告白の前に言いたくて

高梯子 旧弥

第1話

 僕には好きな人がいる。

 その人に想いを伝える、そんな簡単そうで難しいことがこの世の中にあるなんて思いもしなかった。


 僕の通っている学校は初等部から高等部までエスカレータ式に上がっていくので、高校生になったといってもあまり変わり映えしない風景だった。

 外部から受験で入ってきた人もいるけれど、その人たちは珍しがられて、色々な人が話しかけていくので孤立しない良いシステムが出来上がっていた。

 僕は始業前の教室の風景をぼんやりと眺めながら席に着く。

 窓側の一番前という良いような嫌なような微妙な席だった。

 鞄から授業道具をゴソゴソと取り出していると「風太ふうた」と、僕を呼ぶ声がした。

 顔を向けるとそこには幼馴染みのもりかなでがいた。

「おはよう」そう声をかけられたので僕も返す。

 奏は僕の後ろの席に着いた。出席番号順で並んでいるため、向井むかい風太の後ろとなる。

「今日も暑いね」

「ふう」と息を漏らし、鞄からハンカチを取り出して汗を拭う。

 衣替えをして間もない季節ではあるが、もう真夏と言っていいくらい暑かった。

「そうだね。六月でこれなんだから真夏はどうなってしまうのやら」

「だよねー」なんて相槌を打ちながら制汗スプレーを取り出し、シャツの隙間から身体に吹きかけていた。

 僕は目を逸らしながら会話を続ける。

「制汗スプレーって汗かく前にやらなきゃ意味なくない?」

「え、そうなの?」

「汗を抑えるものだった気がする」

「そうなんだ」

 正直、ここまで堂々と間違っているかもしれない使い方をされると僕も自信が無くなってくる。

 スプレーの音が消えたのを確認してから奏のほうを向いた。

 奏は別に男勝りというわけではないけれど、すごく女の子らしいというわけでもない、ちょうどいい塩梅の女子なので僕としては話しやすかった。

 初等部からの付き合いになるというのも話しやすい理由の一つだろう。しかし話しやすいものの、やはりお互い成長して思春期になったからか年々距離の測り方に戸惑っている。

 とは言っても戸惑っているのは僕だけみたいだが。

「暑いー。風太仰いでー」

 下敷きを渡して僕に扇がせようとする。仕方なく下敷きを受け取った。

「へいへい、その日本一低い山みたいな凹凸のどこに熱が籠るってんだい」

「私扇いでって言ったんだけど。誰が煽ってなんて言った?」

 つまらないボケに対してもちゃんと怒らずに返してくれるなんて有難い。

 僕は謝罪をしつつ扇いだ。

 風になびく奏の短い髪。すごく気持ち良さそうにしている奏を見て僕も嬉しくなる。

 このまま扇いであげてもいいけど、ここは一旦止めとくことにした。同級生に変な勘違いをされたくない。

「えー、何で止めちゃうのー?」

「よくよく考えたら何で僕が扇がなきゃいけないの」

「はい」と言って下敷きを返却する。

 奏は「ちぇ」と少し不満そうな顔をしていたが、またそれも可愛かった。

「もうしょうがないから帰りにアイス奢ってくれたら許してあげる」

「だから何で僕は許してもらわなきゃいけないの。僕が何したってのさ」

「私のことエロイ目で見てた」

「……見てないよ」

「おい、私の目を見て言え」

 このままだとどんどん墓穴を掘りかねないので話題を変えることにした。

「ところでシャツ透けてるよ?」

「やっぱりエロイ目で見てるじゃん!」

 失敗した。話題を変えようと思ったのについ見たままを言ってしまった。

「違う。紳士としての注意勧告だよ」

「そうですか。それはそれはありがとうございます」

 冷たい目を向けられるがこれは本当に嫌がっているわけではないとわかる。普通の女子にやったら引かれるしセクハラだから絶対やらないけど、僕たちの関係性だからできた。

 そんなくだらないやり取りをしている間に先生が入ってきて、ホームルームの時間となった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎるというが本当だ。これからつまらない授業が始まると思うと憂鬱だったが後ろに奏が居るだけで暗い気持ちが軽減される。


 学校が終わり、家に帰った僕はカレンダー見る。

 そこには夏休み開始の日に赤丸で印がしてある。これはただ単に夏休みの日付を記録したのではなく、この日までに奏に告白するという決意表明だった。


 それから僕は学校で奏と会う度に機会を窺っていた。

 話す機会自体はあるけれど、なかなかどうしてかいつも通りの会話しかできずにいた。

 奏は友達も多く、休み時間などは他の友達と話してしまい、二人きりでゆっくり話す場を設けられない。

 それどころか奏が他の男子と話していると胸の中に黒い感情が生まれそうになる。

 それに耐えながら機会を窺う。

 そしてようやくチャンスを得られた。

「風太今週の土曜日暇? 映画観に行かない?」

 僕は喜びを表に出さないように慎重に答えた。

「空いてるけど何で僕?」

「観たいのがサイレント映画でさ。風太も好きだよね?」

「サイレント映画が。最近何かあったっけ?」

「ううん。最近のじゃないんだけど、少し古いやつが再上映されるらしいの」

「なるほど。じゃあ行こうか」

「やったあ」と喜ぶ奏を見て僕はその何百倍は喜んでいるぞと心の中で呟く。

「じゃあ詳しくはまた連絡するね」

 そう言って去ってしまった。

 僕は少し寂しかったけど、それ以上に嬉しいことがあったので心は晴れやかだった。


 土曜日。

 僕たちは駅前で待ち合わせをして映画館に向かった。

「この映画、DVDでは観たことあるな」

「私も。でも映画館で観るのはまた格別でしょ」

 嬉しそうに話す奏。

 高校生でサイレント映画好きというのは珍しいのか。奏は他の友達を誘おうとしたがサイレント映画と聞いて微妙な顔をされるのが嫌だったみたいで僕に白羽の矢が立ったみたいだ。

 数少ない共通の趣味のおかげでこういった機会が得られるのは喜ばしいことだった。

「あ、あそこだ」

 奏が指差す先を見てみると主に古い作品を上映する名画座があった。

「へー、こんな所に名画座なんてあったのか」

「知らなかったでしょ。まー、私も最近知ったんだけどね」

 早く行こうと手招きしているので僕は速足で付いて行った。

 館内は昭和の香りが漂う何とも古めかしい感じで良い雰囲気だった。

 僕たちはチケットを買い、座席に腰を下ろした。

 周りを見ると大体四十代くらいの男女が一人で来ている人もいれば、複数で来ている人もいた。

「あ、そろそろ始まる」

 小さな声で囁く奏の声にドキッとしてしまう。

 僕は映画に集中しようと一度大きく深呼吸してからスクリーンを見た。


 映画を観終わった僕たちは喫茶店で休憩をしていた。

「あー、やっぱあの映画良いわ。面白かった」

 ストローをくるくるさせばがら楽しそうに語る奏。

 僕は正直あの近い距離でしかもサイレント映画というのもあって胸の鼓動が聞こえてないかというほうが気になってあまり集中して観られなかった。

 とはいえ一度観たことあるものなので話は合わせられた。

「最後ミッシェルとケリンが無事に結ばれて幸せそうだったねー」

「そうだね」

「あーあ、私も彼氏ができたら二人みたいに何も言わなくても通じ合う関係になりたいなー」

 別に二人は映画の性質上言葉を発していないだけで実際は会話をしていると思うが。

 それはともかく『彼氏』というワードに過剰に反応してしまいそうになる。

「彼氏ほしいの?」

 自然に訊けたかな。

「そりゃ欲しいよー。もう高校生だよ! 彼氏の一人や二人いなくてどうするのさ」

「二人いたらまずいんじゃ」

「確かに」と言って笑う奏。

 この流れだったらもう少し踏み込めるか?

「今気になる人みたいなのいるの?」

「何? 気になるの?」

 にやにやしながら訊き返してくる奏に「別に」と素っ気無く返したつもりだったけど、ちゃんと平常心を保てたかな。

「んー、どうしょうかなー。風太はいないの?」

「ぼ、僕はいないよ」

 咄嗟に返したが声が詰まってしまう。

「そっか、良かった。風太にそういう人がいたらなんか悔しいもん」

 それはどう受け取ったらいいのだろうか。

 僕に好きな人がいないのを喜んでいる?

 それならもしかして可能性があるのではと思い、僕が言葉を放つより先に奏が言った。

「私はね、ちょっとPくんが気になってるの」

 え。

「なんか話してて面白いし……」

 その後も奏は何かを話していたが全く耳に入って来なかった。ただただ「へえ」と相槌を打つことしかできない。

「だからね、夏休みに入る前に告白しようと思うの。うまくいくかな」

 長い付き合いである僕が見たことのない表情をしながら話す奏。

 それを見た瞬間「ああ、これが恋する女の子か」悟ってしまった。

 僕は必死に平常心を保とうと努力した。

 僕の恋なんて最初からなかった。ここで奏に想いを勘づかれて変な空気にするのだけは避けなくてはと思いながら頭をフル回転させる。

 何か言え。何か言え。

 そう繰り返して思いついた言葉は何とも陳腐でありふれたものだった。

「おめでとう」

 文脈と合ってすらいなかった言葉であったが奏はどう解釈したのか笑顔で「ありがとう」と言った。

 僕はそれを見てただ微笑み返すことしかできなかった。

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