175 それぞれの考え

 四月二十七日。

 いよいよ江戸出立のこの日は、早朝だというのにたくさんの人が見送りに来てくれた。

 いつもより早起きをした眠気眼のおたまちゃんもいて、おつねさんの片手をぎゅっと握りながら少しだけ寂しそうな顔で私を見上げた。


「ハウ、またきてね」

「うん。それまで、おたまちゃんも元気でね」


 目線の高さを合わせるようにしゃがみ込んで微笑めば、うん、と頷いたおたまちゃんが、少しだけ恥ずかしそうにしながら私の隣に視線を移す。


「としぞーおにしゃんも……」

「おう」


 その顔は苦笑を浮かべながらもどこか嬉しそうで、“としぞーおにしゃん”もおたまちゃんには敵わないらしい。




 試衛館をあとにして新入隊士たちとの集合場所へ行けば、“母親が大病を患った”という奥さんからの知らせを受けて、一緒に東下した伊東さんも来ていた。

 新選組の活動拠点は京だから、このまま江戸に留まるのは無理だとわかってはいても、病気の家族を置いていかなければならないのは辛いと思う。

 そんな伊東さんを気遣ってか、土方さんが少し心配そうに訊ねた。


「母君のご容態は?」

「ご心配をおかけして申し訳ありません。実は、嘘だったのです」

「……嘘?」


 どうやら“母親が大病を患った”というのは、夫に会いたいがための奥さんの嘘だったらしい。

 嘘の内容は些かどうかと思うけれど、嘘をついてしまった奥さんを責めることはできない気がした。

 だって、電話もなければすぐに会えるわけでもない。おまけに現在最も治安の悪い京へ行ったとなれば、心配で仕方がないだろうから。

 伊東さんのことは好きじゃないけれど、またすぐに家族とも離れて暮らさなければならないのは辛いだろうと、私も伊東さんに声をかけた。


「病気の件は嘘で良かったですね。でも、こうしてまた奥さんとも離れて暮らさなきゃいけないなんて、寂しいですよね……」


 けれども伊東さんは、何でもないことのように爽やかな顔できっぱりと言い放つ。


「いえ。妻とは離縁してきたので未練などないです」

「……へ?」


 伊東さん曰く、国事を重く見ず嘘をつくなど許し難い、と激怒し離縁を言い渡してきたという。

 他人の家庭の事情にとやかく言うつもりはないけれど、穏やかそうに見えて、目的のためなら何を捨てることも厭わない……そんな伊東さんの一面を見てしまったような気がした。




 いよいよ京へ向け出発となった。

 総勢五十名以上の新入隊士と、今回は藤堂さんもいる。

 土方さんは副長としての威厳でも見せつけるかのように、駕籠に乗っての出発だった。


 お風呂時。

 今度こそ! と気合をいれる伊東さんは、またしてもすやすやと眠らされていて、土方さんと斎藤さん、そしてなぜか、藤堂さんまでもが進んで見張り役について来てくれるのだった。

 おかげで特に大きな問題もなく旅は進み、暦も五月へと突入すれば、すでに五日が経過した。


 五月五日といえば端午の節句。端午の節句といえばこどもの日。

 こどものための日だというのに……そう、土方さんの誕生日!


 ぶっちゃけ今回は何も用意していない。しかも、こんな旅の最中に調達できるとも思えない。

 困った……。困ったけれど、何もしないのは気が引ける。

 本日宿泊予定の宿へ入るなり、少し早いけれど、外で夕飯でもご馳走しようかと土方さんを誘った。


 けれどもそんな夕飯も食べ終えると、誘ったのは私なのに、当たり前のように二人分の支払いをしようとする土方さんを慌てて阻止した。

 すかさず支払いを済ませるものの凄く訝しがられ、仕方なく白状すれば納得がいったように笑われた。


「何だ、そんなことか。気なんざ使わなくていい」

「そういうわけにはいかないです!」


 なんて威勢よく言ってみるも、夕飯を奢っただけで他には何の用意もしていない……。

 打つ手なしで落ち込む私の頭を、土方さんが軽く叩くように撫でた。


「なら、今から少し付き合え」


 そう言われて、二人で近くを散策することになった。

 日が沈む間際、柔らかな夕日に照らされた道はまだ暖かく、少し歩くと小さな川があった。並んでほとりに腰を下ろせば、土方さんが水面を見つめたまま口を開く。


「今回の募集で隊士も随分と増えたからな。組分けして、それぞれ副長助勤を組頭に据えようかと思ってる」

「組分けですか?」

「ああ。一番組から……そうだな、十番くらいありゃいいか。もちろん、まだ構想の段階だけどな」


 なるほど、と相づちを打てば、土方さんが悪戯っ子のような顔で私を見た。


「お前も、一組受け持ってみるか?」

「えっ!?」


 驚いて目を見開くも、すぐに土方さんの言葉を思い出す。


「って、土方さん今、組頭にするのは副長助勤だって言ったじゃないですか! 私はただの平隊士です!」

「一緒に格上げすりゃいいじゃねぇか」

「いえ、このままで結構です」


 クラスで班長をやるとか学級委員をやるとか、そういうレベルの話じゃない。万が一にも自分の指示ミスで人が死んだりしたら……そんなの考えただけでも無理! 

 これでもかと首を左右に振ってみせれば、土方さんが少し呆れたように笑った。


「お前は、ずっとそのままでいるつもりか?」

「もちろんです」

「本当に欲のねぇ奴だな。ま、そういうとは思ってたけどな」

「なっ……」


 わかっていたなら言わなくてもいいのに!

 抗議の眼差しを向けつつ内心ほっとしていれば、だが……と土方さんは笑顔を浮かべつつも、少しだけ真面目な声音で言う。


「お前さえその気なら、あり得ねぇ話じゃねぇぞ」

「いや、だから――」

「お前の頑張りはちゃんとわかってる。それだけのことをしてるってことだよ」


 昇格したくて頑張っているわけじゃないけれど、そう言ってもらえるのは素直に嬉しい。

 僅かに緩む頬を察してか、組頭にはならずとも副長助勤への格上げだけを提案されてしまったけれど……。


「すみません。私、京へ戻ったらやりたいことがあるんです」

「やりてぇこと?」

「はい」


 ここへ来て、幾度となく人の死に直面してきた。

 新見さんに始まり芹沢さんやお梅さん、そして、ついこの間は山南さんまで……。

 そうなるとわかっていたのに、救えなかった命がたくさん含まれている。


 ――試衛館からの仲間がいなくなるなんてさ、考えたこともなかったから……――


 あの時の藤堂さんの言葉と表情は、今でも鮮明に思い出せる。

 けれど、そう話した藤堂さんだって、歴史通り進んでしまえばいつの日か……。

 そんなのは嫌だ。


 知らないことの方が多すぎて、私一人の力では何も変えられなかったし、嫌と言うほど無力さも突きつけられた。

 けれど、一人じゃなかったとしたら……。

 気がつけば、突然黙り込んだ私を土方さんが少し不安そうな顔で見つめていた。


「やりてぇことってのは何だ? まさか、新選組を出ていくつもりか?」

「それはないです。私は、何があっても新選組を離れるつもりはありません」


 予想外の質問に驚くも、顔を上げてきっぱりと言い切った。

 今度はどこか安心したような表情を見せる土方さんが、間髪入れずに訊いてくる。


「じゃあ、何だ?」

「それは……、今はまだ内緒です」


 今ここで話しても反対されるのは目に見えているから……その時に説得してみせる。

 あからさま過ぎると思いつつも、満面の笑みを浮かべてはぐらかしてみれば、土方さんは拍子抜けしたようにつられて笑った。


「何だそりゃ」

「その時にちゃんと話します。だから今は――」


 訊かないでください、という言葉は、土方さんの言葉と頭の上で跳ねる手によって遮られた。


「そうか。ならいい。まぁ、なんだ……お前は頑張ってる。少しだけなら自信持ってもいいぞ」

「少しだけって!」

「あんまり褒めすぎると、調子に乗りそうだからな」

「なっ!」


 頭上の手を振り払えば、土方さんが可笑しそうに笑うのだった。




 宿へと戻る道すがら、重大なことを思い出し、足を止め頭を抱えるようにして叫んだ。


「ああっ!」

「おい、どうした!?」


 一瞬ビクリとした土方さんが、すぐさま冷静に左の腰に手を当てがい辺りを警戒する。

 どうやら熊か賊でも出たと勘違いさせてしまったらしい。


「あ、いえ。誕生日なのに、結局、何もしてないと思って……」

「んだよ、そんなことか!」


 文句を言って緊張を解く土方さんが、少し呆れたように私を見下ろした。


「何もいらねぇって言っただろうが」

「でも……」

「俺がいいって言ってんだ」

「でも!」

「あー、うるせぇ。でもでもしか言わねぇ口なんざ、こうだ!」


 そう言うと、両サイドから伸びてきた手が私の頬を左右同時に引っ張った。


「にゃ!? いひゃいです!」


 吹き出す土方さんを睨みつつ両手を剥がせば、優しい眼差しと目が合った。


「飯を奢ってもらった。大人数で上洛中だってのに、こうしてお前と二人でゆっくり話もできた。それで十分だ」


 これ以上食い下がるのは無意味な気がして、申し訳ないとは思いつつもその言葉に甘えることにした。


「そんなもんですか?」

「そんなもんだ」


 そう言って、土方さんは優しく笑うのだった。






 その後も旅は順調に続き、九日には最後の宿泊地となる草津に着いた。

 翌十日に草津宿本陣をあとにするも、とうとう梅雨前線でもやって来たのか、この日は生憎の雨模様だった。

 それでも京はもう目前。雨の中を歩き、およそ一月半ぶりとなる西本願寺の屯所へと帰るのだった。

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