002 目覚めたら……

 瞼に差す光が眩しくて、もう少しだけ……と蹴り飛ばしてしまったであろう布団を引き寄せようと、足元へ手を伸ばした。

 けれど、どこまでいってもふかふかには辿りつけず、指先に触れるのはザラザラとした感触だけ。どこか懐かしい土の匂いまでしてくるから、ぴたりとくっついていた瞼を無理やりこじ開けた。

 一気に光を吸収した視界はまだ少し霞んでいて、身体を起こして目元を手の甲で擦れば、やがて浮かび上がる光景に目を疑った。


「えっ、ここ……どこ……」


 広がる田園に所々見える建物は木造っぽくて、座り込んだままの道路は舗装すらされていない。指先のザラザラとした感触は、小石の混じる乾いた土だった。

 都会にはないどこか懐かしさを覚えるものの、自分の部屋のベッドで寝ていたとばかり思っていただけに、頭の中には?マークがずらりと並んでいる。


 ふと、片方の手を強く握っていることに気づき、ゆっくりと開いた。

 そこにあったのはしわくちゃになった一枚の白い花びらで、反対の指で摘まみ上げようとしたけれど……突如発生した強い風に、空高く吹き上げられてしまった。

 やがてひらひらと舞い落ちる、その様を目で追っていたのに見失ったのは、消えてしまったから。


 刹那、脳裏に閃光が走った――

 兄と一緒に京都へ来ていたこと。桜吹雪に見惚れてそして……車に轢かれてしまったこと。

 直前までの記憶を一瞬にして押し込まれたような感覚。


 あのあと私はどうなったのだろうか。

 車に轢かれたはずなのに、どうしてこんな所で寝ていたのか。

 まさか、異世界で第二の人生スタートしました?


 いや、ないでしょ……。

 とりあえず、お兄ちゃんにでも電話しよう。


 ここがどこなのか見当もつかないけれど、こんな不自然な状況の中に一人でいたくない。

 スマホを取りだそうと腰元を探ってみた。目線を落として、前後左右ぐるりと叩きながら探ってみたけれど……。


「……ない」


 慌てて周囲を探したけれど、近くには落ちていなかった。

 人通りもないから助けを求めることも出来ず、とにかく必死になって探すも時間ばかりが経過した。


 気づけばもうじき太陽は沈みそうで、追いやっていたはずの絶望感が一瞬にしてのし掛かる。

 思わずその場にへたり込むと、現実逃避のごとく赤く染まった空を見上げた。


「綺麗……」


 空気が澄んでいるのか、初めて見るような美しい夕焼け空が広がっていて、少しの間、徐々に色を変えていく様に見惚れてしまった。

 けれど、やがて真っ暗になる空を想像して我に返った。

 街頭もなさそうなこんな場所で一人とか……無理!


 こうなったら、民家を訪ねて助けを求めよう。

 半ば開き直りの勇気を奮い立たせ、立ち上がろうとしたその時だった。


「そこをどけ!」


 突然、背後から聞こえた低く鋭い声に振り返れば、そこに立っていたのは二人の男性だった。

 一人は背が高くて恰幅もよく、何だか熊みたいな人だった。

 私に声をかけたであろうもう一人は……普通。熊さんほどのインパクトが見当たらない。

 けれど……二人とも羽織に袴という和装をしていて、よく見ると腰には刀まで差している。


 お侍さんのコスプレ?

 物珍しさについじろじろと見てしまえば、熊さんじゃない方が再び声を荒らげた。


「無礼者! さっさとそこをどけっ!」

「ふぎゃ!?」


 いきなり私の背中を草履の裏で蹴るもんだから、勢いよく前に突っ伏しおかしな声が出た。

 道のど真ん中で座り込んで邪魔だったのも、凝視して失礼だったのも認めるけれど。

 蹴らなくたっていいじゃない!


 一方的な暴力に苛立ちを覚えるも、噛みついてはいけないと野生の勘が訴える。

 グッと気持ちを抑えて立ち上がると、服についた土をさっと手で払い、すみませんでした、と道を開けた。

 けれど、大人の対応をしたつもりの声色は、自分でも驚くほど不機嫌で全然大人じゃなかった。


 せっかくの第一村人発見だけれど、おそらくこの人たちには関わらない方がいい。

 他の人を探すべくこの場を立ち去ろうとするも、男はなおも声を荒らげる。


「待て! 貴様、先ほどからその非礼な態度、我らが壬生浪士組みぶろうしぐみと知ってのことか!?」


 みぶろーしぐみ?

 組を名乗る上にその風貌と威圧感、まるでヤクザだ。

 今時のヤクザはコスプレもするのか?

 なぜ侍なのか、色々気になることはあるけれど、あまり関わってはいけない人たちであることに変わりはない。


「急いでいるので……」


 そう言い置いて背を向けた時だった。

 怒号とともにすうっと何かを引き抜く冷ややかな音がして、半ば反射的に振り返る。あろうことか、男は刀を構え、まるで獲物を見据えるかのごとく鋭い視線と切っ先で、私を捉えていた。


「動くな!! 逃げれば斬る! 壬生浪士組と聞いて逃げようとしたんだ、後ろめたいことでもあるんだろう?」

「……へ?」


 逃げれば斬る?

 どこまでなりきっているの!?


 本物なんて見たことないけれど、あんなに堂々と腰に差していたのだから偽物に決まっている。じゃなきゃ、銃刀法違反で捕まるはずだもの。

 だから、突きつけられている刀はレプリカのはずなのに、その刀身も男の瞳も鋭く光っていて、思わず息を呑む。


 どちらにせよ、関わっちゃいけない人だと思うから、久しくフル回転の頭でこの場から逃げる方法を探る。

 足の早さには自信があるし、小さい頃から身体を動かすことだけは得意で、そんじょそこらの男子になら今でも負ける気がしない。

 ただし、相手の力量がわからない今、無闇に走って逃げ出すのは得策ではない気もする。万が一逃げ切れなかった場合、レプリカなら斬られることはないけれど、骨折くらいはするかもしれない。


 ……ところで、どうして熊さんは静観しているのだろうか。

 仲間が見ず知らずの人に暴力を振るおうとしていたら、止めたりするのが普通だと思う。

 何とかして下さい、という意味を込めて目を合わせるも、相変わらずの無表情で傍観を決め込まれた。


「何なの……」


 ああ、もう!!

 その瞬間、頭の中で何かが弾ける音がした。大きく息を吸い大げさにため息をつくと、あとはもう止まらなかった。


「私の行動もいけなかったですよね、それは認めます。すみませんでした。でもですよ、いきなり蹴るのもどうかと思いますよ!? だいたい、見ず知らずの相手に『逃げれば斬る』とか、いい大人がそんなおもちゃ振り回してお侍ごっこして、恥ずかしくないんですか!? 意味わかんないんですけど!」


 言い終わるや否や、怒りをあらわに叫ぶ男の頭上で、殺気に満ちた刀が僅かな夕日を浴びて赤く煌めいた。


 殺される――――


 一日に二度も死の覚悟を迫られるとか、己の運のなさに嫌気がする。

 神様はそんなに私のことが嫌いなのだろうか。

 ……なんて、そんなくだらないことを考えてみても、身体は勝手に目を瞑り、同時に両手で頭を隠すように防御姿勢を取る。

 そして、ヒュンっと風を斬る音がした、その時。




 ――――世界が、揺れた――――




  脳天を揺さぶる様な一瞬の激しい揺れに目眩を起こし、立っていることすらできずその場に崩れ落ちた。

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