152 ぜんざい屋事件
広間で朝餉をとっていれば、聞こえてくる会話の中に今日も愚痴が交じる。夜中に蹴られたとか踏んづけられたとか……。
日課となりつつある光景を前に、近藤さんがぐるりと部屋を見渡した。
「ここもそろそろ限界か……」
そんな小さな呟きを拾ったのは、両隣に座る土方さんと山南さんだった。
「今後も隊士を増やすこと考えたら、今より広い所にでも移転しねぇと無理だろうな」
「そうだね。しっかり休めなければ、隊務にだって支障が出てしまうからね」
すでにこの広間ですら手狭に感じるし、移転も考えているのかもしれない。
部屋へ戻り炬燵で暖まっていると、見るからに不機嫌な土方さんが戻ってきた。
「支度しろ。これから大坂へ行くぞ」
「……今からですか?」
「俺だって行きたかねぇよ。ったく、あいつら余計な仕事増やしやがって」
あいつらとは、どうやら谷三兄弟長男の三十郎さんと、次男の万太郎さんのことらしい。
大坂にある石蔵屋というぜんざい屋を根城にしていた土佐勤王党の残党が、“大坂市街に火を放ち、その混乱に乗じて大坂城を乗っ取る”という計画を企てていたらしく、ちょうど大坂にいた谷兄弟がそれらを察知、他二名を伴った計四名でそのぜんざい屋を襲撃して一名を討ち取ったらしい。
「なんだか、池田屋事件の大坂版って感じですね」
「あれと一緒にすんじゃねぇ! こっちに何の報告も寄越さねぇで勝手に襲撃したあげく、敵は出払ってて部屋にいたのはたったの二人。うち一人には逃げられ四人掛かりで残った一人を斬ったらしいが、揃いも揃って手傷を負わされてるんだぞ!」
「で、でも、放火は未然に防げたなら――」
「残党のほとんどは逃げたままだがなっ! 最初から連絡の一つでも寄越してりゃ、大勢で囲んで一網打尽にできたんだよ!」
この事件があったのは一月八日の夕刻で、報告が来た今日は十日。すでに二日が経過しもちろん全て事後報告。
近藤さんや土方さんとしては、事前に何の連絡もなかったうえに結果が芳しくないことを怒っているらしい。
それより私に怒鳴るもんだから、まるで私が怒られているような気分になる。
落ちつかせようと土方さんに同調してみた。
「あれですね、“ホウ・レン・ソウ”は大事ですよね!」
「はあ? ほうれん草は関係ねぇだろうが! 馬鹿野郎!」
もう! とばっちりもいいところだよ!
大勢の隊士を伴い下坂すると、天神橋に檄文を張り出したり人相書きを書いたりと、さっそく大規模な残党探索が始まった。
人相書きと言っても、写真はもちろん似顔絵すら描かれておらず、顔つきや身なりをただ箇条書きにしたものなうえに、事件からすでに数日が経過しているせいか捜索は難航した。
はっきり言って、もう遠くへ逃げているんじゃなかろうか……。
この頃、隊士も増え京屋だけでは寝床も足りず、万太郎さんの道場からも近い萬福寺を大坂の屯所として使わせてもらっていた。
土方さんや斎藤さんと市街を回っていたけれど、報告も兼ねて一度萬福寺へ行けば、ちょうど伊東さんも戻って来ていた。
「土方副長。丁度いいところに」
どうやら人相書きに書かれた人物とよく似た人が、数日前に盆屋を出入りするのを目撃したという情報を得たらしい。
お尋ね者となった今でも出入りしているとは考えにくいけれど、盆屋の主人と通じて匿われている可能性も捨てきれない。実際、件のぜんざい屋を経営していたのは今回追っている残党の一人だったというし。
隊士たちは出払っていて、急遽、私が女装し客に扮して探ってくることになった。
とはいえ手元に女性物の着物がなく、もの凄く訝しがられながら近所の人に謝礼と引き換えに借りて着替えれば、伊東さんが私の姿を見て目をまん丸くした。
「これは驚いた。どこからどう見ても女子にしか見えませんね。あ、いや、この場合褒め言葉にはなっていないかな……失礼」
十分褒め言葉だけれど、緩みそうになる頬を隠しながらずっと気になっていたことを訊いてみる。
「ところで……盆屋って何屋ですか?」
「江戸で言うところの、出合茶屋だそうだよ」
「なるほど、茶屋なんですね」
盆と言うからてっきりお盆専門店なのかと思ったけれど、茶屋なら客に扮するのは難しくない。正直、出合茶屋というのも知らないけれど、茶屋というのだから文字通り茶屋だろうし。
今回は私一人ではないらしく、土方さんが一緒に行くと言えば伊東さんが難色を示した。
「大規模に捜索しているにも関わらず、現状ほとんど成果を上げられていません。そんな最中に副長が盆屋へ出入りしてるなどと噂が立っては、新選組の信用にも関わるのではないですか?」
隊務中だから? 副長だから? 茶屋に入るくらいで文句を言う人がいるのだろうか。
伊東さんの指摘に土方さんの眉間の皺は一層深くなるけれど、そんな事はお構いなしに伊東さんが続ける。
「同伴はここにいる私か斎藤君が良いように思いますが、いかがでしょう?」
「ならば俺が行きます」
それまで黙って話を聞いていた斎藤さんが名乗り出れば、伊東さんがどこかほっとしたように苦笑した。
「そうして頂けると助かります。恥ずかしながら、この辺りの土地勘がまだなくて」
斎藤さんと一緒に行く流れになる中、確認をするように全員で土方さんを見れば、眉間に皺を寄せて考え込んでいたその顔が、閉じていた目をゆっくり開けるなり鋭い視線で斎藤さんを捉えた。
「……わかった。だが、一つ訊く。他意はねぇよな?」
「他意……とは?」
「……いや。斎藤、この件はお前に任せる」
「承知」
さっそく盆屋へと向かう途中、突然立ち止まった斎藤さんが私を見下ろすなり片手で髪に触れた。
「簪は?」
「あー、沖田さんにもらったのが一つあるんですけど、さすがに持ってきてないです」
「沖田に? お前は、簪を贈ることの意味を知ってて受け取ったのか?」
「意味があることは聞きましたけど……この格好じゃ刀は持てないので、いざって時の護身用にってくれただけです。そもそも、沖田さんは私が女だとは思っていませんし」
「そうか。ならばついて来い」
そう言ってくるりと反転、すたすたと歩き始める背中にどこへ行くのか問うも、行けばわかる、と取り合ってはもらえない。
女性物の着物にも多少慣れたとはいえ、そんなに早く歩かれては置いていかれないようにするのにいっぱいいっぱいで、斎藤さんの後ろをちょこちょこと追いかけた。
そんな私を振り返りながら、斎藤さんがにやりと言い放つ。
「まるで親鳥のあとを必死に追いかける子鴨だな」
「なっ……また雛扱いですか」
子供扱いならまだしも人間ですらない。
ところで……。
「斎藤さんていくつですか?」
「お前よりは上だな」
「それはわかってます」
「そうか。藤堂と同じだ」
「……え?」
口数も多くはないし、随分と落ちついて見えるせいかもっと上だと思っていたけれど、まさかの藤堂さんと同じ?
それってつまり……私と二つしか変わらないってことじゃないか!
「何だ。二つ違いで雛扱いされるのがそんなに不満か?」
考えていることはバレているらしい。素直に頷けば、隣にやって来た斎藤さんが歩いたまま私の腰をぐいっと引き寄せた。
「わっ、さ、斎藤さんっ!?」
「何だ?」
「何だじゃなくて、何してるんですか!?」
「大人の女のように扱って欲しいのだろう?」
「それはっ、その……も、もう雛のままでいいですっ」
恥ずかしさのあまり抜け出そうとすれば、突然ぱっと開放された。
そして、私を見下ろしていた視線を僅かに後ろへとずらす。
「足元をよく見ろ。犬の糞を踏むところだったぞ」
「……犬、の?」
斎藤さんの視線を辿れば確かに落ちていた。そのまま歩いていたら踏んでいたであろう位置に。
これじゃ、いつぞやの馬糞と同じ……あれから成長していないってことか!
斎藤さんが向かっていたのは小間物屋だった。
店先で待つよう言われ待っていれば、一人で店内に入るなりすぐに出てきて私の前で手を差し出す。
その手に乗っていたのは白色の玉簪だった。
「今、手持ちがないのならこれを使え。そんな格好をしているのなら髪もきちんとしろ」
言いたいことはわかるけれど、これはどういう意味? なんて疑問が湧いてしまったので簡単には受け取れない。
沖田さんと違って、斎藤さんは私が女だとわかっているのだから。
そんな心情を察してか、斎藤さんが小さく吹き出した。
「安心しろ。今言った以外の意味はない。そういう意味を込めて欲しいというなら、そうしてやるが」
「だ、大丈夫ですっ!」
「なら受け取れ。隊務で使う物と割り切ればいいだろう」
そう言うなり私の返事も待たずに勝手に髪をまとめようとするので、慌てて受け取り、結っただけの髪を解いて簪で一つにまとめ直した。
「似合ってるな」
「そ、そうですか?」
私の女らしさもまだ完全には失われていないらしい。
今度はゆっくりと歩き出す斎藤さんの隣に並べば、その視線が一瞬だけ私の後頭部へ向けられた。
「なぜ白を選んだかわかるか?」
すでに前を向いて歩く斎藤さんを見れば、結った髪が歩みにあわせて規則正しく揺れている。
そして髪を結う紐は、今日と同じくいつも白だった気がする。
沖田さんも好きな色を選んだと言っていたし……。
「斎藤さんの好きな色だから、ですか?」
自信満々に答えれば、斎藤さんが前を向いたまま口の端を上げるのが見えた。
「白無垢を着たお前の姿を想像したら、それを選んでいた」
「白無……って、え? あの、斎藤さん?」
そういう意味は込めないって言ってなかった?
変に焦り始めれば、斎藤さんの意地悪な笑みと目が合った。
「どうした? 俺が着せるとは言っていないが、お前がそれを望むなら叶えてやってもいいぞ?」
「なっ……さ、さっ、斎藤さんっ!」
妙な勘違いに一人慌てるも、私を見下ろしたままくくっと喉を鳴らすその姿は、完全に私をからかって遊んでいる時のそれだっ!
もう何を言ってもからかわれるだけな気がして、とっとと隊務に取り掛かろうと斎藤さんを急かした。
「は、早く盆屋へ行きましょう!」
「ほう。それは誘ってるのか?」
「誘うも何も、一緒に盆屋に行くよう言われたじゃないですか!」
「相変わらず、お前との仕事は楽しくていい」
どういうわけか、斎藤さんはさらに笑みを深くするのだった。
盆屋へ着くと、戸口を入ってすぐのところに二階へと続く段梯子があった。
店構えは食事処のようにも見えたのに、店の中は全くそんな雰囲気じゃない。不思議に思いながらも斎藤さんについて二階へ上がれば、微かに男女の怪しげな声がした。
思わず斎藤さんの袖を引っ張り声をかけようとするも、片腕を強く引っ張られると同時に耳元で囁かれる。
「騒ぐな。客のふりをしろ」
そ、そうだ、すでに潜入捜査中だった……。
腕を掴まれたまま連れて行かれた部屋は二間続きになっていて、斎藤さんが奥の部屋の襖を開ければ飛び込んできた光景に絶句した。
次の瞬間、私の腕を開放したはずの手が今度は両肩を掴み、そのまま部屋の中へと押す……バランスを失った身体は、足元に敷かれた布団の上に背中から倒れた。
慌てて状態を起こすも、横へ来て膝をつく斎藤さんが私の片頬に触れる。
「早く来たいと誘ったのはお前だろう?」
「さ、誘うって……そもそも、あれは隊務の話でこういうことじゃ――」
「こういうこと、とは?」
「そ、それは……」
間近で見つめてくる斎藤さんの顔はこれ以上ないくらい意地悪で、耐えきれず視線を逸らした。
今さらながら女装しなければならなかった理由を理解すれば、くくっと喉を鳴らす音が聞こえ、頬に添えられていた手が頭上でポンポンと二度跳ねた。
「盆屋も出合茶屋も知らなかったのだろう?」
「……はい」
「ならば、どういう所か理解できたか?」
理解できたも何も、時折どこからともなく男女の情事中らしい声は聞こえてくるし、あからさまに敷かれた布団を見て、どういう場所なのかと理解できない年でもない。
いわゆる、江戸時代版ラブホテルといったところだ。元の時代ですら行ったことはないのに!
「戯れはここまでだ。俺は中の様子を見てくる。お前はここから通りを歩く人間を見張れ」
「……わかりました」
さっさと仕事モードに切り替えた斎藤さんを部屋から見送ると、私も窓辺へ移動し時たま通る人の人相確認に集中するのだった。
結局、数刻ほど張り込むもそれらしい人物は見つからず、その後も数日かけて捜索にあたるも大した成果をあげることもできないまま、京の屯所へと引き上げた。
今回の事件で多数の武器弾薬や書類の押収、大坂焼き討ち計画を未然に防いだとして幕府は評価してくれたみたいだけれど、隊士を募るのは江戸の人間がいいな……と、あの近藤さんまでこっそりこぼしていたらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます