220 年越し、慶応三年へ
翌、十二月三十日の大晦日。
今日は夜になっても例年のように広間で馬鹿騒ぎをすることもなく、人が集まったとしても、みんな静かに飲んでいるといった感じだった。
私も挨拶をする程度で早々に切り上げると、部屋へ戻るべくまだ暗い外廊下を進む。途中、外出先から帰ってきた伊東さんに声をかけられた。
「琴月君。今年も一年ご苦労様でした」
「いえ……。伊東さんこそお疲れ様でした。来年もよろしくお願いいたします」
当たり障りのない返事で締めくくり、その場をあとにしようとするも引き止められた。
「明日、角屋で“天皇を偲ぶ会”をするのですが、よければ琴月君も来ませんか?」
「いえ、私は……」
「遠慮はいりませんよ。斎藤君や永倉君も来ます。気心の知れた二人がいるので、琴月君も参加しやすいかと思います」
斎藤さんと永倉さんが……?
ぜひ来てください、と伊東さんは微笑むけれど、いくら天皇を偲ぶ会とはいえ年越しすらしめやかに迎えているのに、新年早々どうなのだろう。
それに、近頃の屯所内では“伊東さんが新選組を出て行くらしい”という噂が立っていたりする。
本当にただの偲ぶ会、なのだろうか……。
何の集まりであれ、丁重にお断りすれば心底残念そうな顔をされたけれど、一礼して早々にその場をあとにする。
どうして斎藤さんと永倉さんは行くのだろう。
二人は今でも伊東さんの勉強会にしょっちゅう参加しているし、やっぱり……伊東さんに傾倒しつつあるのだろうか……。
だとしたらちょっと……ううん、すごく嫌だ。
思わず立ち止まると、振り払うように首を左右に振った。それでも拭いきれないモヤモヤした思いが、白い気体となって吐き出される。
闇に溶けていく様を追って見上げた空に月はなく、いくつもの星だけがキラキラと輝いていた。
部屋へ入ると、すでに土方さんも戻ってきていた。
今さっき伊東さんと交わした話を伝えてみれば、どうやら宴会があることは知っているらしい。
「天皇を偲ぶ会だったか?」
「はい。私は断りましたけど……」
「まぁ、行くのは伊東さんの腹心ばかりみてぇだしな。分離に向けた話しでもすんじゃねぇか」
腹心……斎藤さんや永倉さんも行くらしいけれど……って、分離の話!?
「そういえば、あの話って結局どうなったんですか? 最近じゃ噂だって飛び交ってるし。認められないってことで、決着がついたんじゃないんですか?」
「勿論、近藤さんもまだ認めちゃいねぇよ」
「……まだ?」
「ほう。お前にしてはなかなか鋭いじゃねぇか」
そりゃどういう意味だ!
思わずにやりとする顔を睨むも、土方さんは何でもないことのようにあの話は今でも続いているのだと言う。
現時点ではまだ正式に分離を認めてはいないけれど、新選組のことを第一に考えれば、伊東さんの案も一つの手だと近藤さんも思い始めているのだと。
それに、相手は頭も口もよく回る伊東さんなので、あらゆるつてや根回しを駆使し、いずれは本当に分離するだろうとも。
ところで……。
「土方さん?」
「何だ?」
「妙にあっさりしてませんか?」
いくら相手が参謀といえど、そんな静観するような態度は土方さんらしくない。
反対だ! 認めない! 切腹だ! などと怒りそうなものなのに。
「もしかして、分離に
「それも悪くねぇな」
そう言ってにやりとするその顔は、何を企んでいるのかいなのか……ふいと遠くを見るように顔ごと視線を外したかと思えば、だが……と僅かに目を細めた。
「新選組を貶めるような真似しやがったら、そん時はただじゃおかねぇ」
冗談めかすような口調とは裏腹に、目だけは決して笑っていない。
その強い眼差しに息を飲めば、纏う雰囲気をガラリと変え、今度は明らかに何か企んだ顔をこちらへと向けてきた。
「お前、伊東さんにやけに気に入られてるみてぇだしな。その天皇を偲ぶ会とやらに行ってこい」
「……へ?」
突然の台詞に思わず間抜けな返事をしてしまったけれど、本気か冗談か、土方さんはどこか見透かしたように続きを口にする。
「どうせ気になってるんだろう? 行って探りでも入れてこい」
「でも、もう断っちゃいましたし……」
「んなもん、やっぱり行くと言えば喜ぶだろうよ」
断った時のあの残念そうな顔を思い出すと、快く受け入れてくれそうな気はするけれど……やっぱり気は進まない。
けれど土方さんが言うように、伊東さんの動向が気になるのも事実で、今はそれ以上に、斎藤さんや永倉さんのことも気になっている……。
「悩むくらいなら、行って自分で確かめてくりゃいいじゃねぇか」
う〜ん、と唸ってまでいたらしく、そんなことを言われるのだった。
翌朝。
初日の出を見るのだと、空が白み始めた頃に沖田さんが部屋へやってきた。
早く早く、と腕を引っ張られながら土方さんも道連れに境内へ出れば、ちらほらと他の隊士たちもいる。
昨夜の冷え込み具合からある程度の覚悟はしていたけれど、今朝もかなり寒く、所々雲が広がっているせいかなおさら寒い。
日が昇ってくるはずの山際にも少し雲がかかっていて、今年は見ることが出来るのかと少々不安も過る。
それでも腕をさすりながら待っていれば、大げさな奴だな、と新年早々土方さんに呆れられた。
とはいえ、何を言われようと寒いものは寒い。
そうこうしているうちに雲の隙間から光が差し、僅かながらも無事に拝むことが出来た。
しばらくして、合わせていた手を下ろせば、同じく顔を上げた沖田さんが残念そうに呟いた。
「何だか新年を迎えた気がしませんね〜」
「今年は仕方ねぇだろう」
土方さんもそう言うけれど、確かに少し味気ない。
だから、少しくらいはお正月らしいことを……と一つ提案してみる。
「このまま恵方参りくらい行きませんか?」
真っ先に反応したのは沖田さんで、ぱぁっと表情を輝かせた。
とはいえ、下調べしていないことを思い出し自らからかいのネタを提供してしまったことを若干後悔するも、沖田さんは言葉を発するより先に、コホン、と軽く咳をした。
「沖田さん?」
「……ッ、今日は少し雲も出てて、一段と空気も冷たいですし……。もッと晴れて、暖かい日に行けば、いいんじゃないですか〜?」
「それでもいいですけど、これくらい大丈夫で――」
「春くんも、随分寒そうに、見えますよ〜?」
確かに寒いけれど、恵方参りに行くのならこれくらいは我慢する。
そう伝えようとするも、突然、沖田さんが走り出した。
「お、沖田さん!? どこに!?」
「おい、総司?」
「野暮ですね~、厠ですよ」
か、厠……。
「ったく、あいつもまだまだ餓鬼だな」
そう言って土方さんが吹き出すから、つられて私も笑ってしまった。
そして、沖田さんの背中を見送った土方さんの横顔が、そのままゆっくりと私を見下ろした。
「そういや、お前とこうして新年を迎えるのも、もう四度目か」
「そうでしたっけ」
私がここへ来たのは文久三年。
こういう時、西暦なら計算しやすいのに……なんて思いながら、文久から元治、元治から慶応へと元号が二度変わったことを考慮しながら指折り数えてみる。
確かに、今回で四度目だった。
「そんなに経つんですね」
「……そうだな」
「土方さん?」
朝日が照らすその顔は、優しく微笑んでいるのにどこか悲しくて、少し寂しそうにも見える。
もしかして、いまだ元の時代へ帰れない私のことを憂いている?
随分とここでの生活にも慣れたとはいえ、ふとした瞬間に寂しさが込み上げることもある。
悲しいことがあるたびに、後悔や絶望に押し潰されそうになり、やり場のない思いを叫びたくなることもある。
それでも……。
何となく……。
新選組の行く末を見届けるまでは、帰ることは出来ない気がしている。
決められた結末を変え、新たな歴史を作れるか……抗えずに辿ることになるか。それはわからないけれど。
これは、芹沢さんとの約束でもあるから。
そのための覚悟なら、とうに出来ている。
不意に、辺りがほんの少し暗くなった。
どうやらさっきまでは顔を出していた太陽が、雲に隠れてしまったらしい。
「さみぃな。俺らも部屋戻るか」
「……はい」
すでに歩き出した土方さんを追うように、私も一歩を踏み出した。
静かに迎えた今年は慶応三年。
去年も情勢は目まぐるしく動き、訃報だって相次いだ。それでも、新選組としては比較的平穏な年だったように思う。
だから……足を止めて振り返り、いまだ雲に隠れた太陽にもう一度願った。
今年もまた、穏やかな年でありますように。
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