Episode.5 A boy getting wet with tears embraces the flower of one fate.
次の日。ユイは起こされる事無く、目を覚ました。一昨日に比べると随分と疲れが取れているのか、身体は軽い気がする。
「...よし!」
今日の朝ご飯、自分が作ろう。
そう意気込んで、ユイはゆっくりとハンモックから降りて、リビングへ向かった。
そこには、既にシノがいた。シノは昨日もらった艶々した紅い林檎を切っていた。机の上にはハムとレタスと卵の挟まったサンドウィッチがある。
「お、おはようユイ」
「...おはようございます」
「あれ?怒ってる?」
少し膨れっ面をしたユイに、シノは苦笑いを浮かべる。
理由が何となく分かるからだ。
「...あのさ、ユイ。マキに、朝ご飯一緒に食べるか聞いて来てもらってもいい?」
シノがそう言って仕事を与えると、ユイはパッと表情を明るくする。
仕事がない方が嬉しいと思うのだが、ユイは全くの真逆である。
ユイはシノに頼まれた通り、マキの部屋へと入って行った。
彼女の間取りは、シノの部屋と同じだった。置いてあるものもシノの部屋と酷似しており、違う所と言えば人の命を奪う道具がそこら辺に置かれている事である。
「......マキ、さん」
つんつん、とユイはハンモックで眠るマキの肩を突く。少し眉が寄せられ、元の寝顔へ戻る。再度、つんつんと突く。
「ま、マキさんっ!」
少し大きめに声を出すと、ゆるりとマキの橙の目が開く。ゆらゆらと灯のように揺らぐ瞳は、ぼうっとユイの方を向いた。
「あ、あの...、朝ご飯......出来てて......。一緒に、食べるかって.........」
「...んー」
少々唸ると、マキはゆっくりと身体を起こした。
「......おあよ、ユイ」
「...お、おはよう、ございます......」
「うぅー...。で、朝ご飯?」
マキはうつろうつろと首を傾けつつ、ハンモックから降りる。
「で、でも...、あの......。眠そうなら、いいって......」
「んん...。いや...、皆と食べる...。その前に、顔洗う......」
マキはユイの頭をぐしゃぐしゃと雑に撫で、ふらふらとした足取りで部屋の外へ出て行った。それから少し遅れて、ユイがマキの部屋から出た。
「ありがとね、ユイ」
「い...いえ......」
ユイはフルフルと首を振るって、昨日と同じ席へ座った。
シノが切った林檎をボウルに入れてテーブルへ置く頃に、洗顔し終えたマキが洗面所から戻って来た。
「ふわ......。おはようございます、先輩」
「うん。おはよう」
マキとシノは椅子へ座り。三人で朝食を食べ始める。
「今日はどうしよっかー」
「寝る」
「マキはね。俺とユイは普通に寝てるから」
どうしようか、とシノは悩む。
「...ユイは、どうしたい?」
「............っう......」
ユイは言葉に詰まってしまう。何かしたい事を聞かれるなんて、そんな機会全くないのだ。
しゃくしゃくとマキが林檎を噛む音が、静かなリビングに響く。
「怒ったりはしないから。ユイの好きに言っていいよ」
にこりとシノは笑ってサンドウィッチを咀嚼していく。ユイは少し躊躇うように、ゆっくりと口を開いた。
「あの、その......、三人で...いたい、です......!」
シノとマキは顔を見合わせて、それからユイを見た。ユイは林檎のように真っ赤に染めて、顔を俯かせる。
マキはくすくすと笑って、ユイの頭を撫でた。
「かーわーいーいーなぁ。ユイは!」
「ま、マキさ」
「そんなの、いつだって側に居るよ」
ユイは顔を上げ、二人を見た。マキは嬉しそうに笑って、シノは照れ臭そうにはにかんでいる。
じんわりと、胸の奥から熱が込み上げてくるような感覚がした。
「じゃあ、今日は家でのんびりしようか」
「そうしますか。なら、私はひと眠りしますね。用があれば起こしてください」
マキは欠伸を噛み殺しつつ、食器をキッチンへ持って行き、ふらふらとソファへ向かって身体を倒した。
「...ユイ、皿洗い頼んでいい?」
「っはい!」
ユイはコクコクと頷いた。シノは少し苦笑いをして、最後の林檎の一切れを口に入れた。
ユイに皿洗いを任せ、シノは風呂場の掃除をしていた。本当ならばユイにも手伝ってもらいたいところではあるが、そういう訳にもいかなかった。
風呂の掃除を終え、洗濯物をカゴから洗濯機へと移動させていく。その時、ふわりと染みついた血の匂いが鼻の奥へ入り込んでくる。
何年もずっと匂っていると、ほんの僅かな匂いでしかないが、嗅ぎ慣れないユイにはきついものがあるかもしれない。最初に出会った時も、気が動転していなければむせ返っていたかもしれない。
「...俺は...、どうしたいんだろ」
ユイをこちら側へ引き込んでおきながら、仕事には一切触れさせないなんて。我が儘が過ぎているかもしれない。何も選択せず、ずるずると引きずる。何も変わっていない事に、シノは薄く笑みを張り付けた。
「...シノ、さん」
その声に慌てて振り向く。考え込んでしまっていたせいか、ユイの存在に全く気が付かなかった。
シノは急いで洗濯機に残りの物を放り込み、ユイへ微笑みかける。
「どうした、ユイ?」
「え...、あっと......。お皿、洗い......、しました.........」
「ん、ありがとう。ゆっくりしてていいよ。俺、これだけしてからそっちに戻るから」
シノがそう言うと、ユイは少しだけ視線を反らして、こくんと頷いた。ぺたぺたと可愛いらしい足音を立てて、リビングへと向かっていった。
ふ、とシノは息を吐いて、上の棚から洗剤を取り出し、洗濯機の中へと入れる。
その間もぐるぐるとシノは悩みの渦に立っていた。
ユイはとことこ歩いて、マキの寝ているソファにもたれかかり、ちょこんと座る。目の前には積まれた本やちょっとした小物が並べられた棚が置かれている。
ユイは積まれた本から一冊取って、ページを開く。文字が読めるわけではないので、ただその文字の羅列を眺めているだけである。
「.........薬の作り方」
唐突に聞こえた低い声に、ユイはびくりと身体を震わせた。パッと目を覚ましていたマキは、寝ぼけ眼でユイを見ていた。
「ま、マキさ、」
「...毒薬とか、睡眠薬とか......。そんなのの作り方。......ほらぁ、人を殺すには必要でしょ?」
マキはクスリと笑う。
ユイはほんの少しだけ、背筋がぞくりとした。そして、自分が今置かれている状況を改めて思い出す。
彼らは殺し屋だ、と。
「........怖い?ユイ」
「...えっ」
「そんな顔、してたから」
マキはふいっとユイから目を離し、天井を見上げる。薄汚れた天井を見て、目を閉じる。
「怖いなら、いなくなってもいいんだよ。無理してここに居なくたってさ。君の人生を落としているのは、私達なんだからさ」
「............マキ、さん」
ユイが慌てて口を開いたが、もうマキの口からは寝息が聞こえていた。
「.........う」
叱られたわけではない。突き放されたわけでもない。彼女にとって悪い顔をしてしまったのは自分で、マキには非がないというのに。
奴隷の生活の中で泣いた事など、最初の数回しかなかったはずだ。いつの間に、こんなにも弱くなってしまったのか。
ぐしぐしと溢れ出てくる涙を拭っていると、シノがリビングへ戻って来た。泣いているユイを見て、シノは目を白黒させた。
「ユイっ!?」
慌てて駆け寄り、ユイの身体に怪我かなにかがないか軽く見る。そんな彼に、ユイは少し近付いて、ぐいっと服の裾を引っ張って動きを止めた。
「.........ユイ?」
シノの動きは止まる。ユイは更にシノへ近付いて、彼の胸に顔を埋める。無駄なにおいは一切ない、ほんの少しの洗剤の匂いがするだけだ。
「ユイ.........。泣きたいときに、泣きな...」
ユイは返事代わりに、ぐりぐりと頭を押し付ける。シノはそうっと背中に手を回して抱き締め、優しくポンポンと叩く。
ユイは唇を噛んで、ぐすぐすと涙を流した。
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