異形の内懐
王子
異形の内懐
初夏だというのに男はコートを羽織っていた。ボタンは首元から膝下まで一つ残らずぴっしりと留め、濃紺の帽子を
駅を出ると、暑さで蒸れた背中を丸めてビルの外壁沿いに歩を早めた。その先に、地べたに敷いたダンボールの上、あぐらをかいて座り、行き交う人の波を見据える生き物がいた。生き物と形容する他ないと男は思った。
生き物に
ふと足元を見れば、小銭が数枚入ったブリキの箱がある。そこに五千円札を放り込んだ。
「なんでそうなったのか教えてくれないか」
コートの男が問うと、生き物は「けへへ」とかすれた笑いを漏らした。
「人様のお時間を頂戴してお聞きいただくほど、面白くもなけりゃあ大層な話でもございません」
生き物が
「話したくなかったならすまない。こんなこと聞くべきじゃなかった。忘れてくれ」
男が
「こうやって道端に座っていますとね、たまに話しかけてくる人もいるもんでしてね。いろんな人がいるもんです。酔っ払ってヘラヘラしながら『あんたなんでそんなことになっちゃったの』なんて言う奴もいれば、表情と声音こそ優しそうで『不自由ないですか』ってな奴も、目が妙にランランと輝いてやがる。どうせ酒の席で話のネタにするつもりなんでしょう。気の毒そうな顔して『心中お察しします』なんてのもいる。あたしの心中の何が分かるっていうんでしょうねえ」
男はまじまじと生き物を観察した。頭には人間サイズに引き伸ばしたようなウサギの耳。逆に収縮させて取り付けたような腕は、黒々として硬そうな体毛で覆われていた。ゴリラの腕だろうか。右足首の先は水かきのついた黄色い足で、もはや何の動物か分からなかった。
「まあ、こんなナリですから致し方ないでしょう。でもあんたみたいな人は初めてでしてね。そんな張り詰めた顔して聞きたがってる人を
男は思わず自分の顔を手のひらでさすった。何もかも見透かされているようで、継ぐべき言葉を考えあぐねてしまう。男の動揺を汲んで、生き物が口を開いた。
「心配しなさんな、ダンナを問い詰めようってんじゃあないんだ。むしろ恵んでもらった分あたしが話さなきゃあならない。大した話じゃあございませんが」
生き物が語った事の次第はこうだ。
ほんの十年前までこの国は西洋の国々を相手に戦争をしていた。始めは各地で快勝を続けていたものの、戦況は徐々に雲行きが怪しくなり、
「この国は復興に全力を挙げて、いつの間にか先進国と肩を並べるほど豊かになった。動物の四肢を抱えたままのあたしたちを置いてけぼりにしてね。聞いた話ですがね、医者に見られるのをためらって自分で切り落とした人もいるそうですよ」
押し黙って聞き入っていたコートの男の額から、汗がぽたり、アスファルトを濡らした。
「昔話はこれでおしまい。ご
通り過ぎる人々は、相変わらず足を止めることはない。自分の目的地を定めた迷いの無い足音が二人を置き去りにする。
コートの男は「ありがとう」とかすれ声で呟いて、雑踏の波に身を任せようとすると、
「ねぇダンナ」と生き物が引き留めた。
「ダンナはあたしに会いに来たんでしょう? 通りがかりに寄ってみたっていうんじゃないのは、すぐに分かりましたよ。他の人とは違ったんだ。何かを探すようでもなく、あたしを見付けて真っ直ぐ向かってきた」
「そんなことは」
帽子の
「どれだけ事情を訴えたって色眼鏡で見られることには変わりない。ええそうです、あたしも同じだから分かりますよ。戦火で腕を失い足を失い家族を
「一体何を言って」
「あんたは苦くて渋い無糖の人生を自身で憐れんでいながら、その
ついにコートの男は押し黙った。それでも、コートの下に隠した猿の両腕が、遊び半分みたいに取り付けられたネズミの尻尾が、無様な姿になった自分が、男には到底許せないのだった。
「五千円入れてもらってあんな話だけじゃあ釣り合わないと思いましてね。
コートの男は、また背中を丸めて歩き出す。強くなってきた日差しの下、フクロウの翼が生えた背中の蒸し暑さに耐えながら。
異形の内懐 王子 @affe
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