Knight Killers~幽冥へ駆ける者達~
本田玲臨
Episode.1 Butterfly there remains at the boy's shoulder.
夜の闇の中。一人の青年を先頭に、数人の男が路地を歩いていた。
遅くも早くもない速さで、男達は路地の一角を曲がる。そこにはぼろぼろの衣服を身に着けた茶髪の少年が居た。
白い肌にやつれたような痩躯。目尻に薄っすらと溜まった涙。一瞬女かと見間違えそうになるが、身体つきは男のそれである。
先頭に居た深くフードをかぶった黒マスクの男は、少年の方へ一歩近付いて、頭に狙いを定める。後を付いていた男達は、万が一にでも少年が逃げ出した際の保険として路地の入口付近を塞ぐ。
「........殺し屋、さん」
声変わりしていないのだろうか、震えた高めの声に、引き金に置かれた指が微かに揺れる。
「早く、僕を殺して...」
その言葉に、フードの奥の紫の瞳が見開かれた。
いつもならば、
今回はこの少年が標的だ。今の雇い主が数か月探していた人物。
雇い主はこの少年を
この少年はほんの僅かな隙を突いて、あの場所から逃げ出した。それを知った雇い主は、少年の探索ではなく暗殺を望んだ。少年による復讐を恐れて。
最初は随分と自分勝手な依頼だと思ったが、引き受けて青年はここに居る。
何となく、青年は彼の命を奪うのを惜しいと思った。生きるのが辛くて、仕方ないのかもしれないが、それでもここで失うのは惜しいと思う。
青年は銃口を向けるのを止めた。
少年はその行動に、目を丸くして凝視していた。
青年は流れるように後ろの元仲間の頭に瞬時に狙いを定めて、躊躇いなく命を奪う。
血飛沫と銃口から噴く煙。頭蓋骨が粉砕される音と、肉が穿たれる音。生々しい血の匂いが路地を渦巻いた。
青年は、「少し刺激が強すぎたか」と少年の方を少々心配しながら見る。彼は次に死ぬのは自分だと思っているのか、そこまで怯えた様子はない。
少年へ話しかけようとして、青年が口を開いた時に、無機質な機械音がポケットから鳴る。青年はイヤホンの付いた手の平サイズの四角い機器を取り出し、イヤホンを耳に当てて赤いボタンを押す。
『おいっ!
切羽詰まったような男の声。青年はその言い草に顔を顰め、小さく息を吐き出す。
「...
青年はさらりと嘘と路地の場所を言ってから、機械を切ると地面へ思い切り叩きつけた。破片と化した機械を見てから、黒マスクを顎下にずらした。それから唖然としている少年を見る。
「........なん、で...........」
「さぁ、なんでだろうね?」
口をパクパクと動かしながら、少年は彼へ訊ね聞く。青年は目深にかぶっていたフードを下ろして、汗で蒸れた黒髪を掻き乱す。
夜の闇に溶け込むような漆黒の髪に、宝石のように美しい紫の瞳。端正な顔は全体的に優し気な印象を与え、少年の顔を見ていた。
「どうして嘘を吐いて...、僕は殺していいって........」
「君の事、俺が飼いたくなっちゃったから。そんな理由じゃ、駄目?」
追手を心配し、まくし立てるように早口で言って、青年はにこりと笑った。
先程人を殺した人間とは思えぬ優しげな微笑みに、少年は何も言えずただじっと見続けた。
青年の瞳の奥にあるであろう本心を探るかのように。
「おいで」
青年の優しい言葉に、少年はのろのろと立ち上がり、彼の方へ足を一歩踏み出した。青年はその瞬間少年を抱き抱えて、夜の路地を駆けた。
しばらく二人は走り続け、煉瓦造りの家が立ち並ぶ場所へ来た。ここまで来るといいか、と青年はゆっくりと少年を下ろした。
「歩ける?」
「........は、はい」
「うん」
青年はまた柔らかく笑って、少年の頭を撫でた。それから彼の手を握って、歩幅を合わせるようにゆっくりと歩いて行く。
少し歩いて、青年は少し壁の汚れた一軒の家へ辿り着く。その茶色の扉をコンコンと叩くと、鍵の開く音が小さくなった。
それを聞いてから、青年は腰の拳銃を抜いた。
「少し下がってて」
青年は少年の手を離す。
青年はドアノブに手を掛け、扉を開けると同時に、ナイフが彼の顔面めがけて飛んできた。青年は素早く拳銃の柄で防ぐ。金属音が鳴ってナイフは床に落ち、くすくすと華やいだ笑い声が聞こえ始める。
青年は呆れたように笑いながら、黒髪の少女の頭を叩くように撫でる。
「........ただいま、マキ」
「っお帰りなさい、先輩!」
玄関に立っていたのは、黒髪を一つに結った少女。無邪気な笑顔とは裏腹に、その手にはナイフが握られていた。
シノ、と呼ばれた青年は苦笑いを浮かべて、隣でびくびくしている少年を前に出した。少女は僅かに目を瞬かせて、それから慌ててナイフを背中の方へしまい込んだ。
「初めまして!ごめんね、驚かせちゃったね。侵入者だったときの対処、早めにしなくちゃ死ぬからさ。いっつもこうやってしてるの。特に先輩がいない日とかね?」
ふふ、と人の良い笑みをマキは浮かべた。少年はゆっくりとシノの背中から出て、マキを見る。
「は、初めまして........。ゆ、ユイ、です........」
「ユイ!私はマキっ。よろしくね、小さいけど何歳なのさ?」
「じ、十三です........」
「小さいなぁ。私の弟でもおかしくない年齢だねぇ」
マキはくすくすと笑いながら、ユイの頭をポンポンと撫でる。それからはっと気が付いたように目を開いて、ユイから顔を上げる。
「ま、とりあえず中にどーぞ」
中はそこまで広いわけではない。四人家族が過ごせる程度の広さだ。埃っぽくもなく、きちんと整理された落ち着いた雰囲気の空間だ。
「で、先輩。ユイを連れてきた理由は?今日の仕事の
マキはくすっと微笑んで、ユイを視界に捉える。品定めするかのような鋭い視線に、ユイはシノの背中に隠れた。
「こら、マキ」
「えっへへ、申し訳ない」
茶化したような口振りで、マキはユイに謝る。それを聞いてから、ユイはゆっくりとシノの背中から顔を出した。
「懐かれましたね」
「懐かれちゃったねぇ」
「あ、の........、僕、は...、どうしてここ、に........?
震えるユイの声に、マキは不思議そうに眉を寄せて、シノを見た。シノは少し苦笑いをして、
「この子、雇い主の
「わぉ。理不尽な飼い主ですね。ま、羽振りがよさそうな依頼の報酬でしたし、何となくの理解はできます」
マキは近くのソファに腰を下ろして、背もたれの部分に顎を乗っける。
「で、依頼を放り投げた理由は?」
「それは、分かんない。ただ...引き金が引けなかったんだよね。そのまま置いておくのも気が引けたから、連れてきちゃった」
「お人好しの発動ですか...」
マキは呆れたように言う。シノは小さく微笑んで、ユイをマキの横に座らせた。
「え、あの、飼うって.....」
「あれはその場限りの口走りだよ。俺は君を飼う気はないよ。...今すぐに殺す気もないけど」
ユイは目を丸くしてその言葉を聞いていた。
いつもあの男が浴びせていた罵声や、快楽に溺れた厭らしい声とは違う、温かみのある柔らかな声。それは聞いていて心地の良い低い声だ。
が、ユイの心がすぐに変わるわけではない。
「........殺して、くれないの?」
「ふうん...。どうしても君が死にたいなら、金を積んで依頼して。そうしたら殺してあげる」
シノは花が咲くように笑った。
「...い、らい...?」
「そそ。私達は殺し専門の"Knight Killers"だから」
マキは得意げに言い、ユイは大きく目を見開いた。
この国に巣食う主に殺し屋として生計を立てている、何でも屋に近しい闇の職業、それが"Knight Killers"と呼ばれる人間達だ。
単独で行動する者もいれば、利害の一致した人間同士で徒党を組む者もいるが、安全に仕事をするのが、彼らの定石である。
近年は法令が整い、"Knight Killers"殺しの"Knight Killers"が存在するような態勢が敷かれている。が、それまでは特に法整備はなされていなかった。それは権力者も彼らに依頼する事があるからだ。
そんな"Knight Killers"にも種類がある。何事もマルチにこなす者。死のリスクを恐れて麻薬運びを専門に行なう者。そして、目の前の二人のように殺しを専門とするのも珍しくない。
「怖くなった?」
黙りこくったユイにマキは訊ねる。ユイは慌てて首を振るった。
「...素直に怖がってくれてもいいのに」
「...あ、あの、シノさん...」
「呼び捨てでいいよ、ユイ」
「...シノ、頼んだら...殺してくれるの?本当に?」
縋るようにシノの目をユイは見ていた。その目に対して、やはり似ているとシノはぼうっとそんな事を考えていた。
「...俺は高いよ。君が一日中働いても何年かかるか分からないくらいにね。...普通の仕事なら、の話だけど」
シノの含みのある言葉にユイは眉を寄せて、マキは小さく「お」と声を漏らす。
「...身売りは、割と...稼げるけど...」
それをそういう意味と捉えたユイは、ぼそぼそと言った。シノは苦笑いをして、ユイの手触りの良い茶髪を撫でた。
「そういう、自分を大切にしない考えは感心しないなぁ。もっと自分の身体を大事にしなさい」
「...大事?」
その考えは、ユイにはまだ分からなかった。
元々欠如しているのか、沢山の人間に好き勝手されたせいか。それさえも彼には分からない。
「...ね、ユイ。ここで一緒に暮らそうよ。俺への依頼料はここでの家事代行でいいから。どうかな?」
「え...」
「あ、ていうか君の考え的には俺は主人に当たるわけだし、命令するくらいでいいのかな?」
シノはそう言って顎を撫でる。マキは呆れたように肩を竦め、頬杖をつく。
「え、と...。僕はここにいるの...?」
「そういう事かな。ま、ここから出て、せっかく助けたのにすぐに死んでもらってもいいけど。そういうの、俺が嫌な気分になるからなぁ...」
にこっとシノは笑う。ますます先程の冷たい眼光との違いに、ユイは頭が追い付かない。分かるのは、自分の新しい居場所がここになったという事だけ。
「新しい仲間かぁ!よろしくね!」
「へ、あ、よ、よろしく、お願いします...?」
マキの明るい声に、ユイはびくりと肩を震わせる。が、何とかどもりつつも、返答を返した。
「寝るところはそこのソファにしてもらうとして...。じゃ、今日はお風呂入ってもう寝ようか。こっちおいで、ユイ」
シノの優しい声音に、ユイは小さく頷いた。
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