めがあった。

 だからなのか、「副長助勤斎藤一氏、公用をもって旅行中のところ、本日帰隊、従前通り勤務のこと」という掲示がされての復隊となった。


 間者なんて下手をすれば命を失いかねない危険な任務なのに、“公用をもって旅行中”という扱いは正直どうかと思うけれど、新選組の中でも間者であったことは公表していないから、仕方ないといえば仕方がない……。

 けれど、ごく一部隊士の間から、御陵衛士について行ったはずなのになぜ? という雰囲気がひしひしと伝わってきたりもする。もちろん、あまり良くない意味で……。

 だから思わず前のめりで口にしていた。


「斎藤さ……あっ、山口さんの頑張りはちゃんと知っていますからね! 誰が何と言おうと、私は味方ですからね!」

「……俺は命令に従ったに過ぎない。だから今回とて、他人にどう思われようと気にしない」

「……はい」


 言葉だけを聞けば、それは凄く斎藤さんらしいと思った。

 けれど、ほんの少し感じた違和感を証明するかのように、斎藤さんは私の頬に片手を添えながら、だが……と続きを口にした。


「今、お前に言われて気がついた」

「……な、何をですか?」

「お前が真実を知ってくれているからこそ、そう思えるのだと。だから今まで通り斎藤で構わん。これから先も、お前はそのままでいればいい」

「……いいんですか?」

「ああ。むしろ、お前だけは変わらずそのままでいてくれ」

「……はい」


 ……と返事をしたものの、本当にいいのかな。

 でも、呼び慣れたものを変えるって意外難しいのもあるけれど……何より、“変わらずそのまま”という言葉には、斎藤さんなりの色々な想いが含まれている気がするから……。

 それに、どんな時もみんな自分らしく生きているように、たとえここは私のいるべき場所じゃないとしても、私も私らしくありたいとそう思うから。

 そう願う人がいるのなら、なおさらだ。


 ……ところで、この手はいつまでそこにあるのだろう……?

 冬の外気も手伝っているせいか、いつも以上にひんやりと冷たいその手は恥ずかしさなんて余裕で上書きしてしまうほどだけれど……至近距離でじっと見つめられたままのこの状態というのは……よくよく考えるとやっぱり恥ずかしいからねっ!?


「さ、斎藤さん!?」

「……何だ?」

「なんだじゃなくて!」


 僅かに上がった口角は、絶対にわかっててやっている!

 案の定……というか珍しく斎藤さんは盛大に吹き出した。


「斎藤さん?」

「……いや。お前らしいと思ってな」

「どういう意味ですかっ!」


 さぁな、と何もなかったようにさっさと屯所へ向かって歩き出す背中は、くくっと喉を鳴らしながら揺れる肩を隠そうともしていない。

 特に面白いことをした覚えも言った覚えもないのになぜ……。


「斎藤さん!」


 続けて文句を言いそうになるも、斎藤さんが振り向いた。


「暇なら、今度はお前が屯所を案内してくれるか」

「へ? あ……はいっ!」


 うまく話をすり替えられた気がしないでもないけれど!


 まだ壬生にいた頃、来たばかりの私に屯所を案内してくれたのは斎藤さんだった。

 だから、懐かしくも今は少し遠く感じるあの頃を思い出しながら、斎藤さんにとってはまだ新しい屯所を案内するのだった。

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