第捌話 黒猫と狂骨

 廊下を歩いて行くと、かなりの重量の有りそうな鉄の扉があった。

 架深は身体を使ってゆっくりと扉を開けていく。ギギギギ...と金属の擦れる音を鳴らしながら、完全に扉が開いた。

「..........っ、瘴気が濃い」

 外の瘴気より何倍も強そうな、一般人ならば保護する服が無いと即死する程の濃いものが充満していた。

 この瘴気を少しでも外へ逃がそうと、扉を開けたまま中へと入る。

「.....ここは一体...。何かある.....?」

 架深はキョロキョロと隈無く見回しながら、ゆっくりと壁に手を付きながら進んで行く。

 俺も見落とさないようによく周りを見回しながら、架深へ伝えるべきものを探していく。


 すると、部屋の一番奥に『いかにも』怪しい木箱が置かれていた。

 架深も俺と同じ気持ちになったようで、剣先でそれを派手な音を立てて壊す。

 中からは、金の延べ棒のような形をした魔金属が数本出てきた。

 だが、その魔金属は汚れているのか、すっかり色が変色していた。


 通常の魔金属は純粋なもの程銀色に近い色をしており、不純物が混ざれば混ざる程、濁った色合いへ変化していく。


 この魔金属は、何方かと言えば銀色というよりも灰色に近しい色をしていた。通常とは明らかに異なるが、俺も架深もそこまで魔金属に詳しい研究者ではない。

「.....これ、変な感じがする」

 ただ、奇妙な雰囲気を感じ取れるばかりである。

「にゃんこ、これのどこがおかしいとか、分かる?」

 分からねぇな。

 俺は首を振って鳴く。架深は少し悩み、それへ手を伸ばした時。

 カタカタと軽い音が鳴る。


 架深は振り返ると同時に、紫の瞳を鮮やかに煌めかせ、バチンと攻撃を弾き飛ばす。

「.....残念。私には妖の攻撃は効かない」

 架深は目を細めて、短剣を正眼に構える。

 弾き飛ばされた『それ』はカタカタと音を鳴らしながら、ゆらりと立ち上がった。


 パッと見た時には人だと勘違いしてしまいそうな背格好だが、『それ』には人に必要な肉はどこにも付いていない。

 白衣のような白い外套を羽織り、見えている箇所からは風化し切っている細い骨が見えている。

「狂骨...」

 絞り出すような声で、架深は呟く。

『.....コロス。ノロイ、コロシテ、ヤル』

 カタカタと歯を打ち鳴らしながら、狂骨は架深へ言い放つ。勿論、架深にはその言葉は分からない。

「砕いてあげる.....」

 ふ、と短く息を吐き出して、短剣に風を纏わせる。

 その時の架深の足元のふらつきを、俺は見逃さなかった。


 妖にとっては美味しい栄養であるが、人間にとって瘴気は毒霧と同等の効力を持つ。

 普通の人間とは違い、異能があるから負担は少しばかり軽くなるとは言え、全くの無害である訳では無い。こんな場所に長時間居たら、どんな人間でも妖でない限りは倒れてしまう。


 架深へ体調の注意をするように鳴くが、彼女はもう目の前の敵へ意識を傾けていた。

 長期戦にならなければ良いが。

 いざという時には助けたい。猫の姿ではあるが、体当たりくらいならば狂骨の体をバラバラに出来るだろう。


 狂骨はカタカタケタケタと軽やかに骨を鳴らし、架深へ長い腕と手を使ってブンッと薙いできた。架深はそれを異能で弾き飛ばし、瞬きと同じ早さで狂骨の懐へと入り込んでいた。

 まずはバキリと左側の骨盤を砕く。

 だが、狂骨も間抜けではない。反対側の手で架深の肩を抉ろうと勢いを付けて振り下ろす。

 架深はそれも弾き、後ろから来ていた先程弾いたもう片側の手を砕く。


『!?コノオンナ、アノオンナ、ジャ、ナイノニ、ナンデ、ツヨイ?!?!』


 狂骨の口から漏れるのは衝撃の声─いや、架深からすると音か─が漏れ出す。

 そして、この狂骨はどうやら一度、別の女に負けているようだ。.....、それならば何故ここで生きているんだ?

 もしかして.....、この瘴気が影響しているんだろうか。

 狂骨は自らが肋骨の内の一本をぼきりと折り、ブーメランのように架深に向けて投げる。

 だが、それは彼女には無意味だ。彼女は妖の全てを弾く力を持つ。

「全てを、砕く...!」

 カッと架深の右目が見開かれる。

 風が刃を伸ばし、一振りの太刀が生み出され、それが狂骨の体を縦横無尽に切り刻んだ。

 骨は粉のように砕かれ、さらさらと地面へと落ちる。パサリパサリと、ズタズタになった布が落ちる。

 架深は長く息を吐きながら、短剣を鞘へ収めた。

「.....怪我はない、にゃんこ」

 大丈夫だ、と俺は声高らかに鳴く。

 架深は完全に狂骨が朽ちて沈黙したのを確認し、魔金属に触れた。

「.....勘違いじゃ、ない。これはやっぱり、普通の魔金属と違う」

 何が違うのかは何度気配を読み取っても俺にはさっぱりだが、彼女がそう言うのだから多分間違いはないだろう。

 架深は三本ある内の一つを抜き取り、手に持ったまま、入って来た扉へと向かう。


「っ.....あ、ふっ、」


 その時だった。

 ゲホゲホと激しく咳き込み、架深はその場にしゃがむ。

 瘴気の吸い過ぎだろう。必死に呼吸を元に戻そうとしている。

 架深は胸の辺りを両手で押さえ、視線を上げて俺を見た。

「.....っ、ふっ、にゃん、こは.....。だ、いじょぶ.....?」

 今は俺よりお前だろうが!!馬鹿!

 叱責するように鳴き、俺は悠威か煉兎を呼びに行く為、入って来た扉へと駆け出す。

 このままじゃあ、架深が死んでしまうかもしれねぇ。

 俺は素早く駆け出す。

 二人は何処にいる?いちいち探していたら、その間に死んじまうかもしれない。


 もっと、もっと早く駆けろ、俺の足!


 必死になりながらそう考えた瞬間、俺の頭に唐突に映像が流れる。


 俺は、どこからかこの場所を見渡している。

 俺の体は地下にあるのに、どこかを見渡していた。

 しかし、すぐに何故か一階の階段付近の光景が目に映る。

 自分の身に何が起こっているのかよく分からないが、とりあえず悠威と煉兎を探す。

 意識の中、階段を駆け上がる。二階にいるのは、煉兎だ。しかも都合良く階段を上がってすぐの場所。


 俺は地下の廊下を駆け、階段を二段飛ばしで飛んで扉から出る。

 それから一階から二階への階段を駆け上がる。

 煉兎の後ろ姿を見つけると共に、思い切り腰へ頭突きした。

「うぉっ!?」

 煉兎は驚いたように声を出し、腰を擦りながら俺を見下ろす。

「カナトやん、どないした?架深は?」

 こっちに来てくれ、と俺は力強く鳴き、一階へと降りる。

 俺の動きに違和感を覚えたのか、少し反応が遅れながらも煉兎は付いてきてくれた。

「.....こんな所に、扉なんてあったか?」

 どうやら煉兎や悠威にも、この地下への扉から目を逸らすように細工されていたようだ。


 煉兎は入ってすぐ、目を見開いて手で口元を覆った。

「何これ.....っ、瘴気が強い.....っ」

 やはりここには毒霧と同じくらいの濃度の瘴気が発生していたようだ。

 俺は廊下を駆け、架深のいる部屋へ導く。煉兎は俺を追う。

「.....かはっ、っふ、ぐっ、あっ、にゃ、んこ...」

 辛うじて架深は意識を保っていたようで、今は苦しそうに呻く喉を押さえていた。俺の姿を見るなり、心底安心したように笑う。

 今は笑っている場合じゃねぇんだが。

「架深っ!大丈夫かっ?!」

 煉兎は素早く架深の身体を抱き上げる。

「レンさ、けほっ、待っ.....て。あれ、を」

 架深はおかしな魔金属のある方向を指差した。

「.....要るんか?」

「ん.....」

「分かったわ」

 煉兎は一旦下ろして片腕のみで架深の背を支え、空いた手で魔金属の方へ、鬼の頭を潰した時に使っていた鎖を伸ばす。それで器用に残りの魔金属を全て絡め取り、手近に引き寄せて架深に握らせる。

「急ぐで、カナト!」

 分かってるよ!

 俺と煉兎はその場を急いで離れた。


 来た道を戻り、階段を駆け上り切った瞬間。

「どおわっ!??」

 扉の目の前に居た悠威に全員が一気にぶつかる。

「な、何だお前ら!?ってか、こんな場所来た時には、」

「多分...、人払いの、術が、かはっ、掛けられ、てた。これを...っ」

 架深は咳き込みながら身体を起こし、扉に入る前に取っておいた紙の切れ端を悠威へ手渡す。

 悠威はそれを受け取りつつ、おかしな魔金属と架深の様子にただただ驚いているようだった。

「お前...っ、大丈夫かよ」

「少し、ふっ、綺麗な、空気を、っ吸えば.....っ、落ち着く、と思う...っ」

 ほぼ喘息に近い症状へと変わりつつある。

 悠威は架深の身体を抱き上げ、俺とおかしな魔金属を煉兎が持つ。

「凄かったで。今までに味わった事無いくらいの瘴気の濃さやった」

「人払いの術に、濃い瘴気.....。藤沢、何か妖に出会ったか?」

「狂骨に...っ、会った...」

「ここには昔は井戸が有ったらしいからな、狂骨が出るのはおかしくないが...。大きさとか、おかしい点は?」

 架深が戦った奴は『あの女』って言ってたぞ。

 悠威にそう伝えると、悠威は僅かに目を丸くした。

「.....あそこに人の出入りがあったのか」

 ここは人の離れた寂れた超高級アパートだった──、先程までは。

「何やありそうやねぇ」

 くっくっと、煉兎は噛み殺したような笑い声を上げる。素早くそれに架深が「笑えない」と突っ込みを入れる。


 外へ出てしばらく新鮮な空気を吸うと幾分か落ち着いたのか、架深は悠威の腕から離れ、歩いて帰ると言った。

 一応大事を取って悠威の肩を借りればいいのに、架深は一人で歩くと言って聞かず、二人と共に歩いて行く。

「それにしても、この魔金属は架深の言う通り変な感じがするわ」

「...何でかは分からないけど」

「こればっかりは非常に不服だがスズ頼りだな。〈霜花〉に来た時に見せるよう、孝介に頼んでおくか。...いやまぁ、入り浸ってるからいいか」

 俺は架深が『スズさん』と呼び、悠威が『スズ』と呼ぶ人間に会った事が無いのだが...、嫌われているんだろうか。

 俺は少し苦笑いを浮かべる。

「あそこの瘴気の異常さ、人払いの術、変な魔金属...、『あの女』って人」

「何かある事は間違いねぇな」

 悠威は架深の言葉に被せるようにそう言い、足を止めてアパートを見た。煉兎も架深も──俺も、アパートを見る。


「きな臭ぇな」

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