赤い薔薇は咲き眠る
本田玲臨
第1話
ピピピ、ピピピと、耳の近くで鳴る電子音に、俺は顔を顰めながら聞こえてくる方向に手を伸ばす。目覚まし時計を一回叩いて音を止め、むくりと身体を起こして欠伸を一つ。
「…ねみ」
いつもと変わらない朝の始まりだ。
夢へ誘おうとする魔の手から離れ、目覚まし時計の前に置いている眼鏡を取る。
ぼやけていた視界は形を成し、はっきりと部屋の中が見えるようになる。
そのまま洗面所へ向かい、また眼鏡を外して歯を磨いて、頬を撫でて髭が生えているのを感じ、手早く剃る。それから顔を洗った。
洗面所から出て、クローゼットの方へと向かう。中から服を適当に取り出して着替え、その上から長袖の白衣を羽織る。
皺は手でぱぱっと伸ばしておいた。
着替えを終えてから、一階の食堂へと向かう。
今日の朝食はメロンパンとコーヒー牛乳。一応あいつ用にアップルジュースも貰っておき、階段を上がる。自室の隣の部屋の鍵を開け、ノックもせずに中へと入る。
「よー、生きてっか。…ロゼ」
「おはよ、先生。今日も生きてるよー」
白いベットの中で、浮世離れした彼女が、静かに微笑んで俺を見ていた。
ロゼ・ヴィヴィアンヌ。頭をぐるりと刺々しい薔薇の茎がまとわりつき、右目の部分に真紅の薔薇を生やした、奇病を患う少女。
俺の担当する患者である。
ここは絶海の孤島に建てられた精神病院。この場所には様々な患者が、船によって運ばれてくる。
精神を病んで犯罪を犯した者。特殊な精神病を患う者。あるいはロゼのように一般人とは違う能力や奇病を持った者。
まるで彼らを迫害するように連れて来て、一人一人に試練を与える。それを突破出来た者だけが、船で本土へと帰る事が出来るのだ。
しかし、実態として帰られる人間はごく少数だ。大抵はここで不慮の事故に遭い、死ぬ場合が多い。
特に能力や奇病を持った者は、二度と帰れないと言い切ってもいいほどだ。
「……先生?今日の朝ごはんは?」
「ん、あぁ、悪い。ぼーっとしてたな。ほれ」
ロゼへメロンパンを手渡す。パッと彼女の紫色の瞳が輝いた。
「んで、コーヒー牛乳は飲めんの?」
「……苦い?」
「……お子ちゃまには苦いかもなぁ?」
ニヤニヤと笑いながらロゼに言うと、彼女はぷくっと頬を膨らませる。
「……先生の意地悪」
「どうだかな」
俺はジュースをサイドテーブルの上へ置いてやる。ロゼはそれと俺を交互に見た。
「…先生、優しいのか意地悪なのか、分かんない」
「優しいに決まってるだろ」
軽く笑って近くの椅子へ座り、俺自身のメロンパンの袋を開ける。そこでふと、ロゼの手の中にあるメロンパンを見た。
「…ロゼ、開けられるか?」
「っ大丈夫だもん!」
ロゼは膝の上のメロンパンの袋をグッと握り、ぷるぷると両腕を震わせる。「んっ」と短く声を上げると、パンと音がして袋が裂けた。
その音に目を丸くしていたロゼだが、少しして俺へニヤリと笑った。
どうだ、と言わんばかりだ。
「……よく出来ました」
「先生、棒読み」
ロゼは気に食わないようで眉を寄せたが、特に何も言わずにメロンパンに齧り付いた。
「んー、美味しい!」
「そりゃ良かった」
俺もまた、メロンパンを食う。
「先生。今日私、何してもいいの?」
「……そうだな。気分が良いなら外に出てもいいし、ここで絵を描いてもいいし。何なら図書館にでも行くか?」
「お外!お外が良い!」
「そ、そうか。……大丈夫なのか?」
俺はロゼの頭に巻き付く蔦を見ながら、彼女へ聞き返す。
ロゼの頭のそれは、不定期に頭を締め付ける。それは皮膚を裂き、時折血を流させる。まだ頭蓋骨を変形させる力は見せていないが、恐らく数年もすれば、彼女の骨を砕くかもしれない。
出来る限りロゼには苦しい思いはして欲しくない為、彼女の望み以外では不安な要素は取り除いておきたかった。
「……大丈夫だよ。今日は気分が良いの。ねっ、ピクニック行きたい!」
「…ピクニックねぇ。そんな言葉知ってたのか」
「先生、酷いっ!」
ロゼは眉を寄せて俺を見て、メロンパンを口いっぱいに頬張った。
「はは、悪かった。ちゃんと用意しておく」
「勿論だよ!」
ぷりぷりと怒るロゼだが、久し振りの外出が嬉しいようで、口元が緩んでいる。
「……じゃあ、外出届けを出してくるから、服着替えて待っとけ」
「はい!」
「体調が悪くなったら、コールで呼べ。すぐ行くから」
「はい!」
ロゼは手を挙げて素直に返答する。俺は残りのパンを口へ入れ、コーヒー牛乳二本で流し込む。
「よし」
俺は立ち上がって、ロゼの部屋のゴミ箱にゴミと化したそれらを突っ込む。
「いい子にしてろよ、いいな?」
「うんっ」
ロゼの楽しげな姿を見ながら、部屋の扉を開けて鍵を閉める。
「……ヴィル・ミフィア。何をしている?」
背後から地を這うような低い声を掛けられ、思わず、声にもならない悲鳴を上げてしまう。
緊張してしまった足では上手く歩けず、もたついてよろけてしまう。小馬鹿にする笑い声が聞こえ出す。
そこには腹を抱えているシエラ先輩が立っていた。いつもの彼女の悪ふざけだと理解する。
「……っくそ、本っ当に驚かすの、やめてください」
「何で?面白いぞ」
くつくつと笑う彼女。
本当に、腰が抜けなくてよかった。
「いやぁ、いつも通り元気だね」
「俺がそういうの嫌いって、知ってますよね?元気とかじゃねぇんですよ。普通に嫌です」
「『ぼく怖がりなんですぅ』って言うなら、止めてやっていいんだぞ?」
「なんすか、その喋り方。気持ち悪いですよ」
ははっ、とまた先輩は笑う。
シエラ・フォーサイス。俺より二年先輩の女性担当者であり、更に新米担当者だった頃の俺の指導員だ。
「今日はロゼちゃんとどこか行くのか?」
「……外、ですけど」
ほぅ、と先輩はそう言って、またニヤリと笑う。
「手を出すなよ?」
「出しませんよ。……先輩は?」
「精神安定剤。今受け持ってるのが精神病患者だからな」
先輩は俺の肩を叩いて、そのまま横を通り過ぎていった。
風のように現れて、嵐のようにかき乱して去っていく。
「……よし」
俺は止めていた足を動かし、いざという時のための痛み止めと昼ご飯を二人分。それをバスケットに詰め込んでから、外出届けを提出しに行った。
それらを終えてから、俺はロゼの部屋へと戻る。
鍵を開けると、ぴょんとロゼが俺へ抱きついてきた。
可愛らしい桃色のふんわりとしたワンピースに、黒いブーツを履いており、普段の白い病院服とは違う、可愛い少女になっている。
「……先生、私、変?」
「ん、あ、や。変じゃねぇよ」
「ふへへ、良かったぁ」
花が咲くように彼女は笑う。いや、もう咲いてはいるんだけど。
「…じゃあ行くか」
「はーい!」
ロゼはぴっと手を挙げる。その手を取って、俺達は外へと向かった。
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