190 長州訊問使

 ようやく十月であるの月になり、あとは炬燵開きとなるの日を待つのみ! と心待ちにしていたら、第十四代征夷大将軍、徳川家茂いえもち公が将軍職を辞めると言い出した。


 先月中旬に長州征討の勅許を得るため大坂から上洛したその日、兵庫沖にイギリス、フランス、オランダの艦隊がアメリカ行使を同行して押し寄せて、安政五年に勅許もなしに結んだ日米修好通商条約の勅許や、延期になっていた兵庫港の即時開港等の要求を幕府に突きつけてきたらしい。

 色々と事情があったのだとは思うけれど、老中らが勝手に開港の約束をしてしまい、怒った朝廷はその老中らの処分を決定。今度はそのことに対して大樹公が怒り、将軍なんて辞めて江戸へ帰る! となったらしい。


 慌てて禁裏御守衛総督の一橋慶喜よしのぶ公や京都守護職の松平容保かたもり公が説得にあたり辞表を撤回させたけれど、その時の護衛だ何だで新選組も大坂へ下ったりしていた。

 その後、慶喜公が朝廷を説得して条約の勅許を得ると、艦隊へは勅許を得た代わりに開港の延期を要求して同意させたらしい。


 そんな感じで少しゴタゴタしていたけれど、待ちに待った亥の月最初の亥の日は無事にやって来た。

 巡察を終え部屋へ戻ると文机の隣には炬燵が並べてあり、装備を解いてさっそく潜り込む。


「はぁ……温かぁ〜い。幸せだぁ〜」

「相変わらず、安い幸せだな」

「何とでも〜」


 そう言って炬燵に突っぷしてみせれば、隣からは笑い声まで聞こえてくる。

 けれど、用意してくれたのは土方さんなので、今日ばかりは何を言われても気にならない。


「お前、ほっとくと一生そこから出て来なくなりそうだな」

「そんなことないですよ。春になればちゃんと出ます」

「出ますって、土筆つくしか……」

「じゃあ、土筆らしく今年は春までここで過ごそうと思います」

「思いますって、駄目に決まってるだろうが」


 ダメらしい。残念だ……。

 それどころか、忙しくなりそうだから今以上に働け、などと呆れたように言う。

 鬼だ、鬼がいるっ!


 とはいえ今日の隊務はもう終わっている!

 ひとまず夕餉まではここから出ないと決めれば、口にはしていないはずなのに再び笑われるのだった。






 炬燵で越冬は叶わなかったので、日々隊務をこなしながら向かえた十月の半ば。

 二度目となる長州征討に先駆け大小目付を広島へ派遣し、長州藩藩主毛利敬親もうり たかちか親子を糾問することが朝議で了承された。

 そして、翌月には広島へ行くという長州訊問使に、近藤さんも随行することが決まった。状況次第ではそのまま長州入りの可能性もあるとして、伊東さんや武田さん、山崎さんら監察を含む計八名が同行し、近藤さんを含めみんな新選組であることを隠しての西下となる。

 ちなみに、何が何でもついていきます! とゴネた沖田さんは、“歳を支えてやって欲しい”と惜しげもなく近藤さんに頭を下げられ、渋々納得していたのだった。


 そして、十月も下旬のある日。

 広島行きが決定しているメンバーと副長の土方さんが会議をしている時、なぜか伊東さんが私を迎えにきた。

 伊東さんに続いて入室するもまさかの独断だったのか、みんなの訝しむような視線が飛んでくるけれど、伊東さんは全く気にする様子もなく爽やかに微笑み私にも座るよう促した。

 近藤さんを挟んで座る土方さんと伊東さんが、全く正反対の顔で互いを見つめ合うも、近藤さんの落ちついた声が終止符を打つ。


「伊東さん、なぜ春を?」

「勝手をしてすみません。ただ、今回の西下、琴月君にも同行してもらうのがいいと思ったのです」

「はぁ? いきなり何言い出してんだ」

「歳、落ち着け。伊東さん、理由を訊かせてもらえるか?」


 近藤さんに嗜められた土方さんが口を引き結ぶと、伊東さんは一つ頷いた。


「琴月君の変装はなかなかのものです。として忍び込んでもらえば、違った視点からより広く情報も集められるのではないかと」

「つまり、春にも間諜として山崎君ら監察とともに潜入してもらう、ということか。それも女装で」


 ええ、と伊東さんが微笑めば、すぐさま土方さんが声を荒らげた。


「んなの、こいつには無理に決まってるだろう!」


 女装で潜入とか間諜とか……だいたい話は見えた。

 しばしやり取りを聞いていれば、どうやら広島からの長州入りが叶っても叶わなくても、それとは別に山崎さんら監察を潜入させるつもりでいるらしい。

 長州……山口県といえばフグだろうか。

 とはいえ、これから戦を始めるかもしれない敵地、バレたら生きて帰れる気がしない。


「土地勘もねぇ。入ったは最後、戻って来れなかったらどうする?」

「それは、山崎君ら皆一緒では?」

「今までのように一日やそこらじゃねぇんだ。上手くやれるとは到底思えねぇ」

「でしたら……山崎君と夫婦めおと役とするのはどうでしょう。市井からの情報を得るにも丁度良いか――」

「却下だっ! そもそもこいつは監察じゃねぇ!」


 土方さんの反論はもっともだ。私に監察の仕事なんてできる気がしない。


「確かに彼は監察ではないですが、これまでだってそのような仕事をしてきましたよ。私はただ、新選組にとって有益になる話をしているつもりなのですが……なぜ、そんなに感情的になるのです?」

「なってねぇ。無理なもんは無理だと言ってるだけだっ!」


 困ったように肩を竦める伊東さんに向かって、それまで黙って聞いていた近藤さんが口を開いた。


「確かに、多方面から情報を得るのに春を連れて行くのは悪くないかもしれんな」

「局長の仰る通りだと思います」


 ……と、突然割り込んだのは、それまで黙って見ていただけの武田さんだった。土方さんに無言で睨まれた途端、俯き小さくなってしまったけれど。

 そもそも最初に提案したのは伊東さんであって、近藤さんではない。


 そんなことより、今日ばかりは頭ごなしに反対する土方さんがありがたいけれど、行く行かないは局長である近藤さん次第。

 こんなことなら、とっとと女であることをバラしておいた方がよかったのかもしれない……けれどもバレていたらいたで、今頃私はここにいない……。


 ああ、もう!

 だからって、敵の本拠地に潜入するとか怖すぎる! 無理っ!

 祈るような思いで近藤さんを見つめれば、僅かに伊東さんの方を向きながら続きを口にした。


「伊東さんの案は、確かに新選組にとって益をもたらすかもしれん。……だが、今回は戦前の敵陣、今までのそれとはわけが違う。本人を目の前にして言うのも何だが、今回ばかりは経験の浅い春では少々心許ない」

「局長の仰る通りだと思います」


 ……と、再び武田さんが割り込むけれど、誰も反応しなかった。

 私じゃ役に立てないし、近藤さんがちゃんとわかっていてくれたことに安堵して胸を撫で下ろすも、伊東さんは諦めず再び口を開く。


「経験……ですか。だとすれば、尚更琴月君にとっても経験を積む良い機会にもなると思いますが」


 ああ言えばこう言う。新選組にとって有益になるばかりか、私の経験も積めていいことづくめ!

 傍から聞いている分には、あながち間違ったことを言っているわけでもないから余計に厄介だ。

 う〜む……と腕を組み黙ってしまった近藤さんに代わり、土方さんが再び反論する。


「こいつが失敗して、他の奴らまで危険に晒されたらどうする? そん時は伊東さん、あんたに責任取れんのか?」

「そう、ですね。私の首一つで足りるとは到底思えませんが、その時は……」


 一瞬にして部屋の中がざわついた。土方さんも、信じられないといった顔でただ伊東さんを見つめている。

 私だって信じられない。前から薄々感じてはいたけれど、伊東さんは私のことをかいかぶり過ぎている。

 呆気にとられたままの土方さんの横で、近藤さんが咳払い一つで部屋の中を静めた。


「伊東さんが新選組や隊士らの事を深く考えてくれているのは良くわかった。しかしだな、だからこそ、ここで優秀な参謀を失うわけにはいかん……と思うのだ」

「局長の仰る通、り……しかし、その時は私が全力で局長をお支えします」


 懲りずに媚を売りつつ自分も売り込む……さすがは武田さん、抜かりない。

 けれども土方さんに睨まれて、今度こそ大人しくなってしまったみたいだ。

 そんなことは気にもせず、伊東さんが吐息を漏らすように苦笑した。


「敵いませんね。そこまで言われては私も引かざるを得ません」

「気を悪くさせてしまったならすまない。新選組のため、今後も参謀として遠慮なく意見してくれると助かるのだが……」

「ええ、わかりました」


 伊東さんが爽やかに微笑めば、近藤さんの頬にも大きな笑窪が浮かんだ。

 武田さんだけは、どこか奥歯を噛みしめるような表情をしていたけれど……。


 結局、長州訊問使に同行するメンバーに変更はなく、会議はお開きとなった。

 何だか無駄に疲れそそくさと部屋をあとにするも、あろうことか伊東さんが追ってきた。


「申し訳ありません。新選組にとってもあなたにとっても、悪い話ではないと思ったのですが……」

「いえ、私に間者は務まりませんし、当然の結果だと思います」

「そんなことないですよ。あなたの能力の高さはわかっているつもりです」


 やっぱり過大評価し過ぎだ。ここは早いとこ修正しておかないと、後々面倒なことになりそうで否定するけれど、最後には苦笑されるだけだった。


「わかりました。あまりしつこくすると今度こそ嫌われてしまいそうなので、今日の所はここまでにしておきます。では」


 ついには私の返事も待たずに行ってしまった。

 これは、軌道修正するのは骨が折れそうだ……。






 いよいよ十一月になると、予定していた出立が急遽四日に早まった。

 出立当日の慌ただしい中、近藤さんに呼ばれ局長室へ行けば、多摩へ向けて書いたという文を手渡された。


「すまんが、あとで出しておいてくれるか」


 普段から近藤さんの身の回りのお世話をしているのは、父親である佐久間象山しょうざん先生を殺害され、幕臣である叔父の紹介状を持って入隊した三浦啓之助くんや、近藤さんが養子に迎えた谷三兄弟末っ子の周平くんなので、正直なところ呼び出した用はこれ? と首を傾げそうになってしまった。

 気づかれてしまったのか、実はな……と近藤さんが苦笑する。


「俺の身に何かあった場合、新選組は歳に、天然理心流は総司へ譲ろうと思っている」

「何かあったらって……縁起でもないこと言わないでください! 二人が聞いたら怒ると思います」

「だから春に話しているんだ」


 どうやら文にも、他言しないようにとして記してあるらしい。

 土方さんには、引き継ぎを念入りに済ませてあるのだとも。


 正直、天然理心流に関しては、養子に向かえた周平くんより沖田さんが継ぐべきだと思うので、近藤さんなりにちゃんと考えていたのだと少しほっとした。

 同時に、それだけの覚悟を持って行かなければならない場所なのだと再認識させられる。


 こちらからしてみれば長州側の行いはテロとしか思えないけれど、向こうからしてみれば、新選組はきっと同胞を斬ってきたかたき……。

 バレてしまえばどうなるかなんて、想像に難くない。

 それでも……。


「文は出しておきます。でも、ちゃんと無事に帰ってきてください。新選組の局長は近藤さんですから」

「歳にも同じ事を言われたな」


 そう言って小さく吹き出すけれど、二人のやり取りはいとも簡単に想像がつく。

 そしてそれはきっと……。


「沖田さんも同じこと言うはずです」

「……そうか」


 近藤さんが照れくさそうに小さな笑窪を作ると、襖の向こうから出立の用意が整ったことを知らせる声が聞こえた。


「よし、では行ってくる。留守の間、局長代理を支えてやってくれ」

「はい。お気をつけて」


 屯所の外には土方さんを始め沖田さんらたくさんの隊士が集まっていて、それぞれ近藤さんと短い言葉を交わし合う。

 いよいよ出立となると、心から無事を祈りながら、徐々に小さくなっていく背中を見送るのだった。

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