生と死を賭けて

 アイラはもう一度状況を見る。

 エルリックの立つ場所はアイラの目の前の一列目の真ん中のタイル。彼はアドルフをずっと睨みつけている。

 アドルフの持つ三体の駒は、アドルフの目の前のタイル―アイラから見て五列目―に、一マス空けて鎮座している。

 相手の駒を削れば勝利。一つでもアドルフの駒が残り、攻撃を三回受けてしまった時点で、アイラとエルリックの死が確定する。


「最初はアイラ・レインからするかい?」


「いや、貴方が先でいい。その手を見て考えさせてもらう」

 アイラの言葉にアドルフはクスリと笑い、すっと指先を動かした。アイラから見て左端の黒い人形が一マス動いた。

「先攻後攻での有利不利はないから、安心して考えて選択したまえ。ルールの範囲内でね...?」

 ルール外の行動をすれば死。彼は暗にそう言っているようであった。

「...エル、左へ二歩。お願い」

 アイラは目の前の半透明のパネルをなぞる。すると、エルリックの立っているモノクロタイルの床も、彼女の指の動きに連動するように同じ個所が光った。

「こっちだな」

 エルリックは素直に左端のマスに足を付けた。アドルフのターンに移る、

 今度はアイラから見て右端の駒を、斜め前に動かした。次はアイラのターンに回る。

 アイラは目でモノクロタイルの床を眺める。


 今なら、一マスしか進めない左端の駒を取る事が出来る。しかし、目先の欲ばかりで動いていいのか。もう少し慎重に動くべきではないのだろうか。

『怪我とかはわりとすぐ治っから気にすんな。お前はあいつのこまとかいうの、ぶっ殺す事だけ考えとけ』

 先程のエルリックの言葉が、彼の声で頭の中に反芻する。

 アイラは目を閉じて深呼吸し、それからエルリックの立つタイルの一から前へ指でなぞる。その数は、

「...前へ、二マス」

 少しでも駒を取る為に。

「今度はこっちだな、っと」

 エルリックは指定のタイルへ歩く。

 すると、ぱっと目の前に黒い人形が現れた。そして、いきなりエルリックに切りかかってきた。

「あぁ!すっかり失念していた!私の駒は、目の前にいる駒を殺そうとするよ」

「っ!?エルっ!」

 エルリックは無言で黒い人形の剣を躱し、足払いを仕掛けて持っているナイフで上から一気に体重を乗せて刺した。

「っ...。あー、びっくりした」

 何でもないようにそう言い、目を丸くしているアイラの方を向く。明らかに動揺しているようだった。

「...おい」

 びくり、とアイラの肩が震える。その反応に、エルリックは眉を寄せた。


 最初にお互いの事を話した時、確かに自分が殺人鬼である事は伝えた。それなのに彼女は、まるでエルリックの事を普通の人間であるかのように扱う。割れ物のように、優しく。

 エルリック・ハルバードは、殺人鬼なのだ。複数の人間を殺した、化け物なのだ。


 それなのに、彼女は。


「アイラ」

 不機嫌そうな彼の声に、アイラはエルリックの目を見る。声と同じく、顔も不機嫌そうな色をしていた。

「お前は勝つ事だけ、考えてろ。俺の事はどうでもいい。さっきも言っただろ、俺は大丈夫だ」

 エルリックはじとりとアイラを見る。

 アイラとて、分かっている。しかし、やはり心配というのはしてしまうものである。

「...お前がやらねぇと、俺達は死ぬんだ!分かってんのか?」

「分かってる!でも、」

「私のターンだから、私はそろそろ駒を進めても良いかな?まぁ、意見は聞かないが」

 二人の口論を遮って、アドルフは指を動かした。真ん中の駒が斜めに動く。黒い人形が殺られた隣に、その駒が移動する。斜めの位置に立っているエルリックだが、真正面でないと、殺しの動きは作動しないようで静かに沈黙している。

「分かってるよ...。理解もしてる。でも...、目の前で誰かが傷つくの...嫌なんだよ」

 アイラの顔が歪む。

「人が傷ついて、目の間で...、」

「今目の前にいるのは俺だ!...お前がどういう経験してきたかなんて知らねぇ!今は俺がいるんだ!俺達が生き残るように動かせ!それ以外の事を考えてんじゃねぇよ」


 アイラの頭の中で、音が鳴る。

 ゆったりとしたリズム間隔で、何度も何度も。


「迷うな。ごちゃごちゃ考えてんじゃねぇ!」

「迷...わない...」


『生きて、真実を伝えろ』


「真実を、生きて...、伝えないといけない」

 アイラはパッと目を見開いて、エルリックの瞳を見た。その目には淀みはなく、真っ直ぐな青空を思わせる色になっていた。

「ったく、やっとか...」

 エルリックは後ろ頭を掻いて、それから手に当たった青いリボンにしっかりと触れた。

「守る、か」

 アイラはくるりとタイルの上を見回して、それから半透明のタイルを指でなぞる。

「右へ一歩」

「おぅ」

 エルリックが隣へ移ると、黒い人形が目の前に突然現れた。

 エルリックはニヤリと口角を上げて、ナイフで首と胴体の付け根を引き裂いた。中からは白い綿が飛びだし、黒い人形はその場に倒れてしまった。

「あぁあぁ、残念」

 アドルフはそう言いながらも、駒を更に斜めに動かす。黒い人形は持つ剣を振り上げ、エルリックの背中に攻撃した。

 見えないエルリックは突然の鋭い痛みに、顔を顰めた。

 アドルフの言っていた通り、怪我は負っていないものの、痛みは確かに背中に残っていた。

 しかし今、彼の目の前に黒い人形はある。

 エルリックはナイフを振ろうとしたが、その動きが制限されている事にすぐに気付いた。上手く腕が動こうとしない、まるで自分の腕ではないかのように。

「おい、アイラ!身体、お前が操作してからじゃねぇと動かねぇ!」

「っ待って!考えてるの!」

 アイラは頭をフル回転させる。

 このまま一休みさせてしまえば、動きは出来ない。つまり、攻撃を受けてしまう。

 どうする、どうするべきか。

「たった一つの、冴えたやり方...を」

 アイラはふっと息を吐き出し、指で線をなぞる。

「二マス、下へ」

「あぁ?目の前にいるんだぞ?」

「死にたくないんでしょ?信じて!」

 アイラの言葉にエルリックは何も言わずに、アドルフを睨んでから支持の場所へ降りた。

「おぉ、怖い。なら、私は下がろうかな」

 駒は真ん中から一歩後ろへ退いた。

「っ逃げやがって」

「...斜め前に」

 アイラは今度は斜め左にエルリックを動かす。

 二つの駒は間を開いた。

「ふふ、ではその左横へ」

 余裕しゃくしゃくの笑みで、アドルフは駒を動かす。アドルフから見て左―つまり右の端へ駒は移動した。


「...斜め、前へ」


 アイラはアドルフの目の前にエルリックを動かして、にんまりと微笑んだ。

「私の勝ちですね」

「ほう?」

 アドルフは目を隠していた手を外し、そして目の前の状況を整理した。

 残っているのは一つのマスしか進めない駒。

 エルリックはニマス進める駒として存在している。

「あ...?」

「その位置と私の位置、どうあがいても私が有利。前に進んでもいい。横でも、斜めでも止まったっていい。私と、エルリックの方が勝ち確定だ」

 アイラは画面の向こうのアドルフを睨んだ。


「...あは、ふふ...。面白かった...」


 アドルフはくすくすと笑い、それから横に一つ駒をずらした。

「おい、いいのかよ。...死ぬぞ」

「楽しませてもらったからね。...好きにしたまえ、殺人鬼」

 その言葉にエルリックは言葉をかけるのをやめ、アイラの方を見た。アイラは静かに頷く。

「......一つ、前へ」

 エルリックの目の前に駒の黒い人形が現れた。彼はナイフを振り上げて彼へと振り落とし、


 アイラはゆっくりとサイバーサングラスを取った。


 二つの首輪が、カチリと音を立てて外れた。



「.........おい、もう俺はこっから動いても死なないんだよな?」

「多分。平気だと思うよ」

 エルリックはナイフを払って、モノクロタイルの床から飛び退いた。身体に異常は見られない。

 アイラはサングラスでずれていた銀縁の眼鏡を正し、それからアドルフの言っていた鍵の行方を目だけで探す。

 しかしそれだけでは見つからなかった。

「...死体でも、漁るか?」

 アイラの考えを読み取ってか、エルリックは首輪により白目を剥いて窒息死しているアドルフを指で差した。

「う、うん...。出来るなら、そうしてもらえると...。私、流石に死体は探れない」

 アイラは少し苦笑いして、エルリックは抵抗もなくアドルフの身体をごそごそとまさぐった。

「お、これか」

 鈍色をした鍵をエルリックは見せた。

 アイラはそれを受け取り、閉まっていた大きな扉の鍵穴に差し込む。かちり、と音を鳴らして、アイラが扉を押すと開いた。

「行けるよ、エル!」

「おぅ。行くぞ」

 エルリックはバンと扉を蹴り、狭い廊下の中をサクサクと進んで行く。アイラはアドルフの方を見て、それからエルリックの後を追った。


 かつんこつん、と二人の足音が響く。

「...ありがとう、エル」

 ぼつりと、アイラはエルリックの背中に声を掛けた。

「あ?...俺だって、お前がいなかったら出る事もなく死んでたわけだし、別にいい。おたがいさま、ってやつだろ?」

 エルリックはアイラの方を見る事なく、淡々とそう言った。

「...うん、そうだね」

「このまま何にもなく外に出られたら、今度は俺がお前の手伝いをする番だな。なんか小難しー事言ってたけどよ。分かりやすく俺に説明しろよ、落ち着いたら」

「分かった」

 アイラは素直に頷いた。


 やがて、薄っすらと道の先が明るくなっていくのが分かった。


「そろそろか?」

「気を抜かないようにね」

 アイラの釘を刺す発言に、エルリックは唇を尖らせてアイラの方を振り向いた。


「分かってるってーの...。行くぞ、アイラ」


「うん、エル!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る