092 蛍

 食事が終わると、谷兄弟は次男の万太郎さんの道場へ行くと言い、一緒に店を出たところで別れた。

 私たちもこのまま京屋へ戻るのかと思いきや、井上さんの提案で寄り道をすることになった。どうやらこの近くに、蛍がたくさん見られる場所があるらしい。


 さっそく井上さんに案内された川縁に向かうと、光っては消える小さな淡い光の玉が、川のせせらぎの中でいくつも漂っていた。

 それはまるで、見たこともないような幻想的な光景だった。


「うわぁ……。凄い! これ、全部蛍なんですよね?」

「ああ、この数は見事だろう?」


 井上さんがどこか得意気にそう言うと、私の隣にやって来た土方さんも、腕を組みながら感嘆の声を漏らす。


「蛍くらい珍しくもねぇが、確かにこりゃすげぇな」

「えっ、蛍って珍しくないんですか? 私、こうやって本物の蛍を間近で見るの初めてです」

「えっ!? 春くん、蛍を見たことないんですか?」


 一番川に近い場所に立っていた沖田さんが、驚いたように振り返った。そして、土方さんまでもがお決まりの台詞を口にする。


「お前、本当にどんな生活してたんだよ」


 普通の生活を送っていたつもりなのだけれどなぁ……。

 蛍は水質が綺麗じゃないと生きられないと聞いたことがある。都会の川に比べたら驚くほど綺麗だから、きっと、こんな光景も珍しいものではないのかもしれない。


「初めてなら、尚更連れて来たかいがあったよ」


 そんな井上さんの優しい声にお礼を告げると、川の方へと向き直る沖田さんが呟いた。


「土方さん、一応お礼言っときますね」

「何のことだ?」

「とぼけちゃって~。僕を置いていこうとしたのは、気を遣ってくれたからでしょう?」

「あ? 俺は留守を頼んだだけだ。なのに勝手についてきやがって……」


 そういえば、出掛け際にそんなこともあったっけ。結局、沖田さんを置いていこうとした理由はわからずじまいだったけれど。

 そんな私の心中を察してか、沖田さんが背を向けたまま話し出す。


「近藤さんがね、周平くんを養子にすることにしたんですよ」

「おい、総司!」


 土方さんは慌てて話を止めようとしたけれど、いずれみんなも知ることになるのだから、とやめなかった。

 そんな沖田さんに向かって一つ大きなため息をつきながらも、時々、沖田さんの話に補足をしてくれた。


 近藤さんはすでに結婚していて、江戸に奥さんと今年で三才になったばかりの女の子が一人いること。

 そんな近藤さんは、新選組局長の他に天然理心流四代目という肩書きがあり、この時代、こんな時世、男の子がいるいないは、私が思う以上に大事な問題であること。

 そして、幕府に与する新選組は過激な尊皇攘夷派からしてみれば邪魔な存在であり、真っ先に狙われるのは局長の近藤さんであること……。


 だからこそ、何があってもいいようにするべきだ……と、最初にそうけしかけたのは、ついさっき鰻を一緒に食べた谷兄弟長男の三十郎さんらしい。

 ならばと、養子を取ると決めた時点で近藤さんはもちろん、土方さんもてっきり沖田さんを養子に取るものだと思っていたら、三十郎さんの強い推しもあって周平くんになったらしい。


 土方さん曰く、武家の出身というのが決め手になったとかならなかったとか……。

 ま、まぁ……そういうコネクション的なものは、ないよりある方がいいのは確かだけれど。


「近藤さんも、一度こうと決めたらなかなか変えない人だからなぁ」


 どうやら井上さんも事情を知っているらしく、少し困ったように笑えば、つられたように土方さんも苦笑する。


「あの人が決めたことだ、反対はしねぇけどな。お前を養子にするって言った方が、まだ納得できたかもしれねぇよ」


 私が近藤さんの養子!? ないないない!

 そもそも近藤さんの養子ということは、いずれ天然理心流を継ぐかもしれないということで。だとしたらやっぱり、私も沖田さんが適任だと思う。

 沖田さん自身も近藤さんを凄く尊敬して慕っているし、何より強い。

 思わず沖田さんの方を見つめたら、振り向き様に吹き出された。


「もしかして同情してますか~?」

「いえ、そういうわけじゃ――」

「僕は、誰にも負ける気がしません。近藤さんや新選組のためにも、常に強くなりたい、強くありたいとも思っています。でもそれは、五代目を継ぐためじゃないですから。それに、五代目なんていつの話ですか? 四代目の近藤さんは、これから先もずっと健在ですよ。近藤さんを傷つけるなんてこと、この僕が許すわけないじゃないですか」


 沖田さんの言葉は微塵の迷いもなくて、自信に満ち溢れていてとても力強い。

 この話は、幹部の中でもまだごく一部の人しか知らないそうで、近藤さんが発表するまでは口外しないよう念を押された。




 目の前にはいまだ光の玉が飛び交っていて、近づくように沖田さんの隣に並べば、群れからはぐれた光の玉が一つ、弧を描きながら私の近くへやって来た。

 おもむろに手を伸ばしてみれば、掌に一匹の蛍が降りたった。よく見れば、二センチあるかないかの小さな小さな虫だ。


「蛍二十日に蝉三日……」


 沖田さんが呟いた。

 それってつまり……。


「蛍がこうして輝ける時は、それだけ短いってことですか?」

「らしいですよ」


 そうなんだ……。知らなかった。


「どうしてすぐ死んじゃうんですかね……こんなに綺麗なのに……」

「短い命とわかってるからこそ綺麗に輝くのか、輝くことで命を削っているのか……どっちなんでしょうね」


 沖田さんのその声音はどこか憂いを含んでいて、どんな顔をしているのかと気になった。

 けれど、月の見えない暗がりに蛍の灯りだけでは、その表情までは読み取ることができなかった。

 諦めて再び掌に視線を落とせば、ふわり、と飛び立った。


「あっ……」


 浮かんでは消えながら群れのなかへ戻っていく仄かな灯りに、精一杯生きて……と、小さく呟くのだった。




 京屋へと戻る道すがら、井上さんとともに前を歩く沖田さんは、まだ酔いが覚めきらないのかいつも以上に饒舌だった。

 そして、突然振り返ったかと思えば、さっきの話の続きを私に振ってくる。


「そういえば、春くんが養子だったらって話、僕も賛成ですよ~」

「え!? だから、何で私なんですか……」

「だって、春くんなら鍛えがいがあるじゃないですか~。すぐにへこたれませんし」

「あのー、この際だから言わせてもらいますけど……もう少しお手柔らかにお願いできませんか?」


 そんな淡い願いは、さも当然のように笑顔で断られた。

 うん、まぁ、わかってはいたけれど。


「例えばですけど、もし僕が五代目なんて継いだりしたら、門弟を増やすどころか減らしてしまうかもしれませんね~」

「自覚があるなら、そこをどうか……」

「そもそも、あれくらいで音を上げる教え子なんて、こっちから願い下げなんですよ。春くんみたいに根性がある人じゃなきゃ、教える価値なんてないです」


 私はただ、みんなを守るために剣術を身につけようと、必死でやっているだけなのだけれどなぁ。

 とはいえ、ここまで誉められるのは嬉しい反面、もともとあったかも怪しい女らしさが、どんどん薄れていっている気がしてならない……。

 そんな私の心配をよそに、沖田さんはすでに井上さんと冗談を言い始めていて、気にするだけ無駄だと悟った。そして、そんな背中を見ながらふと浮かんだ疑問を、隣を歩く土方さんにぶつけてみた。


「沖田さんも近藤さんも、剣術は同じ先生に教わったんですよね?」

「ああ、三代目の近藤周斎こんどう しゅうさい先生だ」

「……ですよね?」

「まぁ、お前が言いたいことはわかるがな」


 皆まで言うなとばかりに苦笑する土方さんに、私もつられてにやけてしまう。

 だって近藤さんと沖田さんは、“同じ先生に教わったから”という理由だけでは収まらないくらい、構えも掛け声も本当にそっくりなのに、教え方に関してはまるで正反対なのだから不思議で仕方がない。

 いつの間にか、そんな沖田さんとの距離が少しだけ開いていたので、こっそりと小さな声で本音を告げてみた。


「さっき話を聞いた時、正直ちょっと不安だったんです。沖田さんはいつも通り飄々としてるけど、本当は落ち込んでるんじゃないかなって」

「あいつは良くも悪くも自分に正直な奴だ。言葉も態度も嘘はねぇ。だから、心配なんざしなくていい」

「はい」

「とは言っても、今日ばかりは本音半分、強がり半分だろうけどな」


 そっか。まぁ、そうだよね……。


「お前も、今まで通りでいてやってくれ」

「はい! もちろんです!」

「ありがとな」


 私を見下ろす土方さんは、どこか安心したように微笑み私の頭をポンポンと撫でた。

 時々、口うるさいお父さんのようになる土方さんだけれど、今は、喧嘩もするけれど仲が良い、手のかかる弟の面倒をみるお兄ちゃんに見えるのだった。

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