239 新しい命
六月二十三日。
今月の上旬に内示があったけれど、改めてこの日、新選組総員を幕臣に取り立てるという正式な通達があった。
文机の前で、それらが記されているという書状を広げていた土方さんが振り向くけれど、その表情は予想していたものと少し違っていて思わず訊いてしまった。
「嬉しくないんですか?」
「いや、そりゃ嬉しいさ。ただな……そう思う奴ばっかりじゃねぇんだと思ってな……」
「あっ……」
そうだった。幕臣に取り立てられることが決定した時も、受け入れられないからと脱走、自刃までしてしまった人たちがいた。
今回の正式な通達はまだ隊内に公表はしていないから、前回と違って少しためらっているのかもしれない。
けれど……。
「遅かれ早かれ、どのみち正式な通達が来たことは伝えるんですよね?」
「そりゃな」
「だったら大丈夫ですよ。もちろん、不満を抱いている人たちはまだいるかもしれませんが、内示のあともここに残った人たちは、たぶん大丈夫だと思います」
陰で文句の一つや二つくらいは出るかもしれないけれど、命を絶ったりとかは……しないと思う。
「それもそうだな。ありがとな」
そう言って苦笑する土方さんが、そういや、と書状を畳みだした。
「武田を覚えてるか?」
「武田? 去年脱走した武田
「ああ。昨日な、銭取橋で死んだらしい」
「え……」
去年の十月頃、その性格や態度が祟って居づらくなってしまったのか、突然脱走してしまった。
新選組の軍備にも精通していた人だから、当然のごとく念入りに捜索も行われたけれど、結局見つからずじまいだった。
もう京にはいないものだとばかり思っていたけれど、どうやら最近になってその姿が確認され、何と御陵衛士へ加えて欲しいと、伊東さんのもとを訪ねてきたらしい。
そして断られ、あろうことか薩摩藩邸へ入る姿が目撃されたのだと。
ただでさえ新選組に追われている身だというのに、この時期に薩摩にすり寄る理由……。
もともと勤王よりの思想だったらしいので、純粋に自身の思想を貫くためとも考えられるけれど……新選組や衛士、果ては会津の内部情報を売って、見返りに匿ってもらおうとしたと取られても仕方がない。
何にせよ、新選組隊士により粛清……銭取橋で斬殺されたらしい。
一時は逃げ延びたのだから、そのまま故郷で身をひそめるとかしていればよかったのに……。
でもきっと、そうはしていられなかったのだと思う。だから仕方がないなんて言わないけれど、この時代は、命を投げうってでも自身の想いを貫こうとする、そういう強い想いを抱えた人が本当にたくさんいる。
七月に入ってすぐのこと。
二条城と東寺にそれぞれ駐屯していた幕府歩兵隊の数名が、夜の島原にて衝突、二条城側の歩兵に二名の死傷者が出たらしい。
その翌日、二条城側に駐屯していた数百名の歩兵が東寺に押しかけ、発砲するという事件にまで発展した。
そしてこの仲裁に駆り出されたのが、何と新選組だった。総員で出動して説得にあたり、局長の近藤勇預かりとすることでその場を収めたのだった。
そんな東寺からの帰り、前を歩く土方さんと沖田さんに向かって声をかけた。
「思ったより早く終わってよかったですね」
「僕としては、物足りないですけどね~」
「俺らまでやり合ってどうする。収集つかなくなるだろうが」
確かに、あの人数で戦闘なんか始めたら、ちょっとした戦レベルになってしまいそうだ。
それどころか、事を大きくしたとかあることないこと尾ひれまでつけて、新選組の評判がどんどん悪くなってしまう気がする。
そんなことにはならなくてよかった、と改めてほっと胸を撫でおろせば、沖田さんがおかしそうに言った。
「仲裁される側じゃなくてする側になったなんて、僕たちも立派になったもんですね~」
土方さんは鼻で笑って軽く流すけれど、箔とか信用とか……幕臣になるとはそういうことなのかもしれない。
その翌日。
おまさちゃんと茂くんと久しぶりに遊ぶ約束をしたので、午前中の隊務を終えると総菜屋などのお店に寄ってから今日の遊び場でもある川原へと向かった。
二人はすでに浅瀬でぴちゃぴちゃと遊んでいて、私に気づくなり揃って笑顔で迎えてくれた。
「ごめんね、お待たせ!」
「気にしいひんで。先にきて茂を遊ばしとっただけやで。それより、ほんまにお昼ご馳走になってもええの?」
「もちろん。この間の浴衣のお礼だとでも思って」
茂くんが側へ寄ってきたのでその場にしゃがみ込めば、笑顔で私にしがみつくなり懸命に片手を風呂敷包みへと伸ばす。
「まんまー」
「ふふ。いっぱい遊んでお腹すいちゃった?」
小さな頭を軽く撫でれば、茂くんに負けじと私のお腹が鳴った。
幼子と張り合う私のお腹って……。
「よし、いっぱい食べようねー!」
さっそく稲荷寿司や煮物など、途中で調達してきたお惣菜を風呂敷の上に広げてお昼ご飯にした。
ご飯を終えると、すやすやと穏やかな寝息が聞こえ始めた。
茂くんを見れば、遊び疲れて満腹になって、そのまま眠ってしまったらしい。
生まれたのは確か去年の五月だから、数えで二才といえど実際はまだ一才と少し。お昼寝だって大事な仕事のうちだもんね。
おまさちゃんはそんな茂くんの背中をとんとんと叩きながら、もう一方の手で自身のお腹を撫でた。
「実はな……またできたみたいなんや」
「ん? ……えっ、あっ、赤ちゃん? おめでとう!」
言われてみれば、帯は普段より気持ち高い位置でしめているし、お腹周りも少しふっくらとしている。
「ごめんね、全然気づかなかった」
「今回はつわりもほとんどあらへんし、お腹もまだ目立ってへんさかい、気づきにくい思うで。せやけど、最近は世間も何かとやかましいさかい、今度も無事に生まれてきてくれるとええんやけど」
「大丈夫だよ。原田さんがいるんだもん、大丈夫!」
「そうやな」
少し照れながらも、おまさちゃんの顔には満面の笑みが広がった。
私よりも二つ下で数えでまだ二十歳。結婚もして母というだけでも凄いのに、二児の母かぁ……。
今年二十二才になったというのに、私にはいまだ浮いた話の一つもない……って、私の時代からしたら結婚している人の方が圧倒的に少ない年齢だし!
危ない危ない、変に落ち込むところだった……なんて思ったら、おまさちゃんがくすくすと笑いだした。
「ど、どうかした?」
「ううん、かんにんな。お春ちゃん見とったら、表情がくるくる変わっておかしかったさかい」
それ、土方さんにも時々言われるけれど、そんなに顔に出ているのだろうか……。
「ほら、またや」
「ええ……」
どうやらツボに入ってしまったらしく、おまさちゃんの笑いが止まらない。そんなおまさちゃんにつられて一緒に笑い合えば、その後も他愛もない話で盛り上がるのだった。
茂くんがお昼寝から目覚めると、おまさちゃんに代わって浅瀬で水遊びをしたり、おやつ用に買ってきた甘味を食べたりした。
そうして午後の時間をめいっぱい遊んでいたら、茂くんが再びうとうとし始めた頃。今日一日の隊務を終えた原田さんが、二人を迎えに来た。
「春、ありがとうな」
「ほんまに今日はおおきに。茂もえらい喜んどった」
「こちらこそ!」
すっかり夕焼けに染まった空の下、原田さんとおまさちゃん、そして、原田さんに抱えられた途端眠ってしまった茂くんに別れを告げて、私も屯所への帰路につく。
少し遠回りになるけれど、夕涼みがてら川沿いを歩いていたら、前から歩いて来た人が、私と少し距離を取った正面で不自然に足を止めたので、思わずその顔を見た。
「……あっ。土佐訛りの薩摩藩士さん?」
「お? おう。久しぶりじゃのう。覚えちょってくれて嬉しいぜよ」
そう言って、少し癖のある髪ごと後頭部を片手で掻きながら側へやって来ると、何か思い出したのか、急に真面目な顔つきで私を真っ直ぐに見下ろした。
「高杉さんことは、もう聞いたがか?」
「……高杉?」
「
今度は打って変わって懐かしむような笑顔を見せた。
「バカす……高杉さんのこと知ってるんですか?」
「おう。バカ杉でええ思う。おんしにそう呼ばれるが喜んじょったき」
「……本当に、おかしな人ですね」
「わしもそう思うぜよ」
目の前の人は、懐かしさと切なさが同時に込み上げたような表情をしているけれど、それはたぶん私も同じだった。
「ちっくと一緒に歩いてもええか?」
「どうぞ」
バカ杉さんの知り合いだったというその人は、来た道を戻りながらバカ杉さんとの思い出話をし始めた。
伝え聞くその姿は、私が知っているバカ杉さんと同じだった。
そして、今日私を見かけたのは偶然で、四月にバカ杉さんが亡くなったことを伝えようと声をかけたのだとも。
山崎さんが教えてくれた通り、やっぱり労咳で亡くなったらしい。
「まだ二十九才じゃった」
「若いですね……」
「わしより若いもんが死んでいくがは辛いのう」
「そうですね……」
病気を含め、若くして志半ばで命を落とす人があまりにも多すぎる。
バカ杉さんの知り合いだったというこの人も、志士か何か……って、そういえば!
「あの、よかったらお名前教えていただけませんか?」
「ほいたら“土佐訛りの薩摩藩士”でええぜよ。“バカ杉”には及ばんが、わしもそれ気に入ったき」
「でも……」
名前を知らないのは不便すぎる。まさか名乗れない理由があったり?
何ていうのは冗談だけれど、勝手に別れの挨拶を告げたその人は、すでに歩いて来た道を戻り始めている。かと思えば、急に振り向きにかっと微笑んだ。
「おんしも、生き急ぐんやないぜよ」
それだけ言ってまたすぐに去って行くから、私も屯所へ帰ることにした。
いったい何者なのだろうか。結局また、名前も聞けずじまいになってしまったけれど。
バカ杉さんの知り合いだったみたいだし、本当に名乗れない理由がある人……お尋ね者だったり!?
まさか……ね?
思わず後ろを振り向いてみるものの、そこにはもう求める姿は見当たらなかった。
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