第2話

 孤島と言ってもそれなりに広いこの島は、病院の敷地面積を除いても、まだそれなりに森の土地は残っている。恐らく森林浴での精神安定を狙って残しているのだろう。

 目の前にいるロゼは、跳ねているように見えるぎこちないスキップをしながら、前へ前へと進んで行く。

「こけるなよ、ロゼ」

「分かってるもん!」

 にっとロゼは笑う。彼女の約半分を隠す薔薇が無ければ、街のどこにでもいるような少女だ。


 しばらく歩いて、少し開けた場所に出た。白い花が風でゆらゆらと揺れて、海と空が良く見える場所だった。

「先生っ!ここっ、ここでお昼食べよ!」

「はいはい、分かった。遊んでろ」

「うん!」

 ロゼは白い花畑の中に入っていき、そこへ入って行って花摘みをし始めた。俺は木陰に入ってバスケットを置き、ロゼと後ろの海と空を眺める。

 さざ波の立つ、美しい海。この先には人の溢れかえる都市がある。ここの穏やかでのんびりした生活からは想像出来ない話だ。向こう側からしても、ここの生活は夢物語に等しいんだろう。

「夢物語、か」

 そう。この病院へ来た人間は人口に数えられず、ただこの施設の資料として人生が書かれるだけの存在。夢というよりも幻のような存在だろうか。彼女も、ここの患者全員が。

「…絶対、させない」

 奇病患者は助からない。それがここでの担当者が口にする言葉だ。

 治療法も常に模索状態。経過観察をして、次にまた同じ患者が来た時にそこで確立された治療法を試して、良くなければ更に改良を重ねて次の患者へ活かす。

 それは死んだ子を実験体としているようで、俺は嫌だった。

 ロゼの病気は彼女が初めてだ。二年前の担当説明の時には、基本は経過観察のみで良いとの事だった。平たく言えば記録だけ取れ、と言っているのに近い。


「……先生?」

 不思議そうなロゼの声に、俺はパッと顔を上げる。

「眉に皺寄ってたよ?痛いの?」

「あ、いや…。何でもない」

「そう?」

 ロゼは首を傾げたまま、しかしすぐニヤリと笑みを浮かべた。

「ね、先生!目、閉じて!」

「……俺、虫嫌いだからな」

「私も嫌いだから、大丈夫!ほら、早く!」

 彼女に急かされ、俺は渋々目を閉じた。すると、ふわりと頭の上に何かがのせられた。

「…………いいよ!」

 目を開けると、鼻先に白い花びらが掠めた。

 どうやら、ここの花で花のかんむりを作ってくれたらしい。

「えへへ、私の薔薇とお揃いだよ!」

「あぁ、そうだな。お揃いだ」

「…っうん!」

 ロゼは表情を輝かせて、俺の膝の上へ腰を下ろした。そして首に手を回して抱きついてきた。

「先生、大好き!」

「あぁ、俺も」

 ぽんぽんとロゼの背中を叩いてやると、嬉しそうに俺へ擦り寄ってくる。

 頭の棘が頬に痛い。


「…そろそろ昼にするか」

「うん、お腹空いた!」

 ロゼは俺の膝の上から隣へ移り、反対側に置いてあるバスケットへ熱い視線を送っている。

「ほら」

 バスケットをロゼの目の前へ持って行く。彼女は俺の方をちらちらと見てくるので、目で「開けていい」と合図をすると、ぱっと目が光ってバスケットを開けた。

「おにぎりと唐揚げだ!」

「キャベツの千切りも食えよ」

「うう…」

 ロゼの顰められた顔に、俺は笑う。本当は野菜嫌いな彼女を考え、一人分しか貰っていないのだが。食べさせて問題は無いだろう。

「ほら、食え」

「うぬぬ……。先生の意地悪!」

「野菜嫌いなお前が悪い」

「っ…。で、でも……」

 ロゼは何か言おうとしたが、不満そうに口を閉じる。それから諦めたようにキャベツを食べ始めた。それを見て、俺はおにぎりを頬張った。

「先生もお野菜!」

「はいはい、食うっての」

「本当だよ!?」

 自分で食べたくないのだろう。必死である。

「全く」

 彼女の必死な様子に、思わず笑ってしまう。時折大人びた姿を見せる彼女の、こういう子どもらしい様子は、個人的に面白い。

「…うー」

 唇を尖らせて、ロゼはおにぎりを頬張った。


「っひぃ?!」

 唐突に、どこからか声がした。男の声。俺にだけしか聞こえないのか、とビクビクしながらロゼを見ると、彼女にも聞こえていたらしい。俺の方をじいっと見ていた。

「……先生、こっちから」

 ロゼはおにぎりをバスケットの中へ入れ、俺の手を引いて海の方へ足を向ける。俺も腰を上げて、その方へ向かう。

 崖の下には病院服を着た男が海の方向を向いて、その後ろには──シエラ先輩と黒服の職員が二人、立っていた。

 瞬時にこれから何が行なわれようとしているのか、理解してしまった。

「……ロゼ、耳押さえて目を閉じてろ」

「え?なん「いいから」」

 ロゼの言葉を遮って。俺は彼女へそう言った。ロゼは少し目を丸くして、しかし素直に耳に手を当てて、目を閉じた。そのロゼを抱き寄せ、更に俺の手で耳を押さえる。

 俺の目は、処刑の方へ向く。

 先輩の口が少し動くと、黒服の職員達が先輩より数歩前へ出る。

「いや、だ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」

 男が喚く。大きな声で。

 ロゼに聞こえてないよな。この子には、聞かせたくない。

「いやだいや、なんで、なんでなんで、ごがっ」

 乾いた破裂音が鳴って、唐突に声は止まった。

 赤い液体を砂浜に撒き散らした彼は、黒服の職員二人がかりで脇腹と足首を持たれ、船着き場の方へと運ばれて行ってしまった。


 耳が痛い。心が痛い。目も痛い。


 先輩は血に染まった砂の前に膝をついて、その砂を海の方へと投げ始めた。ぽちゃんと水しぶきを上げながら、彼女は投げ続けていた。

「……先生?」

 ロゼが薄目を開けてこちらを見る。そっと耳から手を離す。

「…ロゼ、帰るか、それとも場所を変えるか。選んでくれ」

 いつもよりも掠れた声に、ロゼの方がピクリと動く。思いのほか、俺も動揺しているらしい。

「……おにぎり、ここで食べたら、駄目?」

「…っ」

 僅かに迷う。が先程で最後なら、ここで食べていても問題ないだろうが、あれが最後であるとは言い切れない。まだ昼間なのだ。

 でも、ロゼに悲しい思いをさせたくはない。

「分かった、でも食べ終わったら移動するぞ」

「はい」

 この時ばかりは聞き分けの良い子でよかったと思った。

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