Episode.4
その友情は鎖
暗闇の海の中に揺蕩っている感覚を、少女は感じていた。
手は空を切り、息をしているのかしていないのか分からない。
いつも首にかけている筒状の銀色のチャームの付いたネックレスも、目の前でふわふわと浮いていた。いつもは服の下に隠し、二人に見られないようにしているというのに。
隠さなければ、と慌てて少女は手を伸ばした。しかしそれを掴む事は出来ず、代わりに温かな白い手が目の前にあった。
その手を、彼女は知っていた。伸ばしていた手が、その手を掴むと――、暗闇の水から浮き上がるような感覚がした。
「......っん、ぅ.........?」
全身を包み込むような温かな感触に、少女―シャルティエ・クゴットは目を覚ます。
目の前の天井を見て、すぐに自分がいるこの場所が劇場の中だという事を理解した。どうやらあの後、ずっと眠ってしまっていたらしい。
側のサイドテーブルには、浮いていたはずのネックレスと、赤と紫色で構成されているヘッドフォンが置かれている。
通りで耳がスースーするのか、と納得した。
そこで、ようやくシャルティエは左手の温もりに気付く。ゆっくりと視線を下げると、青年がシャルティエの布団に顔を突っ込んで寝ていた。
手を握られていると思ったが、どうやら手の上に彼自身の手を重ねているだけで、すぐに手を抜き取れた。
そっと、彼の頭の上に手をのせる。ふわふわとした柔らかな黒髪と少し傷んだ赤色に染めた髪の毛との触り心地の違いを、ほんの僅かに楽しむ。
「......っん...、んあ?」
シャルティエの動きで起きたのか、青年―キナン・トーリヤが顔を起こした。涙の溜まった赤目の下を擦り、シャルティエが起きているのに気付いて目を丸くした。
「シャル......っ」
キナンは大きく目を見開き、シャルティエが何かを言う前にギュッと飛びついてきた。押し倒されるような形になり、シャルティエは目を白黒させる。
そんな彼女に気付かず、キナンはシャルティエの首元に顔を埋めた。
「よかった...、生きてて、くれてて......っ」
絞り出すような小さな震え声に、シャルティエは少しだけ目を丸くして、それからキナンの背中に手を回した。
「不安にさせて、ごめん...」
「もう二度と、あんなのするなよ...」
「......多分ね」
シャルティエの濁した言い方に、きゅっとキナンは手首を握る手の力を強めた。
声に出して一喝したいが、救われたという事実とヘッドフォンをしていないシャルティエには声量を気を付けなければならない経験が、彼の動きを制限していた。
「あ、シャル。良かった、起きたんだね」
そこへ、別の青年の声が飛び込んできた。
そこには顔立ちの良く整った黒髪の青年が立っていた。紫色の瞳は少し垂れ目がちではあるが、それが彼の優しい人柄を顕著に表している。鎖骨が見える程大きく開いたシャツを身に付け、その左腕の箇所は何もないのかだらりと下がっていた。
彼―フラウ・シュレインはキナンがシャルティエを押し倒しているように見える状況に目を丸くして、静かに嫌悪感のある顔へ変えた。
「キナン...?」
「違うからな!」
キナンの睨みつける目に、シャルティエはくすくすと困ったように笑う。
フラウも冗談で言ったようで、すぐに口元を押さえて笑う。そして、「父さん」と横に立つ人物に声を掛けた。少しして、フラウの横から男が顔を覗かせた。
白髪交じりの頭に、眼光鋭い目つきの初老の男だ。三人の父親を引き受けている彼―オリエット・アーダースは、険しい顔つきでずんずんとシャルティエとキナンへ近付く。
真剣なその顔に、キナンはベットから離れて、フラウの横へ並んだ。シャルティエはゆっくりと身体を起こした。
「......え、と。その...、ごめんなさい...っ。心配、かけさせちゃって」
オリエットは苦笑いを浮かべているシャルティエの頭を、大きな拳でゴンッと殴った。
すぐにシャルティエは頭を押さえて、フラウが顔色を変えた。
「いっ......?!」
「っ父さん、シャルはまだ」
「心配をかけさせたのは、これでチャラにしてやる」
痛みで涙目になっているシャルティエの灰色の髪の毛を、今度は梳くように優しく撫でた。
「まだ痛むか?」
「ううん、平気。熱くないし痛くない。父さんが手当てしてくれたんでしょ?ありがとう」
「そうか」
オリエットはぽんぽんとシャルティエの頭を撫で、階段の方へと歩いて行った。そこでふと足を止め、フラウの方へ目を向ける。
「お前の腕はもう少しかかる。まだしばらくは片手で我慢しろ」
「うん、分かった」
フラウは今はない自身の左腕の方を見た。そこは、何もない事を示すようにパタパタと服の袖が空気に遊ばれていた。
オリエットは伝える事を伝え、さっさと三人から離れていった。
フラウとキナンはシャルティエのベットへ腰を下ろす。
「ね、シャル、お腹空いてる?」
フラウにそう聞かれ、シャルティエはこくりと頷く。恐らく一晩は寝ていたのだろう。
「ん、シュガーガレット持って来たから、食べよう?」
フラウは背中に隠していた小さなバケットを膝の上に乗せた。中には細長いパンが入っている。それは三人の好物の一つであるものだ。
少し硬めに焼かれているガレットパンに砂糖入りのバターを塗っているだけの、ただそれだけしかされていないシンプルな代物だ。
しかし、当時の空腹だった頃の三人にとっては、目が飛び出してしまうほどの御馳走だった。
フラウはキナンとシャルティエにそれぞれ渡し、三人が同時にガレットに噛り付く。
「......ふふふ、美味しいね」
シャルティエはもぐもぐと頬張りながら、小さく笑う。
「......あの頃は、硬すぎるパンだったねぇ」
「...そうだな。しかもまずかった」
「逃げるのに一生懸命だったもん。味ばっかりはしょうがなかったでしょ」
フラウの言葉にキナンは静かに頷き、がっと男らしく噛り付いた。
「...アイラさんとエルリックさんとイレブンは?」
シャルティエはふと、気になった事を口にした。
起きてからまだ一度も彼らの姿を見ていない。別の場所で寝ているのだろうかとすぐに考えたが、それでも二人の口から彼らの安否を聞きたいと思った。
フラウとキナンは少し気まずそうな顔をして、それからキナンが口を開いた。
「エルリックさんが、捕まった」
「! ...一番、あり得そうにない人が...。困ったな、唯一と言っていい戦力が消えちゃったわけか...」
シャルティエは目を丸くして、静かにそう呟いた。
「アイラさんとイレブンは、エレーノさんの部屋を使ってる」
「そっか...。ね、やっぱり...、レトゥとレティで間違いないよね。私達、二人に出会えたんだよね」
「殺されかけたけどな」
キナンは鋭くそう言った。
この計画に巻き込まれた孤児院がいくつあるのかは知らないが、別の孤児院から選ばれた子どもで、キナンもフラウもシャルティエも、そこそこの親交がある程度の仲だった。
「......裏切者、かぁ」
フラウが呟いた。
「別に、そこまで言われる筋合いないってーの。...誰も、自分が死にたくない事で精一杯なんだからよ」
キナンは膝を抱え、残りのガレットを頬張った。指先に付いた砂糖を舌で舐めとる。
「......そう、だよね。私達、正しかったんだよね」
シャルティエの顔も少し影が出来てしまう。
少し沈んでしまったキナンとシャルティエを見て、フラウは少し苦しげな表情をして眉を寄せる。それから少しして、意を決したような顔へ変わる。
「そ、そんな落ち込まないで!俺達、こうして生きてるんだしさ!こう...、ネガティブに考えずにさ、明るく考えよう!」
フラウはにっと歯を見せて、困ったように眉を歯の字にして笑顔を見せる。キナンとシャルティエは顔を見合わせた。
「生きたいって思うのは、皆当然だもん。それだけは...、俺達だけのものだよ」
フラウの言葉に、キナンとシャルティエは目を丸くして、それからフラウに飛びついた。
「っ、こら、キナン!っシャルは寝ないと駄目でしょ?!」
「えへへ、やっぱりフラウがいてくれてよかったよぉ!」
シャルティエはフラウの腰にぎゅっと抱きつく。キナンはフラウの肩に手を回す。フラウは二人に挟まれて、右往左往と視線を動かしていたが、これ以上何を言っても無駄だと思い、すっと立ち上がった。
「ん、どっか行くのか?」
思いのほか、追いすがる気はないようで、さらっと二人は拘束を解いた。
「うん、アイラさん達にシャルが起きた事を伝えようと思って。二人共!大人しくね」
フラウはきっぱりとそう言って、二人から離れた。
少し離れたところで、二人に触れられていた箇所を少しだけ撫でる。
ほんの僅かに、口元を緩めた。
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