異形の内懐

王子

異形の内懐

 初夏だというのに男はコートを羽織っていた。ボタンは首元から膝下まで一つ残らずぴっしりと留め、濃紺の帽子を目深まぶかに被り、両手には軍手もはめていた。

 駅を出ると、暑さで蒸れた背中を丸めてビルの外壁沿いに歩を早めた。その先に、地べたに敷いたダンボールの上、あぐらをかいて座り、行き交う人の波を見据える生き物がいた。生き物と形容する他ないと男は思った。

 生き物に一瞥いちべつをくれただけで先を急ぐ者もあれば、何度も振り返るがやはり立ち止まりはしない者もあった。無関心と好奇心が往来する忙しない道で、その前に立ち止まったのは、コートの男だけであった。

 ふと足元を見れば、小銭が数枚入ったブリキの箱がある。そこに五千円札を放り込んだ。

「なんでそうなったのか教えてくれないか」

 コートの男が問うと、生き物は「けへへ」とかすれた笑いを漏らした。

「人様のお時間を頂戴してお聞きいただくほど、面白くもなけりゃあ大層な話でもございません」

 生き物がくぼんだ目を上げると、痩せこけて骨が浮き出た頬、乾き切って白い筋の入った唇、日に焼けて色素の濃くなった高い鼻が、陽光の下に照らし出された。とんがり帽子を被せれば魔女に見えなくもない。

「話したくなかったならすまない。こんなこと聞くべきじゃなかった。忘れてくれ」

 男がきびすを返すと、「いやダンナ、お話ししましょう」と声が追ってきた。

「こうやって道端に座っていますとね、たまに話しかけてくる人もいるもんでしてね。いろんな人がいるもんです。酔っ払ってヘラヘラしながら『あんたなんでそんなことになっちゃったの』なんて言う奴もいれば、表情と声音こそ優しそうで『不自由ないですか』ってな奴も、目が妙にランランと輝いてやがる。どうせ酒の席で話のネタにするつもりなんでしょう。気の毒そうな顔して『心中お察しします』なんてのもいる。あたしの心中の何が分かるっていうんでしょうねえ」

 男はまじまじと生き物を観察した。頭には人間サイズに引き伸ばしたようなウサギの耳。逆に収縮させて取り付けたような腕は、黒々として硬そうな体毛で覆われていた。ゴリラの腕だろうか。右足首の先は水かきのついた黄色い足で、もはや何の動物か分からなかった。

「まあ、こんなナリですから致し方ないでしょう。でもあんたみたいな人は初めてでしてね。そんな張り詰めた顔して聞きたがってる人を無下むげにはできんでしょう」

 男は思わず自分の顔を手のひらでさすった。何もかも見透かされているようで、継ぐべき言葉を考えあぐねてしまう。男の動揺を汲んで、生き物が口を開いた。

「心配しなさんな、ダンナを問い詰めようってんじゃあないんだ。むしろ恵んでもらった分あたしが話さなきゃあならない。大した話じゃあございませんが」

 生き物が語った事の次第はこうだ。

 ほんの十年前までこの国は西洋の国々を相手に戦争をしていた。始めは各地で快勝を続けていたものの、戦況は徐々に雲行きが怪しくなり、貴賎きせんの別なく国民を駆り出しての総力戦となった。食糧も武器も人も足りない中で、怪我人は増える一方だった。そこで国が考えた策は、四肢を欠損した兵に動物の体を移植することだった。怪我を治癒し、同時に人間よりも頑丈な肉体に仕立て、また戦場に送り込もうというのだ。無い金と無い資材と無い人材をやりくりして、わざわざ研究所まで作った。移植が施されたのは四肢だけではなく、例えばウサギの耳などの部位を取り付けて人間の体に順応するかどうかの実験も行われた。しかし移植技術は未熟で手術はなかなか進まない。そうこうしているうちに、この国は白旗を上げて終戦を迎えてしまった。放り出された研究所から見付かったカルテによれば、無事に手術を終えた人間は十人に満たなかったとされている。

「この国は復興に全力を挙げて、いつの間にか先進国と肩を並べるほど豊かになった。動物の四肢を抱えたままのあたしたちを置いてけぼりにしてね。聞いた話ですがね、医者に見られるのをためらって自分で切り落とした人もいるそうですよ」

 押し黙って聞き入っていたコートの男の額から、汗がぽたり、アスファルトを濡らした。

「昔話はこれでおしまい。ご清聴せいちょうどうも」

 通り過ぎる人々は、相変わらず足を止めることはない。自分の目的地を定めた迷いの無い足音が二人を置き去りにする。

 コートの男は「ありがとう」とかすれ声で呟いて、雑踏の波に身を任せようとすると、

「ねぇダンナ」と生き物が引き留めた。

「ダンナはあたしに会いに来たんでしょう? 通りがかりに寄ってみたっていうんじゃないのは、すぐに分かりましたよ。他の人とは違ったんだ。何かを探すようでもなく、あたしを見付けて真っ直ぐ向かってきた」

「そんなことは」

 帽子のつばを更に下げる。

「どれだけ事情を訴えたって色眼鏡で見られることには変わりない。ええそうです、あたしも同じだから分かりますよ。戦火で腕を失い足を失い家族をうしなって。戦後になったら仕事も失った。自分と同じようにそんな地獄を味わっている奴がいるなら見ておきたい。もしかしたら多少はなぐさめになるんじゃないかってね。違いますかい?」

「一体何を言って」

「あんたは苦くて渋い無糖の人生を自身で憐れんでいながら、そのじつふたを開けてみたら、甘ったるい缶コーヒーだったってことですよ。あたしたちはこの体を受け入れて生きていかなきゃあならないんだ。自分の体を見世物にしてでも、生きていかなきゃあならないんだ。あんたは隠せるだけ、まだマシじゃあないか」

 ついにコートの男は押し黙った。それでも、コートの下に隠した猿の両腕が、遊び半分みたいに取り付けられたネズミの尻尾が、無様な姿になった自分が、男には到底許せないのだった。

「五千円入れてもらってあんな話だけじゃあ釣り合わないと思いましてね。叱咤激励しったげきれいだと思って噛みしめてくださいよ、翼のダンナ」

 コートの男は、また背中を丸めて歩き出す。強くなってきた日差しの下、フクロウの翼が生えた背中の蒸し暑さに耐えながら。

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