004 文久三年、八月十五日①

 開け放たれた障子から見える空は、もうすっかり夜だった。

 障子を背に座るのは芹沢さんで、その左列には私に斬りかかってきた新見さんが、そしてその反対側には、助けてくれた土方さんと源さんと呼ばれていた二人が並んで座り、距離はあるものの、私は芹沢さんと対面する位置に座らされている。

 部屋には蛍光灯どころか電球すらなくて、時代劇で見るような行灯あんどんと呼ばれる照明器具が、淡い光を放っていた。


 私たちがいるのは島原という場所にある、角屋というお店の一室。入り口の提灯を見て、かどや……と口にした私に、すみやと読むんだよ、と源さんと呼ばれる人が優しく微笑み教えてくれた。

 怖い人たちの仲間とはいえ、この人だけは道中も私を気遣ってくれたりと、おそらく根っからの良い人なのだと思う。


 ちなみに、ここも京都だという。私が轢かれた場所とは雰囲気が全く違うけれど……。

 だって、角屋へ来るまでの街並みやすれ違う人々の出で立ちは、時代物の映画そのものだった。

 けれど、そこにあるはずのカメラや照明、スタッフ、これは作り物なのだと証明する物を見つけることはできなかった。


 お酒を運び終わった仲居たちが出ていくと、トンと襖の閉まる音が部屋に響く。居心地の悪い沈黙に支配される前に、恐る恐る口を開いた。


「あ、あのー……」


 一斉に視線を集めてしまい若干後悔するけれど、ここで諦めるわけにはいかない。

 兄の顔がちらついた理由が何となくわかり、それを確かめる機会を窺っていたのだから。


「あ、改めまして……琴月春ことづき はるといいます。よろしければ、みなさんのお名前をお訊きしてもいいですか?」

「そういえば、俺以外はまだ名乗ってなかったか。さっきも言ったが、俺は芹沢鴨せりざわ かも、壬生浪士組の筆頭局長だ」


 芹沢さんは手酌で並々と注いだお酒を豪快に飲み干すと、空の杯を自身の右手側へと伸ばしながら言葉を続ける。


「そっちのお前に斬りかかってたのが副長の――」

新見錦にいみ にしきだ」


 芹沢さんを遮り自ら名乗った新見さんは、不機嫌さを隠すこともこちらを一瞥することもなく、手にした杯の残りを一気に飲み干した。

 コトッと空になった杯がお膳に置かれる音を合図に、向かい側で腕を組んで座る土方さんが、顔だけをこちらに向けて無表情のまま口を開く。


「同じく、副長の土方歳三ひじかた としぞうだ」


 その名に思わず息を呑めば、土方さんの眉間に皺が寄る。訝るような鋭い眼光に怯みかけるけれど、私の一番近くに座っている人から向けられた、優しい声音と笑顔に視線を移した。


「俺は、井上源三郎いのうえげんざぶろうだ」


 すでに絵柄のわかったパズルを前に、それでも残りのピースをはめてスッキリした、そんな気分だった。

 正直、全く知らない名前の人もいるけれど、フルネームで聞いたその人たちは、兄が散々口にしていたヒーローたちと同じ名だ。

 一度目を閉じ呼吸を整えてから、答え合わせをするように訊く。


「新選組……ですよね?」


 真っ先に反応したのは土方さんだった。


「しんせんぐみ? 聞いたことねぇな。俺らは壬生浪士組だ」


 さっきより明らかに怪訝な顔をしているけれど、土方歳三を名乗るのに新選組を知らないなんて、そんなことあるのだろうか。

 この私ですら知っているのに……とその顔を見つめれば、また一つ眉間に皺が増えた。

 命の恩人に対して言いたくはないけれど、人を射抜くような視線は正直怖い。穴が開いてしまう前に、もう一つ気になっていることを訊いてみる。


「あの……どうしてコスプレなんてしてるんですか? それも、揃いも揃ってお侍さん――って、そういえば刀! 何で本物を持ち歩いてるんですか? 捕まりますよね? それともやっぱり、よく出来たレプリカなんですか?」

「れぷりか?」

「え? ええっと、模造品です。つまり、よくできた模造刀なのか――」


 私の語尾が掻き消されたのは、勢いよく立ち上がった新見さんが、ガシャンと大きな音を立ててお膳をひっくり返したからだった。


「貴様っ! 本物かどうか今すぐ試してやろう! そこへ直れ、手討ちにしてくれる!」


 そう怒鳴るなり、手にした刀を抜刀した。同時に、土方さんと井上さんが制止の声をあげながら腰を浮かせる。

 二人が間に入っているとはいえ、今にも飛びかかってきそうな気迫に思わず後ずさるも、芹沢さんの鶴の一言が、またしてもあっというまに場を収めた。

 そして、その強い瞳の内に私を捉えた。


「なぁ、春。時折飛び出す不可解な言葉は、異国のものだろう? この時世に異国の着物といい、言葉といい、異国かぶれの輩なんぞ女とて斬られても文句は言えんぞ」


 物騒なことを平然と言ってのけるけれど、あまりに突飛過ぎて頭が追いつかない。

 だいたい異国の着物って何……。


「この格好、そんなにおかしいですか? 奇抜でもないし、ありきたりな組み合わせだと思うんですけど。言葉だって、難しい横文字を使っているつもりはないんですが……」


 どういうわけか、全員から驚きと奇異の目が向けられていた。井上さんなんて、持っていた徳利を落としそうになっている。

 正直、この人たちにだけは変人呼ばわりされたくない。


 微妙な空気が漂う中、咳払いした土方さんが新見さんと何があったのかを訊いてきた。

 通行の邪魔をしてしまったろころから、二人に助けを求めるまでのやり取りを説明するも、背中を蹴られたことは華麗にスルーされ、なぜ壬生浪士組と聞いて立ち去ろうとしたのかを問われた。


「怖いお兄さんたちの集まりだと思ったので……」


 すでに半分開き直ったこの状態で、今さら隠す意味はない気がして正直に答えた。

 だって、あの時は本当にコスプレしたヤクザかもしれないって思ったんだもの。

 呆れ返る土方さんの横で、もう堪えきれないとばかりに井上さんが吹き出した。


「ぶはっ。怖いお兄さんかぁ、ははは。確かに“壬生狼みぶろ”って呼ばれるくらいだもんなぁ。女子おなごにとっちゃ狼は怖いよなぁ」

「みぶろ?」


 どうやら壬生浪士組と狼をかけて、壬生狼と呼ばれているらしい。

 コスプレヤクザの次は狼か……なんて冗談はさておき、この町で警らの仕事を主としている組織だという。

 それなのに狼……。そんな人たちに囲まれて無事で済むのだろうか、と一抹の不安を覚えれば、井上さんが苦笑した。


「春はどこから来たんだ? 京出身じゃないだろう? ここの人間なら、良くも悪くも俺らのことを知ってるだろうからなぁ」


 壬生浪士組ってそんなに有名なのか。新選組なら知っているのだけれど……と心の中で呟いたつもりが、土方さんに睨まれた。

 なぜバレたのか。


 すっと視線を逸らし、観光中に車に轢かれ、気づけばあそこで寝ていたのだ伝えると、井上さんが心配そうな顔で私の肩に手を乗せる。


「車って、大八車に轢かれたのか!? そりゃあ災難だったな」

「だいはちぐるま? よくわかりませんが、どこにでもあるような一般的な自動車でした」

「じどうしゃ? 何だそれは?」


 そう口にしたのは井上さんだけれど、なぜか全員が井上さんと似たような表情で私の顔を見つめている。

 早さを増す鼓動が胸を騒ぎ立てるけれど、薄々感じていた違和感も自動車の話も、全部無理やり隅に追いやり話を戻す。


「えっと……京都へは旅行で来ていて、その、住んでいるのは東京です」

「とうきょう? どこだそれは?」


 井上さんの一言に、心臓の音はさらに加速する。

 全力で否定して欲しいと願いながら、バカらしいとも思える質問を投げかけた。


「もしかして……江戸って言えばわかりますか?」


 我ながらおかしな質問だと呆れるけれど、優しい井上さんは笑顔で私の期待を裏切った。


「何だ、江戸か! 俺や歳も多摩出身だぞ。近いじゃないか。とうきょうなんて言うからわからなかったぞ。そうか、江戸かぁ」


 …………やっぱり。

 東京が通じなくて、江戸が通じちゃうんだ……。


 激しく暴れ回る鼓動の合間を縫って、一つ一つ整理する。

 異世界にでも迷い込んだのかと思ったりもしたけれど、その可能性は低いと思う。だって、もっとずっとしっくりくる単語が浮かんでいるから……。

 それは、この部屋に入る前から薄々感じ始めていて、ここで言葉を交わすたびに真実味を帯びていった。


 こんなおとぎ話みたいなこと、認めたくなんかないし、あまりにも非現実的過ぎて、普通なら受け入れられない。

 けれど、今日の私には、信じられないようなことばかり起きている。このまま気づかないふりをし続けるのは、もう限界だった。


 頭に浮かぶ単語をそのまま口にしても、おそらく通じないだろう。わかるように説明するには、まずはそれが事実なのかを確認しなければならない。

 一つ大きく深呼吸をして、騒ぐ心臓を無理やり落ちつかせた。


「……今って何年ですか?」


 こんな質問、いつぶりだろう。

 すぐに土方さんのため息が聞こえた。


「お前大丈夫か? 文久三年だろうが」

「ぶんきゅう……ぶ、文久!?」


 兄の口から聞いたことのある元号だ。それってやっぱり……。


「すみません、西暦だと何年ですか?」

「せいれき? んな元号知らねぇな。文久三年の八月十五日だ」


 つまり、旧暦の時代……。

 これはきっと夢だ、夢に違いない。そう思いながら思いっきり頬をつねってみたけれど、涙が出そうなほど痛かった。


「タイムスリップ……」


 つねっていた手を離せば、ぽつりとそんな言葉がこぼれた。

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