反逆者のカノン―Ⅽhapter.E
Episode.7
消えた彼女
「あー...、くっそ」
幽霊の出そうな廃墟と思える建物の中、黒髪を青いリボンで一つに結っている男が苛立ちを含んだ声を出していた。親の仇と言わんばかりに目の前の料理を黄色い瞳で睨みつけている。
「...やめなさいよ、エル」
その視線に気づいたらしい肩までの茶髪の少女が、窘めるように言った。男―エルリック・ハルバードは、涼しい顔をした奉仕型アンドロイドである彼女―イレブンをぎっと睨む。だが、それに一切怯む様子はない。
「キナン達はアイラを探してくれてるし、あたし達はここでもし帰っていた時の為に待機する。...そういう約束をしたでしょ」
イレブンにそう言われ、エルリックはやるせない気持ちを吐き出そうとした口をグッと縛った。
茶髪のボブカット、銀縁の眼鏡、澄んだ空のような青い瞳の女―アイラ・レインが失踪した。それは今日から三日前の事。
ドトール社へ音声レコーダーを届けに行く事、二日後には戻ってくる事が書かれた紙が彼女が私室として使っている部屋の机に置かれていた。
玄関近くの部屋で寝ていた四人だが、誰一人気付かなかった。特にシャルティエは耳が良いのだが、よく寝入っていたのか、そもそもアイラは玄関を使って出ていないのか、彼女は全く気付かなかったという。
そして今、キナン、フラウ、シャルティエの三人は、昨日からアリステラ駅の近くから聞き込みをし、エルリックとイレブンは帰ってくるかもしれないアイラの事を家で待っていた。
「...あいつ...、どういうつもりだ...?」
エルリックはぎりぎりと歯噛みする。
クラウン・ド・ティアラからの帰り道、アイラと交わした会話からでは彼女の考えている事は一切分からなかった。まさか、こうやってここから逃げるとは思っていなかった。
「ただいまー」
フラウの声が玄関から聞こえた。その声は昨日と同じく、暗く沈んでいた。
案の定、キナンとシャルティエも顔色を暗くし、アイラに関する情報は一切得られなかったようだ。
五人でテーブルを囲み、どんよりとした空気が辺りに溜まっていく。
「アイラさん、ドトール社から戻ってこないつもりなのかなぁ...」
シャルティエは沈んだ声で、足の指先を触りながら小さく呟いた。
「ンなわけねぇだろ」
エルリックがすぐにシャルティエの言葉に反論した。シャルティエは少し顔を顰めたが、何も言わずに指先を眺めた。
アイラ一人が急にいなくなっただけで、これほどまでに空気が悪くなるとは。
イレブンはぐるぐると考えを膨らませていく。そしてゆっくりと口を動かした。
「なら、あたし達も行きましょ...、ドトール社に」
イレブンの発言に、全員の目がイレブンに向いた。
「場所、分からないのに行けるのか?」
「聞いて行けばいいじゃない。あたしとエルで行けば、キナン達がここを守ってくれるわけだし、仮に入れ違いにアイラが帰って来た時でも大丈夫。アイラが会社の電話番号を知っているだろうから、あたし達に連絡できるでしょ?」
イレブンはふふんと笑って、四人へそう言った。
確かにエルリックの苛立ちはある程度収まるし、ドトール社にアイラが行ったのかどうかも分かる。アイラは金を全額持って行っていないので、タクシーを利用する場合があっても問題はない。
イレブンには一通りの知識はあるので、タクシーにも乗れる。万が一彼女が襲われるようなことがあれば、エルリックが対処すればいい。
彼女はそう考えて、エルリックの目を見据えた。
「どうする?ここで、待ち続ける?そろそろ動いてもいいんじゃないの?」
「行く」
エルリックは即決だった。
「一回あいつに会って、殴る」
彼らしい解答だった。
キナン達は少し顔を見合わせたが、すぐに了承の意を込めて頷いた。基本的に彼らはアイラやエルリック、イレブンの意思を尊重してくれている。
最初の出会い方は良くなかったが、元々は優しく根の良い人間達である。
「ありがとう。ほら、エル。行くんなら準備するわよ。すぐに帰るつもりだけど、お金とか身なりとか整えないといけないでしょ?」
「分かった」
エルリックは素直に頷き、自室の方へと早足に歩いて行った。イレブンは狙われているんでしょう部屋からエルリックが出てから、アイラの部屋へ行こうとし──、まだ自分が二階に上がっていない事に気付いた。
アイラが残した書き置きを見つけたのはエルリックで、イレブンが見つけた訳では無い。そもそも日頃、イレブンが料理を作り、それが出来た事は一階から大声を出して伝えている。
ボロボロで、イレブンのようなアンドロイドが乗ってしまえば崩れそうな階段に、彼女は意気揚々と乗り出す事が出来なかった。
「私、取ってこようか?お金、結局アイラさんが茶封筒に入れてくれたよね?机周りに置いてあるなら、私でも分かるし」
イレブンの心情を察し、シャルティエが彼女へ訊ねた。イレブンはこくりと頷く。
シャルティエはぽんとイレブンの肩を叩いて、それから二階へと駆け上がって行った。
「.....大丈夫なんだろうな?」
シャルティエの後ろ姿を追っていたイレブンへ、キナンが声を掛けた。その声色は静かだったが、心配している事はすぐに分かった。
イレブンはふわりとはにかむ。
「さぁ。でも、アイラが居ないとあたし達は勝手に行動も出来ないでしょ。もしかしたら、捕まってしまってるかもしれないし、そうなっていたら、助けに行かないとね?」
あくまでもイレブンの中で考えている、最悪の予想である。
アイラの性格上、約束を破るというのはしないだろう。つまり、予測していなかった状況に彼女の身があるという事は想定済みだ。
イレブンの考えている最悪の状況は、レッドによって捕えられてしまっているというもの。ドトール社までの道のりがどの程度かは知らないが、その間に捕えられるのは、有り得ると思っている。
エルリックに言えば、殺されそうになるだろうと思い、イレブンは何も言わずにはいるが。
「取ってきたよ。はい、イレブン」
シャルティエはすぐ降りてきて、イレブンへ茶封筒を手渡した。
「ありがとう」
「おい、準備出来たぞ」
それとほぼ同時に、エルリックは二階から声を上げた。そして姿を見せたかと思うと、トンと床を蹴って一気に下へと降りてきた。
エルリックが一階の床に足をつけた瞬間、ミシミシ...ッと木の悲鳴が鳴る。
「や、止めてよ、次通った人が踏んで穴が開いたらやばいでしょ?!」
シャルティエはエルリックに対してそう言うが、彼は特に気にした様子はない。
イレブンは小さく溜息を吐いて、それから茶封筒から一万ファルツ紙幣を二枚抜き取り、残りをシャルティエに渡しておいた。
「すぐに戻るわ」
「うん、気を付けてね」
シャルティエはフワッと微笑んで、それからエルリックの手を取ると玄関を開けて外へ出る。
それを見てシャルティエは慌ててキナンとフラウに見送るべきだと声を掛け、二人がほぼ同じタイミングでエルリックの乗った箇所に足を置いた瞬間、二人が身体のバランスを崩してその場に折り重なるように倒れた。
あまりにも突然だったのか、二人は声も出せずにその場で蹲っている。
「......あちゃー...」
シャルティエは小さく頭を抱えた。
すたすたと、エルリックとイレブンは並んで歩く。
「タクシーを捕まえて、その人にドトール社の事を聞きましょ。有名ゴシップ誌を発行している会社なら知ってる人は多いはずだわ」
イレブンの推測に成程と、エルリックは呟いた。
モノレールの駅近くに来ると、白に緑のラインの入ったデザインのタクシーが数台、駅から降りてきた客を乗せて出て行ったりまた戻って来たりと往来が激しい。
「じゃあ、捕まえるか」
「声を掛けてもいいけど、穏便に頼むわよ」
エルリックは近くに止まっていたタクシーの運転手へ声を掛けた。運転手は四十代後半の中年女性であった。エルリックの顔を見ると、少し嬉しげに口角を上げた。
「なぁ、ドトール社へ行きたいんだ。金はあっから連れてってくれ」
エルリックがそう言うと、彼女は気前良く頷き、それからタクシーの扉を開けてくれた。エルリックはイレブンに声を掛け、先にイレブンを乗せてからエルリックも乗った。
中年女性は何度かタクシーを点検してから、タクシーの中へと乗り込んだ。
「ドトール社へ行くなんて、あんた達は記者か何かなの?」
中年女性は少し窺うように、二人へそう訊ねた。
確かに年若い二人組が行く場所にしては、雑誌会社は少々おかしいだろう。デートスポットではないわけである。
「記者に知り合いがいるのよ。その人に会いに行くの」
イレブンはさっとそう言った。
運転手はそう、と相槌を打ったきり、口を閉じた。エンジン音だけが四人乗りのタクシー内に響く。
十分ほどタクシーは走ると、赤い煉瓦造りの二階建ての建物の前で停まった。
「ここよ」
「ありがとう」
「ありがとな」
イレブンが女性へ必要な金額を渡し、二人はドトール社の前に降り立った。
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