036 逃げ出した先で

 雨の中を角屋へ戻っている間、土方さんと沖田さん、そして、山南さんと原田さんが、八木邸の母屋へ向かったらしい。

 亡くなったのは、芹沢さんとお梅さんと平山さんの三人で、平間さんは逃走して今も行方知れずだという。

 三人を殺害したのは、長州の人間の仕業だと隊士たちに伝えられた。


 芹沢さんと平山さんの葬儀は前川邸にて盛大に行われ、たくさんの弔問客も訪れた。

 局長である近藤さんが暗殺の命令を知らないはずはないし、直接手を下したわけでもないけれど、弔辞を読み上げるその姿は本当に悲しそうで、時折、声を詰まらせていた。


 近藤さんだけじゃない、土方さんも沖田さんもみんな同じ。

 自分たちで殺したくせに、悲しそうだった。

 私も見殺しにしたくせに、悲しかった。

 殺さずに済むのなら、きっとそれが一番良かったんだ。




 二人の葬儀が終わると、一足先に部屋へ戻り、日が傾き始めた空を見ていた。

 葉擦れの音を立てるひんやりとした風が、私の頬を撫でていく。


 まだ、お梅さんの葬儀は終わっていない。ご遺体も八木家の庭に置かれたままだ。

 元々お梅さんは、菱屋という呉服商の主人の妾だったらしく、その主人にご遺体を引き取るよう交渉しているらしい。


 お梅さんと芹沢さんは想い合っていたのだから、一緒に供養してあげたらよかったのに。それは許されなかった。

 新選組筆頭局長と妾を合葬することはできない、と近藤さんが強く反対したのだ。

 筆頭局長という芹沢さんの立場を考えれば、近藤さんの言い分も理解できるけれど。

 お梅さんの覚悟を目の当たりにした私には、納得なんてできなかった。

 けれど、お梅さんのご遺体はいまだ庭に放置されたまま……それが現実だった。


 芹沢さんとお梅さんのことを考えていたせいか、気づけば芹沢さんの部屋の前に来ていた。

 けれどそこにはもう、当たり前のように杯を傾ける芹沢さんの姿も、穏やかな顔で寄り添うお梅さんの姿もない。

 誰もいない部屋に残されたのは、染み込んで拭いきれない赤黒い血液の跡、そして、鴨居にできた真新しい刀傷だった。


 ここで何が起きたのかなんて、容易に想像がつく。もう芹沢さんもお梅さんもいないのだと、思い知らされる。

 そして、私も無関係ではないのだと。


「何やってんだろ……」


 こうなるとわかっていたのに、防ぐことができなかった。芹沢さんの暗殺を止めていれば、お梅さんも平山さんも死なずに済んだのに。

 未来から来た私になら……結末を知っている私になら変えられると、そう思っていた。

 けれど、できなかった。ただの傲りだった。自分の存在意義を見つけたような気にさえなって、思い上がっていただけだった。


 私のせいで、芹沢さんたちは殺されてしまった。

 私のせいで、土方さんたちに殺させてしまった。

 それが私に突きつけられた、紛れもない現実だった。


 気がつけば、屯所を飛び出していた。

 ……違う、逃げ出していた。


 帰りたい、今すぐに。本来、自分のあるべき場所に帰りたい。そうしたら、こんな思いなんてしなくて済むのだから。全部、遠い遠い昔話なんだって思えるのだから。

 たとえ帰れなくても、助けられるはずの命を消してしまった私には、ここにいる意味なんてないから。


 ただひたすら走った。走って走って逃げるように走って、賑わう市中を抜けたあとは、辺りはとても静かだった。

 草木の揺れる音、そこに混じる虫の音だけがやたら寂しく響いていて、行く当ても帰る場所もない今の私には、ここがどこなのかでさえもうどうでもよかった。


 頭上に広がり始めた夕焼けは、いずれ闇に飲み込まれる。このまま野垂れ死ぬかもしれない。盗賊にでも襲われて、呆気なく死ぬかもしれない。

 だとしても、それはきっと私が受けるべき罰。人を見殺しにしておいて自分は死にたくないなんて、そんなの赦されるはずないのだから。


 おかしいな……恐怖で足がもつれたのかな……。

 勢いよく転んで、気づけば地べたに突っ伏していた。

 膝や肘がじんじんと痛い。砂利を巻き込んで、擦りむいた感じがする。痛くて痛くて涙まで溢れて来るから、起き上がることもせずそのまま泣いた。子供のように声を上げて泣き続けた。


 そのうち声は枯れて、それでも涙だけは止まらなくて。顔を上げることもできないまま突っ伏していれば、砂利を踏みしめる音が聞こえた。

 全てがどうでもいいと、投げやりとも諦めともとれる感情で伏せ続けていれば、徐々に近づくそれは私のすぐ横で止まり、優しく頭を撫でられた。


「春、僕のところにおいで。僕は一度、京を離れる。だから一緒に行こう」


 この声とその物言い……ゆっくりと顔を上げれば、やっぱり名前も教えてくれないあの人だった。

 京を離れて、どこへ連れて行こうと言うのだろう。私が本当に行きたい場所は、たった一つしかない。


「あなたについていけば、私は、本来あるべき場所へ帰れますか?」

「ごめんね、君の帰りたい場所へ帰してあげることは、たぶん僕にもできない。でも、君が望むような未来を見せてあげることはできるよ」


 私が望むような未来?

 あなたたちの言う未来なんて、私にとっては生まれるよりもずっと前、過去でしかない。

 そんなものが見たいわけじゃない、とため息をこぼしながらゆっくりと起き上がれば、目の前の人は懐から手拭いを取り出して、私の涙と土で汚れた顔を優しく拭き始めた。

 もしもこの手を取ったなら……。どうせ帰れないのなら……。


「あなたの側なら、誰も死なないですか?」

「残念だけど、僕のところに来たからといって、人の死と無関係に生きて行けると約束はできない。だけど、こんな時世だ。きっとどこにいても同じだよ。でもね、僕らは仲間を食い殺すだけの狼とは違う。君を、そんな風に泣かせたりはしないよ」


 仲間を食い殺す……。


「そんな言い方しないでください」


 みんなやりたくてやったんじゃない。あんなこと……仲間を殺すだなんて、したくなかったに決まっている。

 だからこそ、そうなると知っていた私が止めるべきだったんだ。


「事実を言っただけだよ。君が新選組に来る前だって、何人も死んでる。これからだって、似たようなことが起こるかもしれない。君は、知ってるんでしょう?」

「――っ!」


 この人は、私が未来から来たことを知っているの?

 けれど、そう考えると今までの会話にも妙に納得がいく。

 新選組以外の人に、ましてや新選組を敵視している人にバレているなんて、相当まずいような気がする……。


「そんな顔しないで。君の秘密をバラすつもりはないよ。君を悲しませるようなことはしたくないからね」

「秘密なんて、何も……」


 咄嗟に誤魔化そうとするも、掠れた声は想像以上に震えていた。

 わかりやすいね、と小さく吹き出すその日人は、微笑みながら私の頭を撫でてくる。

 ふいと顔を逸らせば、耳の近くの髪を一束掬い上げられた。


「一緒に行こう」


 やっぱりこの人は、私が未来から来たことを知っている。バラすつもりはないと言いながら、一緒に行こうと誘ってくる。

 もし拒めば? ついて行かなければ、バラすつもりなのでは?

 恐る恐る視線を交わらせた。


「脅してるんですか?」


 全てがどうでもいいと泣いていたのに、今は冷たい汗が一筋、背中を伝い落ちる。

 けれど、目の前の人は私の髪を弄びながら、おかしそうに笑った。


「そんなつもりはないよ。だけど、君がそう感じるってことは、その秘密は真実、なのかな?」

「え……なっ、何のことですかっ!?」

「僕はさ、君のそういう素直で嘘のつけないところや、物怖じしないところを気に入ってるんだ。だから一緒に来て欲しい。そして、この国を変えるために力を貸して欲しい。新選組のように、君を泣かせたりはしないからさ」


 力を貸す? それは、私の知っている未来の情報のことを言っているのだろうか。

 けれど、それより先に訂正したいことがある。


「私が泣いていたのは、新選組のせいじゃないです。私自身が無力すぎて、悔しくて泣いていただけですから。芹沢さんたちのことだって、私が止められなかったからで――」

「こんなにされてまで、どうしてそこまで新選組に肩入れする?」


 そう言って目を細めるその人は、摘まんでいた髪をさらさらと少しずつ解放していった。


「これは、私が自分で決めたことです」


 たとえ限られた選択肢しか与えられなかったとしても、その中から選んで決めたのは私だから。

 髪を切ったことも。いつか帰れるまでは、意地でも生き抜いていくと決めたことも。新選組のみんなを助けると決めたことも。

 全部、自分で決めたことだから。


 ――新選組の行く末を、その目で、お前自身でしかと見届けろ!――


 そうだ。

 芹沢さんのそんな無茶振りでさえ、わかりました、と決断したはずだった。


 それなのに、今の私は逃げているだけじゃないか。決断するだけして、望まない結果からは目を背けて逃げている。

 目の前の人は、どこにいても人の死と無関係に生きていくことはできないと言っていた。どこにいても同じなら、許されるのなら、やっぱり私は新選組にいたい。

 みんなを助けたい。芹沢さんに託された願いを叶えたい。たとえそれが、秘密をバラされることになったとしても!


「私は……あなたにはついて行きません」


 はっきりとそう告げた。

 目の前の人は何か言いかけるけれど、視線を私のずっと後ろへと移すと、残念、とだけ呟き再び私を見た。


「お迎えが来たみたいだよ。しばらく会えなくなるから……僕のこと忘れて欲しくないから教えておくね」


 そう言って、私の顔の横に自分の顔を寄せ、耳の近くで囁いた。


「僕の名前は桂小五郎かつら こごろう。長州藩士だ。今の君とは敵同士になる。でも、僕は君と戦いたいわけじゃない」

「桂小五郎……」


 ……って、土方さんが探していた人?

 不意に、ずっと後ろの方から私の名前を呼ぶ声がして、振り返れば、土方さんがこちらへ向かって走って来るところだった。

 同時にすっと立ち上がる桂さんが、私を見下ろして言う。


「春、君は新選組にいるべき人間じゃない。僕たちのところにいるべきだ。もし、また新選組が君を泣かせるなら、次は無理やりにでも連れて行くよ」


 言葉は乱暴なのに、その声音と表情はとても優しい。

 またね、といつもの笑顔で言い残し、土方さんとは反対方向へ走って行った。

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