第拾話 黒猫と看病
今日の俺は架深の部屋に居た。
今、架深はふぅふぅと荒く呼吸をしながら、ソファの上で眠っている。
昨日──、狂骨との一戦を経て、架深の身体には多量の瘴気が蓄積されてしまっているのだという。それは人間はかなりの猛毒だ。異能を持つ人間は瘴気が
但し、長時間そんな場所に居座ったり、濃度の濃い場所に居ると、こうして今の彼女のように風邪に似た症状が出てしまう。
今日の俺の仕事は架深の看病だ。無茶しないよう、しっかり見張っておけと悠威からのお達しだ。
にしても、本当にこいつは...、ちゃんと食ってるんだろうか。細いし白いし、折れそうだと思う。
僅かに眉間に皺が寄り、ゆるりと瞼が開けられた。
「.....っん.....、にゃんこ.....」
熱に侵されて蕩けた紫の目が俺を見る。
俺は架深の側に擦り寄ってやる。幾分か落ち着くのか、ふわふわとした笑みを浮かべる。
...というか、そもそも猫のままだと、看病もままならないのではないだろうか。
人の姿に、戻るか?
今、この時だけでも戻ってもいいんじゃないだろうか。見ている人は架深だけだし、皆には黙っておいてくれと俺が言えば、誰にも言わないだろう。
覚悟を決めろ。架深の看病をする為だ。
俺はペンダントの留め具に触れ、猫の手なので少し苦戦しつつも取り外す事に成功する。
よし、出来た。
俺は瞳を閉じて、身体全体に力を込める。ざわざわと毛全体が蠢く感覚がして、カァッと身体が熱くなる感覚がして──、それが収まってから目を開ける。
目を開けると、まずは手の形や腕が猫でない事を確認する。上手くいったようだ。服も紅唐の着物に紺鼠色の袴とあの時と同じ格好で、首にも表が黒で裏が紅の色合いをしたマフラーを付けていた。
「........ふ、は、え.....、にゃんこ?」
架深は目を丸くして、俺を見ていた。
そりゃあそうだろう。
黒猫が青年男性になったんだ。驚いて当然だろう。
「秘密だからな。誰にも言うなよ」
架深はこくこくと頷いた。
俺はどかっと架深の近くに腰を下ろす。
「朝から何か食ってんのか?」
「...気持ち悪くて、食べてない」
「粥は?作ったら食えそうか?」
架深は少し考え込むように沈黙し、小さく頷いた。
「量、少なくていい」
「分かった。キッチン、借りるぞ」
「ん.....」
ポンポンと頭を叩くように撫で、俺はキッチンへ向かった。
あまり料理をしていないんだろうか、綺麗過ぎる程物が何も無い。
米は...、あるな。卵もある。良かった。冷蔵庫には食材がそれなりには入っていた。
よし、と気合を入れて早速取り掛かる。
料理はそこまで得意じゃないが、向こうじゃ家事は分担してやっていたので、ある程度は出来る。
粥は少ししてから出来た。
一応俺の分もと思い、量は多めに作っておいた。
架深は俺が飯を作っている間、じいっとぼんやりとした目で俺を見ていた。
深い皿の中に少し粥をよそい、スプーンを食器棚から取り出して、架深の近くへ腰を落とした。
「ほら、作ったぞ。起きられるか?」
「ぅん...」
架深はゆっくりと身体を起こす。俺は背中を支えてやり、粥椀とスプーンを持たせてやる。
「食えるか?」
「.....」
架深はじっと粥を見て、俺へ目を向けてきた。
「作れるんだ...、料理」
「お前失礼だな」
間髪入れずに俺が突っ込むと、くすくすと架深は笑って、粥を口の中へ入れた。すると、パッと表情が輝いた。
「美味しい.....!にゃんこ、上手なんだね」
「にゃんこ呼び、止めろ。俺今は人間なんだから」
「そう.....、そうだね」
ふーふーと粥を冷ましながら、架深はゆっくりと食していった。
「お前さ、日頃ちゃんと飯食ってるのか?細いんだよ、身体」
「んー...、でも身体は、...女子は特に細い方が良いと思う。私の場合は、食べないだけ、だけど」
「原因それじゃねぇか!食えよ!」
まぁ...、架深の言う事に一理なくもない。太ってるよりは細い方がいいと思うが、それでも架深の細さは細い方じゃなくて細過ぎる方だと思う。
「もう少し肉付けろ」
「.....善処する」
「..........まだ食う?」
「ぅんん、もういい。ありがとう」
架深はゆっくりと首を振って、俺へ粥椀を手渡す。
「じゃー、俺も飯食うわ」
俺はキッチンへ向かい、鍋から粥をよそおって架深の近くへ座る。
「.....ねぇ、奏人」
「んぅ?」
「意外と背、高い。それに、全然化け猫っぽくない」
そうだろうな。
悠威や煉兎に比べると俺は頭一つ分は高いし、猫耳や尻尾などがある訳でもない。至って普通の人間と変わらない。
「そうだな。ま、猫と人間に変身出来るってのと、能力持ってるだけだから。そこら辺はお前らと変わらねぇよ」
「へぇ.....」
初めて知る事なのか、架深は興味深そうに聞いていた。
ふと、俺はペタリと額に張り付いた髪の毛に目が行く。
「...お前、汗酷いな。タオル持って来てやるよ」
「あぁ...、ありがとう」
洗面台にあるから、と架深は教えてくれた。
粥を食べ終わり、食器を洗ってから、洗面台へと向かう。
そこからタオルを取り出し、架深へ優しく投げ付ける。
架深は見事それを顔面で受け止めた。
架深はそれで顔を、眼帯を外して全体を拭いて、それから前を拭き、背中の汗を拭おうとして──、その手が止まった。
「.....背中、拭いて貰っていい?」
どうやらそこまで手が届かなかったらしい。
「ん、分かった」
流石に服を脱がすのは躊躇われたので、俺の肩に架深の頭がもたれかかるようにして、首の辺りから俺の手を入れられるようにした。
俺は架深からタオルを受け取り、背中を拭こうとして──、今度は俺が手を止める。
.....待て。今の俺、かなり犯罪スレスレの事をしているような気が...。
「.....?奏人?」
鈍感馬鹿なのか、それとも熱で頭をやられているのか、架深はこの事実に気付いていない。不思議そうに俺を見ていた。
冷静に...、冷静でいろ、俺!
煩悩を頭から追い払いながら、俺は架深の背をタオルで拭いた。
「.....ありがと」
「お、おぉ...」
動揺が気付かれていないか、凄く心配だ。
すると、急にがくんと架深の身体が重くなった。どうやら寝たようだ。
スースーと寝息がしている。
「.....こうして見ると、年相応ってか、あどけねぇなぁ」
普段は口数が少なく、冷徹な瞳で妖を斬る姿しか見ていないからか、こうして少女らしい姿を見るのは、俺の猫の姿の絵を描いていた時くらいか。
「絵.....」
俺は架深をソファへ寝かせ、あの絵を取りに行った。
写真の大きさくらいの作品、『ideal』を手にする。
どうしてか、この紫の左目の絵が忘れられなかった。あの時の幻影がこびり付いているからかもしれない。
猫の時に見ていたのとはまた違う、顔を近付けてよく見える。
「何で...、これに俺は執着してるんだろう.....」
「奏人が魅力を感じているから」
バッと後ろを振り返ると、浅い眠りだったのか、架深が俺を見ていた。
「その絵、本当に好きだね」
「何でだろうな。...これに目が向くんだよ。お前の左目がここにあるから、お前にはないんじゃないかって...、そう思う」
「そんなに...?」
架深は心底驚いているようだった。
でも、俺は嘘は吐いていない。そう感じるからこそ、俺はこの絵に惹き付けられる。
「.....それはね、このアパートに来て、初めて描いた絵。初めて、身体の一部分を描いた絵」
「人の身体の一部...」
俺はもう一度この絵を見た。
白い用紙に紫の眼球。確かに言われてみれば、
「お前、風景画が多いもんな。ここに飾ってあるのもそうだし、〈霜花〉に飾ってあるのも」
「うん...。何でか人の絵って、上手く描けなくて...。難しいとは、あんまり思わないけど」
描きたくないのかも、と架深は仄かに笑った。
「.....お前さ、笑ってる方がいいよ。普段も笑ってろよ」
俺が片手でくしゃくしゃと髪の毛を掻いてやると、がしっと俺の手を握ってきた。
「.....冷たい」
「水触ってたからかもな。ってか普段のお前の身体も、結構冷たいぞ」
「.....私が冷たいのは、人の温かさを知らないからだよ」
その言葉に俺は目を見開く。そして静かに息を吐く。
「...そうか。.....それなら俺も、昔は人の温かさを知らない人間だったから.....。もしかしたら俺達、似てるのかもな」
「.....そう、かもね」
でも、と架深は言って、俺の手を自らの頬へと当てた。
「優しい人の…、やんわりとした温かさがあるよ。私とは、違う」
「.....架深」
「きっと...、元々いた場所で奏人が何か犯罪をして追い出されたわけじゃないと思う。何か事情があって、ここに来たんだと思ってる」
俺は一言も発せず、動けなかった。
「大丈夫。ここの皆は優しいから。奏人を追い出したりなんてしないから」
心配しなくていいよ。
「...おぅ。.....分かってる」
「ふふ、本当...?」
架深はまた柔らかな笑みを浮かべた。
俺はゆっくりと口を開く。
「.....前にお前、言ってただろ。いつか、俺がどっかに行くって」
「.....?...うん、そう」
「.....それ、当たってる。俺はいつか、自分の街に帰る。...友達を助ける為に」
「...そっか、それは寂しくなるね」
「まだ行かねぇよ。でも、必ず助けに行くんだ。俺を逃がしてくれた代わりに、あいつらが捕まったんだから」
俺は空いている手でギュッとペンダントを握り締めた。
それに反応するように、架深もまたギュッと頬に当てている俺の手を握った。
それはまるで大丈夫だ、と俺へ伝えようとしてくれているようで。
熱くなっていく身体は、ゆっくりと静まっていくような感覚がした。
「.....ありがと」
「ん.....?」
何故礼を言われているのかは分からないのか、架深は眉に皺を寄せる。その顔が酷く幼く見えて、俺は思わず笑ってしまった。
「ほら、もう寝とけ」
「........そう、だね。私、寝とく」
元々起きているのが辛かったのか、架深はフッと意識を飛ばした。
かくり、と俺の方へ身体がのしかかる。全く重くはないが、じわじわと温かい体温が俺の身体に侵食してくるようで、架深の感情が俺の冷たい身体へ注ぎ込んでくるようで──、何故だか悪い気分ではなかった。
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