第廿肆話 三匹の猫と退魔師達

 俺達は地下四階に降り立った。それとほぼ同時に、エレベーターの扉が開き中から悠威達も降りてきた。

「奇跡...」

 架深は心底驚いているようで、そう呟いてから三人の元へ駆けた。


 悠威から話を聞いた所によると、地上へ戻ろうとした際、煉兎がボタンを誤って押し間違えて地下四階に来てしまったという。いつもならおっちょこちょいは責める対象だが、今回は褒められる場合だ。

「それにしても凄い偶然だね!蒼月さんの幸運が移ったみたいだ!」

 叶亜はこの奇跡に驚いているようで、そう言いながらはしゃぐ。

「.....あ、あのー、悪いけどさ。はしゃいでる暇無いんだよね」

 波瑠がどこか気まずそうにそう言う。この場合は波瑠は正論だ。いつここに追っ手がやって来るとも限らないからな。

「こっちだ。道は一方通行みたいだからな。人払いの術は剥がしておいた」

 朔夜は指を差しながらそう言った。

 俺達は朔夜を先頭に、追っ手が来ないようにと急いでその方向へと向かう。


 しばらく進むと、扉が見えて来た。近未来的な銀色をした扉は閉まっており、中の様子は伺えない。

「奏人、カードキーを」

「分かった」

 桜庭から手渡されたカードキーという物を翳すと、ピコッと音を鳴らして扉が横へずれ開く。

 中の白いタイルに反射する照明のが眩しい。

 俺達は目を慣らしながら中へと入る。

 巨大な機械が奇怪な音を出しながら作動しており、それから出た配線や配管は真ん中の巨大なドラム缶のような形をした磨り硝子ガラスで作られた容器へ繋がれている。

 俺達はそれの中身を見て──、





「何だ、これ.....」





 誰もが言葉を失い、それへ釘付けになった。


 淡く青く色付いた液体の中に、生物と思われるものが浮いていた。

 それはこの世の負の感情を詰め込んだかのように黒く、忌々しい雰囲気を硝子越しだというのに放っていた。

 形としては鬼に近いだろうか。人間らしい身体の形だが、筋肉の付き方は鬼のそれに近しい。だが、彼らの目印である角は見当たらない。

 二つの瞼は閉じられており、丸太ほどありそうな腕は、宙ぶらりんと液体の中を揺蕩っている。

 足も腕と同じくらいの、いやそれ以上の太さがありそうだ。

 こんな妖は見た事ない。


「何これ.....」

 ようやく絞り出された声に、俺達は動きを始める。

「どっかにこれの装置を止める場所ねぇかな」

「っ探そう!朔夜」

「あぁ」

 悠威と波瑠、朔夜は巨大な機械へと向かって行った。

「.....気持ち悪い」

「そうだな」

 その時、僅かにピコッという音がしたのを聞き逃さなかった。

 後ろを向いたその瞬間、パンと乾いた音が鳴った。と思ったら、自分の目線が一気に低くなる。

 猫の姿にはなっていない。


「大丈夫...、奏人?」


 眼帯の紐が切れた架深が、俺を見ながらそう言った。

 黒の、何も無い空虚な穴と、美しい紫の瞳との違いに、俺は僅かに言葉を失った。が、彼女の頬から流れる切り傷からの血液で、ハッと我に戻る。

「架深っ、お前っ!」

「あぁ、平気だから。銃が下手な人でよかった。もう少し──、心臓とか狙われてたら、助けられなかったから」

 淡々としたいつもの態度で、架深は入って来た扉へ目を向ける。


 そこには煉兎の鎖で身体をぐるぐる巻きにされ、叶亜の風の弾丸を両肩に受けたらしい初老の男がいた。


「ば、化け物...!」

 俺は声を詰まらせ、架深へ視線を向けるしか出来なかった。

「架深、こいつの言葉なんて気にせんでええねんで」

「化け物共がっ!お前らのような種族がいるから、この国は駄目なのだ!!」

 忌々しい、忌々しいと男は呟き、身を捩る。

「.....化け物」

 架深はゆっくり立ち上がって、男へ近づいて行った。

「ちょ、架深?」「架深?」

 叶亜と煉兎も、普段の冷静な彼女からすれば予想外の行動のようで、二人共が焦っている。

「私は、化け物。間違ってないと、思う」

「あぁそうだろう!お前のような人間のなり損ないがいると思うと!それだけで反吐が出そうだ!人間より下の者の癖に!偉そうにしよって!」

 架深が鞘から短剣をすらりと引き抜いた。その切っ先を男の喉元へ向ける。

「でも、私以外の皆は、化け物じゃない。少なくとも、貴方よりは、ずっとずっと人間」

 そこで僅かに呼吸をして、


「私には、貴方が化け物に見える。人を化け物にしか見えない目を持つ、貴方が」


 言い放った。

 そして、短剣を男の喉元へ突き立てる──フリをして、くるりと素早く持ち替えて、柄の部分で思い切り殴りつけていた。

「これで、許してあげる」

 架深はそう言って、頬の血を拭った。それから俺の方を向いて、朔夜が付けた俺の頬の傷を撫でた。

「お揃い」

「...架深」

 無表情のまま、架深は不思議そうに首をこてんと傾げた。俺は架深の身体を抱き寄せる。

「お前も、化け物じゃないだろ」

「.....っ。どうも、ありがと」

 架深は俺からそっと身体を離して、何も無い右目を隠すように手で押さえた。

「気持ち悪いよね。眼帯、紐切れたから、どうしよう」

「別に、気持ち悪いとか思ってないよ!」

 叶亜がポンポンと架深の背を叩く。それに架深は「ありがとう」と言った。

「.....解除出来そう!」

 そこで波瑠が大きい声で、俺達へそう伝える。

「押すぞ」

 朔夜が何らかのボタンを押すと、警告音らしき耳を劈くような音が鳴り始める。

 それから少しして、ブチブチと配線と配管が切れるような音が鳴り、磨り硝子ガラスの容器から白い煙がもうもうと吹き出し始める。

「...っ、あいつら、もしかして」

「安全装置、かけてやがったか...」

 白い煙は徐々に収まり、ドンドンと磨り硝子ガラスを叩く音が鳴る。

 そして──、バンッと一番大きな音が鳴り、硝子ガラス片が粉々に砕け飛んできた。

「...っ!」

 煉兎が俺達の前へ立ち、鎖で飛んで来る大きい破片を別方向へ弾き飛ばし、波瑠が指揮棒タクトを使って水を操り、それで破片の飛んで来る早さを抑えてタイルの上へと落としていく。

「レンさん!」

 小さな硝子ガラス片で傷の付いた煉兎へ、叶亜が声を掛ける。

「平気や。痛うない」

 強がっているんだろうか。小さな傷とはいえ、かなりの切り傷を負っているのに煉兎はけろりとした態度だった。

 そこで、俺は一つの可能性を見つける。


 架深は右目を失い、悠威は味覚を失い、叶亜は健康な身体を失っている。

 煉兎は、何を失っている。

「もしかして煉兎さ、痛いの、分からないのか」

「うん、そやで。.....あぁそっか。奏人には言ってなかったか」

 煉兎はそう言って、頬に付いた傷に触れる。

「こんくらいなら、全く痛くも痒くもないわ。流石に腕を切り落とされたら痛いんかもしれんけど、ま、やった事ないから分からへんな」

 煉兎は、痛覚を失っている。

 それは人体にとって、最も必要な要素を失っていると言っても過言ではないだろう。

「...そか」

「あぁ.....。ま、そういう事を今話してる場合やないで」

 そこで煉兎は言葉を区切り、前を見た。

「来る」


 煉兎も架深も叶亜も、その目を鋭くする。

 液体は流れてこない。あの煙は、液体が気化したものだったのか。

 ずしん、と重厚な音が鳴り、黒い塊の短い二本の足がタイルに付く。五本指が大きくぐわっと開き、丸太ほどの腕の筋肉らしい所がボコッと大きく膨れる。

 閉じられていた瞼がカッと見開かれ、くすんだ黄色い瞳がぎょろりと俺達を向いた。

 その禍々しい雰囲気は、周りを圧倒する。

「...凄いな」

 煉兎は愕然とした様子で、それに目を奪われている。煉兎だけじゃない、他の皆も同じだ。

「っ.....。倒せるのか、こんな禍々しい奴」

 悠威はゴクリと唾を飲み込み、朔夜と波瑠を抱えて俺達の元へと戻って来た。

「.....ねぇ、これは妖なの?」

 ただ一人、架深はいつもの調子で、顔は無表情のままで訊ねてくる。

 ぽっかりと空いた虚無の目の穴は、俺を見据えて離さない。

 違う。


 俺が、架深から目が離せないんだ。

 彼女の『両目』に、魅了された俺が。


「いける。.....架深なら、出来る!」

「.....その答え、聞きたかった」

 架深はフッと笑って、黒い塊へ目を向けた。

 黒い塊はその丸太ほどの腕をブンッと振り下ろしてきた。

 架深の紫の左目が──、淡く光る。



 その太い腕は、パンッと勢いよく弾かれた。



 黒い塊のぎょろりと大きな目が、更に大きく見開かれる。


 架深は低くて落ち着くあの声で、出会ったあの日の時のように、僅かに微笑んで、



「.....私は退魔師──、藤沢架深」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る