072 夜の巡察②
すでに状況は最悪だった。再び男が刀を振り回そうものなら、次は他の隊士たちも黙ってはいないだろう。
同じ失敗はしたくない。
「私がすぐに抜刀しなかったせいで、隙を与えてしまったのがいけないんです、すみません! それから、助けようとしていただいたことには感謝します。ありがとうございます! でも、ここは私に任せてもらえませんか!?」
「しかしっ!」
「お願いしますっ!」
叫ぶように告げると、返事も待たずに刀を突き立てヨロヨロと起き上がる男の前に回り込んだ。
一つ大きく息を吐き出せば、視界の真ん中に男を捉え刀を正面に構える。
「これ以上の抵抗はやめて、今すぐ刀を置いてください!」
刺すような沈黙が流れたあと、事態はすぐに動いた。何の前触れもなく、男が後ろへバタンッと倒れたのだった。
「……へ?」
すでに刀は手から離れ、一瞬にして隊士たちに取り囲まれる。
何がどうなっているのかと私も近づき男を見下ろせば、何と大いびきをかいて寝ていた。
「……はい?」
見るからに泥酔していたけれど、暴れるだけ暴れて寝たってこと? 何それっ!?
納刀した途端気が抜けて、へなへなとその場に座り込んだ。
全く、人の気も知らないでグースカ寝ちゃって! 下手したら、永遠の眠りについていたかもしれないんだからねっ!?
……なんて、心の中で叫びながらも心底ホッとしていた。
「さっきのって、例の心眼?」
「え? あー、はい。そうです」
いつの間にか隣に立つ藤堂さんが、寝たまま縛り上げられる男を見下ろしながら訊いてきた。
「へー」
「へー……って何ですか。へーって」
緊張感のない藤堂さんの返事がおかしくて、思わずクスッと笑ってしまった。
見上げた藤堂さんの顔は、どこか驚いているように見える。
「春、何か変わったね」
「え?」
「強くなった」
「そんなことないですよ。心眼があるとはいえ、まだまだ藤堂さんの足元にも及びません」
「そっちじゃなくて……」
剣術のことじゃなければ何のこと?
全く思い当たらなくて、きょとんと藤堂さんを見つめ返した。
「今日の春はいい顔で笑ってるから」
「えっと……どういう意味ですか?」
「何でもない。こっちの話。それより、引き分けだね」
「何がですか?」
「生け捕った数」
「はいっ!?」
そんなことまで勝負しなくていいからっ!
翌日、目が覚めたらすでにお昼だった。いつもの土方さんだったら、布団を剥がす勢いで起こしてくるはずなのに、その背中は静かに書き物をしていた。
「おは……いや、おそよう……ございます。寝過ぎました……」
「構わねぇよ。俺だって夜勤明けの奴を叩き起こしたりはしねぇさ」
どうやら、そこまで
まさか、心の声まで聞こえたのか!?
「そういや……って、何をそんなに驚いてやがる?」
「べ、別に? 気のせいじゃないですか?」
「どうせ、ろくでもねぇこと考えてたんだろ」
なんでバレてんのさ!
「まぁ、いい。昨夜お前らが捕まえた二人組な、富澤さんと一緒に仕事で上洛してた武州人だった」
「それって……富澤さんの仕事仲間だったってことですか!?」
「まぁ、そうなるな。斬られそうになってたの防いだんだってな」
「防げてよかったです。本当に……」
うまくいって、本当によかった。
しばらくすると富澤さんが屯所へやって来て、例の武州人二人を引き取って行った。詳しい事情も聞いたようで、もの凄く感謝されてしまった。
とはいえ、当の本人たちは相当酔っていたようで、斬られかけたことはおろか、自分が刀を振り回して暴れていたことすら覚えていなかったらしい。
目が覚めたらここはどこ……という状態だったとか。
全く、いつの時代も迷惑な酔っぱらいはいるものなのね!
この日の私の巡察は、昨夜休んだ隊士が回復したので交代となった。
急にできた暇をもて余すように屯所の中を歩いていると、お団子を咥えて歩く沖田さんに遭遇した。
手にした包みを顔の辺りまで持ち上げて、何やら話しかけてくれているのだけれど……。
「いっひょに、たへまふか?」
「……いいんですか?」
一緒に食べますか? ……と脳内で再生されたけれど、どうやら間違いではなかったらしい。
お団子を咥えたままこくこくと頷く沖田さんに促され、一緒に縁側へ行き並んで腰掛けた。
夜とは打って変わってお日様の届く縁側は、明るくて暖かくて気持ちがいい。時折吹く風はまだ少し冷たいけれど、微かに花の香りを含んでいて、春の訪れを感じさせてくれる。
隣で包みを開ける沖田さんを見ていると、花より団子……そんな言葉が頭の端を過るけれど。
沖田さんからお団子を手渡され、さっそく口に入れようとした時だった。
「あっ!」
何かを思い出したらしい沖田さんの声に驚いて、口を開けたまま首だけを沖田さんの方へ向ける。
「春くん、僕の愚痴を聞いてもらえませんか?」
「どうしたんですか? もちろん、いいですよ」
「本当ですか? 嬉しいな~」
「いったい、何があったんですか?」
普段明け透けな沖田さんが、こうして改まって愚痴を聞いて欲しいだなんて、よっぽどのことがあったに違いない。
一度食べるのをやめ、お団子が刺さったままの串を手に持ったまま、沖田さんの言葉を待った。
「土方さんがね、僕の部屋に鬼の形相で乗り込んで来たんですよ」
「え……何でまた……何したんですか?」
土方さんはきっと、おい、総司! とか言いながら乗り込んだに違いない。そんな状況がいとも簡単に想像できてしまう。
「あ~酷いなぁ。僕が何かしたって思ってますね?」
「え、ええ……まぁ。だって、沖田さんていつも、土方さんをわざと怒らせるようなことしてるじゃないですか?」
「まぁ、否定はしませんけど」
あ、やっぱり否定はしないんだ。今度はいったい何をやらかしたんだ?
「それがですね、どこかの誰かさんが『土方さんの句集を僕が持っている』って言っちゃったみたいなんですよね」
「そうなんですか……でも、土方さんの句集なんですよね? 何で沖田さんが持って……」
って、土方さんの……句集?
それってまさか……。
「豊玉発句集!?」
「そう、それです」
「いやいや、あれのせいで私、とばっちり受けたんですからね!」
「それは災難でしたね~」
お、沖田さんめっ! まるで他人事みたいに!
「それで、句集はちゃんと返したんですか?」
「まさか~。僕の部屋を荒らすだけ荒らして、相当悔しそうにしながら帰って行きましたよ」
ということは、まだ返していないのか。
「あれ? でも、全部暗記してるって言ってませんでしたっけ?」
「してますよ」
「なら、返しちゃってもいいじゃないですか」
「わかってませんね~。現物をちらつかせてからかうのが楽しいんじゃないですか~」
そう言うと、飛びっきりの笑顔を見せてくれた。
これはきっと、沖田さんなりの愛情表現……うん、きっとそう、そういうことにしておこう。
「食べないなら僕が食べちゃいますよ?」
「え?」
気がつけば、あんなにあったお団子は全て沖田さんが平らげていて、二人分の視線を集めているのは、私の手元にある最後の一本だった。
「こ、これはもう私のですっ!」
「冗談ですよ~」
慌てて頬張る私に、沖田さんがケラケラと笑いだした。そんな沖田さんの無邪気な笑顔に、私もつられて一緒に笑うのだった。
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