Episode.10 Beautiful boy to confess his dirty past.
ユキとその仲間の男に襲撃されてから数日後。ユイは頻繁にマキの包帯の下の怪我を気にかけていた。
「大丈夫、ですか...?」
「あはは、もう痛くないってば。ユイは心配性だねぇ」
ユイがマキの太腿に顎を乗せて上目遣いに彼女の顔を不安げに見つめ、マキがそんな彼の頭を優しく撫でるというのは近頃の日常風景の一つであった。
「マキ...そろそろ仕事...」
そんなのんびりした様子でいたマキに、シノは溜息交じりに小さく呟いた。
「そうですね...」
マキはゆっくりと身体を起こし、自室の方へと向かっていった。シノはその後ろ姿を見て、顎下に下げていた自身のマスクを上へ上げる。
「ユイ。今日は俺の友達がここに来るから。その人と一緒に居てくれるかな?」
シノが優しい声音でそう言う。ユイはその言葉を聞いて、涙目で身体を強張らせた。
慣れない人と一日を共にしろ、なんて。やっとシノとマキに慣れてきたばかりのユイには少々―、いやかなり厳しい言葉であった。
「ぼ、僕...一人でお留守番出来る...」
「でもこの家に誰かが入ってこないとも限らないし。大丈夫、今から来る人は普通の人だから」
シノは安心させるように笑う。ユイはシノから離れたくないとばかりに、ギュッと腰に抱きついた。
そこへゴーグルとマスクを付けたマキが戻って来た。そして二人の様子を見て首を傾げる。ユイはシノから離れてマキの方へ行った。
「どうした、ユイ?」
「...知らない人、来るんですか?」
「...あぁ、狐目さんの事?先輩、ユイ一人で留守番じゃなかったんですか?」
「流石に少し怖くて。この間の事もあるし、家がばれていないとも限らないからね」
マキは納得したように頷いて、ユイの頬をすりと優しく撫でた。
「大丈夫。信用出来る人だから。それとも、ユイは私達が信頼してる人を信頼するのは出来ないかな?」
そんな事を言われてしまったら、ユイは首を振るしかなかった。そんな事ない、という意思を示すしか道はなかった。
狡い人だ、とユイは思った。
その時、コンコンと玄関からノック音が聞こえてきた。
「来たかな」
シノは片手に拳銃を持って、玄関の扉をゆっくりと開けた。
「おい、人様に拳銃向けてんじゃねぇよ」
ドスの効いた、低い声が聞こえてきた。ユイはそれにびくりと身体を震わせて、グッとマキのパンツの生地を握り締める。
「今日は頼むね、ソーロ」
「ま、それなりの事はしてもらってるからな。ガキの子守くらいは任せろ」
黒縁眼鏡の奥の双眸は鋭く、口元を隠している深緑色のマフラーは、割と美形な顔立ちの半分を覆い隠している。シノと似たり寄ったりの身長と年齢を感じさせる青年に見えた。
ソーロと呼ばれた青年は、ギロリとユイを見下ろした。ひっと喉の奥から彼は悲鳴を溢して、マキの後ろへ隠れた。
「...あれか?」
「ユイをあれって言わないで。ソーロでも怒るよ」
不機嫌そうなシノの声にソーロはふっと息を吐いて、マキとユイの方へと近づいて行った。
「...今日一日俺がお前の面倒を見る、葬儀屋のソーロだ」
「.........そうぎ、や......?」
「狐目さんはね、マフィアとか娼婦とか殺し屋とか、普通の葬儀屋が手に負えないような職種の人間の葬儀を担当しているんだよ。...狐目さん曰く、意外と稼げるらしい」
「金は何だって必要だからな」
ソーロはマキの言葉を遮ってそう言う。
「金はこの世で一番必要なもんだよ。例えばそうだな...、大きく言えば人間の命だって買えるからな」
ピクとユイの身体が動く。それにソーロが気付いた様子はなかった。
マキはポンとユイの背中を叩いて、ソーロの方へ少し寄せた。
「夜までには帰るから、狐目さんとよろしくね」
マキはするりとユイから離れてシノの横に立つ。
「ソーロ、ユイを泣かせたら怒るからね」
「分かってる分かってる。さっさと仕事を済ませて来てくれ」
シノとマキはひらりと手を振って、玄関から出て行った。残っているのは、怯えた様子のユイとソーロだけである。
「...あーっと、ユイ...だったか?」
「ひゃいっ?!」
ユイはまるで小動物のように、カタカタと震えてソーロから距離を取った。何も悪い事はしていないソーロだが、気まずくなりもう一度声を掛けるのにはばかられる程度には、ユイの態度にショックを受けていた。
その表情にユイはすぐに気付き、慌ててソーロへ声を掛ける。
「あ、えぁ、ごめん、...なさい。...あんまり、慣れ、て、なくて......」
「いや...。俺も悪かった。...お前がそういう風だっての、シノから聞いてたんだが。ビビらせちまったみたいだな」
ソーロは苦笑いを浮かべた。その顔からは、悪い印象はあまり感じられなかった。どちらかといえば、シノやマキに似た柔らかい雰囲気を感じ取る事が出来る。ユイは離してしまった距離を僅かに詰めて、ソーロの横に人一人分のスペースを空ける程度の距離感を保った。
「そ、ソーロさん...、葬儀屋さん...の仕事、は、危ない...ですか?」
「仕事?んー、そうだな......。ま、あいつらの仕事よりは楽だな。命の危険なんて大してないからよ」
ソーロはそう言ってニヤッと笑った。
「ユイに娼婦は言っても分かんねぇかもしれねぇが、ま、そういう汚い仕事してる奴等の魂は、カミサマは欲していないそうなんだよ。で、俺は勝手にそういう奴等を勝手に地面に埋めちまうわけだから、『穢れが蔓延する』とか適当な事を抜かすお偉いさんの手下に、いっつも追いかけられてたりすんのよ。ま、そんな感じだよ、面倒なのはな。二人にはそれを追っ払うのをよく手伝って貰ってんだ」
「ど、んな...仕事も...、大変、なん...です、ね...」
「それが仕事だからな」
ケラケラとソーロは快活に笑った。ほんの少しソーロに釣られるようにして、ユイも小さく微笑んだ。
「......なぁ、ユイくん。俺からも質問していいか?」
「は、はひ......」
質問という単語にユイは身構える。ソーロもその雰囲気を感じ取り、また快活に笑った。
「大した質問ってわけでもねぇから、そう気を張るな。...なぁ、どうしてあいつ等とつるんでるんだ?」
ピクッと、ユイは自分の指が動くのが分かった。
疑問に思って当然だろう。シノやマキと共に仕事に行くわけでもない。身体はどこも悪くなくむしろ健康的で、不調なんてものは一切ない。
ユイはただ、あまりにも二人に大切にされている。
この、他人を蹴落として生きていくのが当たり前のような世界で。
「最初この話をもらった時、新しい仲間でも引き入れて、そいつが怪我を負ったとかいう話なのかと思ってた。でも、可愛い顔した―人を殺したこともないような純なお前が出てきて、正直内心は吃驚してた。あいつ等が誘拐するとは思えねぇし、孤児を世話係として買うとは考えられなかった。...どっちかの血縁かとも考えたけど、顔、似てねぇしな。...で、答えられそうか?」
無理ならいい、とソーロは少し遅れて付け足した。ユイは少し左手で右手をぎゅっと押さえた。そして顔を下へ向けて、小さく呟いた。
「...シノ、に、助けて、もらった、んです...。ぼ、僕...違う人の...玩具、として、飼われて、それで、...いろんな事を...、されました。殴られたり、蹴られたり、身体を、...求められたり...とか。このまま...、ここで死ぬのかな、って思ってて...。でもある日、黒い髪の、男の人が、助けてくれたんです...、檻を開けてくれて...。そこから走って...、でも、一人で生きていけなくて、...そしたら...、追手が来て...、でも、シノが助けてくれた...。それから...、ずっと、いさせて、もらってる」
ユイはひとしきり言い終わり、顔を上げた。そしてぎょっとする。
ソーロはだらだらと、眼鏡の奥の両の青の瞳から涙を流していた。鋭い瞳から少し冷たい人だと思っていただけに、その反応にユイは目をぱちくりさせて、それからはっとして慌ててソーロへ近付いて、涙を指の腹で拭った。
「............ごめんな。悪い事聞いた」
「い、いいんです。...大丈夫、ですから...」
ソーロはごしごしと眼鏡を外して涙を拭い、目の前のユイの頭を優しく撫でた。
「成程。あいつ等が大切にしたがる気持ち、分かるわ...」
シノやマキとは違う、少し荒れた手が茶髪を梳くように撫でる。初対面だからかその手付きはぎこちないが、優しい人の手の動きだとユイは思った。
「お前が受ける筈だった親からの愛情を、あいつ等はお前に渡したいんだろうな。...恐らく、そこには自分たちの過去も重ね合わせているんだろうな」
幼少期に二人が受けられなかった、愛情を。ユイは彼らから今、二人の幼少期に重ね合わされて、優しくされている。
「ま、でも。シノもマキも、ユイとして愛情を注いでるんだろうな。だから、護身としての武器も持たせずに俺が雇われたってわけか...」
ソーロは納得するようにそう言って、腕時計へ目を落とした。時刻は昼の少し前。そろそろ昼時と言ってもいい時間帯である。
「昼飯、作るから手伝ってくれるか?俺、あんまり料理上手くねぇんだ」
ソーロの言葉にユイはパッと瞳を輝かせた。そして了承の意を示すように、しきりにコクコクと頷いた。
少し不思議な子だ、とソーロは口元を緩めながらそう思う。そして、ソーロとユイはキッチンへと歩いて行った。
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