思い出す夜に

白井惣七

1

「あの教授によれば、どれだけ探しても全く同じ落ち葉というものは一つとしてないそうだぞ。落ち葉なんてどれもあんなに似たり寄ったりなのだからにわかには信じられんが、どれもどこかが微妙に違っているらしい。教授が言うならきっとそうなのだろうな。何? 嘘なわけがあるか。教授がわざわざ嘘をつくわけがなかろう。

――なに、先生の言うことに間違いはないさ。なんてったって偉い政治家の方だ。おれたちにはない考えを持っているんだ。おれたちはただあの人を信じて従っていればいいのさ。どうせおれたちに政治のことは分かりっこないのだから。

――お前はこの前の劇を観に行ったか? 僕もまだだが、高名な批評家はかなりひどい評価をしていてな、あれを読む限り観に行く価値などないだろうな。観に行こうとする気持ちなどすっかり消え失せてしまったよ。君も行く必要などないよ。代わりに例の絵を見に行ったほうがいい。あの絵をあの画家が高く評価していた。一見する価値のあるものだろうよ。

――お前はもう酒は止めたほうがいい。医者にも飲みすぎるなと言われているのだろう? 健康でいたいならお医者様の言うことは絶対さ、間違っているはずがないだろう」。


 こうした酒場の群衆の声は、XXにはあたかも渾然一体となって、ただひとりの人が自分自身に対して話しかけているかのように聞こえ、不気味に思った。彼はそのような錯覚を、彼が長い間抱えていた、老いとともに深まってゆく言いようもない憂鬱のせいだと判断した。いまも靄のようにゆっくりと広がり続けている憂鬱を感じ取り始めたころから習慣、あるいは義務のようにして酒場で孤独に酒を呷っていたが、酒もいまでは以前ほどには彼に安らぎを与えなくなっていた。それどころか、いくら酒を飲んでも、そのきついアルコールが口内を突き刺すような不快な感覚しか得られなくなり、最近になっては、XXは酒場に来ては早々に店を立ち去るようになっていたのであった。

 XXといえばこのあたりで知らない人はいないくらいに有名な資産家であった。もっとも、彼の名が広く知られていたのは、もっぱら悪い噂によるものであって、その莫大な資産は彼の権謀術数によって築き上げられた、嘘や血に塗れたものであると言われていた。実際、彼の数々の成功の背後には、彼と関わった者たちの多くの失敗や失脚が積み重なっているということは事実なのであった。しかし彼自身は、彼の成功に伴って生じたと言われている多くの犠牲をほとんど気にかけていなかった。というのも彼は、成功する人間は成功するべくして成功するのであり、同時に彼と関わって大なり小なり何らかのものを失ったような、失敗する人々というのは失敗するべくして失敗するのである、と信じていたからである。しかも彼はこうした考えをためらうことなく口にしていたため、世の人々は陰で彼を、詐欺師、ペテン師、人でなし、大悪党等々、数え始めればきりがないほど様々なことばで罵っていた。そのXXも、例の憂鬱を感じ取り始めた頃に、あらゆる事業から手を引き、孤独に暮らし始め、ついにはこのように老いてしまったのだが、それでもなお世間は彼と種々の罵倒のことばとを結びつけ続けていたのであった。というのも、そうした人々は、彼を別様に評価をし直すためのいかなる新たな噂も手に入れることがなかったからである。その種のいかなる罵倒も、彼のいるところでではなく、むしろそれらのことばのいずれも、必ず彼のいないことが確認されたあと発されるのであった。実際、XXが酒場に来ているときなどは、周囲の人々は彼を遠巻きに眺めるだけに留まり、彼本人とは何の関わりも持とうとはしないのであった。XX自身はそうした人々を、下らない人間だ、と嘲笑していた。


 すれ違う人間が、また自分と対話しているかのように聞こえる会話をしていることさえ不気味で忌々しく、彼は憎しみを込めるようにして周囲を睨みつけて歩いていた。その折、彼の睨みつけている群衆の裂け目から、ごみ溜まりの一角に座り込んだ、物乞いをする一人の男が彼の眼に留まった。物乞いは、周囲のごみと見紛うほどのみすぼらしい格好をしており、小奇麗な人間たちが闊歩するなかで、ひどく目立っていた。彼は、ハープに似てはいるが、彼の自身の手で作られたのであろう粗末な、そして奇妙な形をした楽器を演奏していた。往来は物乞いがそこに座って音楽を奏でていることに全く気が付かないかのようにして通り過ぎてゆく。投げ銭入れのために彼の前に置かれた箱が空であることを見れば、街の人々がこの物乞いをどのように思っているのかということは明らかであった。いや、むしろ彼に対して何も思っていないということが明らかであったと言うべきであろう。行き交う人々は気が付かないふりをしているのではなく、事実、この哀れな物乞いに気が付かなかったのだろう。

「なんだ、貴様、それを弾くのか」と、XXは物乞いに話しかけた。そのとき、物乞いの演奏は中断され、歩きゆく人々は、ようやく汚らしい姿をした物乞いの存在に気がついたように足を止め、会話を中断して、物乞いと資産家という全く不釣り合いな二人を対照させるように彼らを交互に見比べていた。だが人々は誰もそのように視線を投げかける以上ことをせず、やがてすぐにそのまま歩き去っていった。XXは彼らの視線が自分に注がれていることを全く気にすることなく物乞いの方に視線を向け続けていた。物乞いはどうやら喋る能力を欠いているらしく、突然話しかけられた驚きと恐ろしさとをないまぜにしたように見える表情を浮かべつつ、それでも「然り然り」と言いたげに、そしてどこか嬉しそうな素早さでもって何度も頷いた。

 XXが「では弾いてみよ」と言うが早いか、物乞いは手に持った奇妙な楽器で演奏を始めた。物乞いの持つ楽器は、XXがかつて聞いたこともない音色でかつて聴いたこともない音楽を奏でた。無秩序な騒がしさで溢れている街の一角で、物乞いを中心としたごく狭い領域を彼の音楽が支配した。それははじめ、周囲の喧騒に押されたせいであまりに狭かったため、XXを除いてはほとんど誰の耳にも届かず、また誰もそれを気にしなかった。しかし、その音楽はXXを強く惹きつけ、余すことなくそれを聴き遂げるよう彼を支配した。その音楽を聴くことで、XXは正体不明の快楽を味わっていた。見たこともない楽器によって奏でられる聴いたことのない音楽は、それにもかかわらず、彼が長い時間をかけて聴き慣れ、長い時間のかけて愛した音楽であるかのように彼の耳によく馴染み、彼の精神に微細な隙間にまで、日照り続きの大地に降った雨のように速やかに深く染み渡っていった。それはあたかも一枚の傑作絵画のうちの最も美しい部分を構成している色の集まりをじっと眺め続けているときに、魂の内奥からゆっくりと、しかしながら力強く湧き上がってくる幸福感のようであった。物乞いの音楽が届き得るこの領域の内にいることで、XXの心に凝り固まっていた憂鬱が、その音楽によって少しずつ和らげられ、溶かされていくようであった。演奏が続いている間は彼にとって無上の幸福の時間であった。それは突如として、目覚めながらにして夢に入り込んだような心地であった。

 演奏が終わってしばらくの間、XXは数十年来自らに欠けていたと思われていたものを見つけたような気がして、恍惚としていた。ふう、と重く深い息が吐き出されて、彼は無意識のうちに「素晴らしい」と呟いていた。その呟きを耳にして、その一瞬間前には不安げな表情をしていた物乞いの顔に、ぱっと喜びの色があふれたのをXXは見て取った。物乞いがそのような表情をしたのは、道行く人から、ごく稀に、演奏への僅かな対価としての貨幣を、施しと言ってもいいようなしかたで受け取ることはあっても、彼の演奏そのものに対する賛辞を受け取ったのはこれが初めてのことであったからであろう、とXXは考えた。そうして物乞いは、その顔から喜びを溢れさせながら、いそいそと次の曲の演奏に取り掛かった。


 一曲演奏が終わるごとに、XXは感極まって大声で物乞いに賛辞を送った。その大声のたび、往来はこの奇怪な二人の男たちを怪訝な眼差しで見つめるのだが、それが何度も繰り返されるうちに、往来の中にも物乞いの演奏に関心を持つものが少しずつ現れるのであった。聴衆が一人から二人に増え、二人から三人に増えてからは、それが通行の妨げになるほどまでの大群となるまではあっという間であった。いまや街のこの一角に、それまでの無秩序な騒がしさはなく、物乞いの繊細な演奏と、それに対する熱狂的な賛辞が繰り返し、波のように押し寄せ、押し返していた。聴衆の誰かがポケットに入っていた硬貨を投げると、その行為が感染したかのように皆がこぞって財布からコインを取り出して物乞いの方へと投げ始めた。そのため、その日、物乞いが疲れ切って演奏をやめてしまうまでに、彼がこれまでの物乞いとしての生活の中で得た収入を足し合わせても遥かに及ばない金額の投げ銭があった。

 聴衆がそれぞれ、物乞いの割にはいい演奏だったな、なかなか優れた音楽だった、などと言い合って解散していき、街が無秩序な騒がしさを取り戻し始めたとき、XXは物乞いと二人になったところで、物乞いの前に座り込んでいたXXは「物乞いよ、お前、身なりは恐ろしくみすぼらしいが、その音楽が語るところによれば、内にはその身なりからは想像もつかない素晴らしい神を秘めているな?」と語りかけた。物乞いがどう反応を示すべきか狼狽えている最中、XXは財布を取り出して、山のように積み上がった小銭の上に置き、「物乞いよ、ワシについてこい。雇ってやる」と静かに言い、それから立ち上がった。物乞いは戸惑ったように分厚い財布とXXとを交互に眺めていた。それを見て「その財布を持ってワシについてこい」とXXが叫ぶと、物乞いは驚いた顔をして立ち上がり、楽器と財布とを掴んで立ち上がり、小走りでXXについていった。XXは、彼の屋敷に帰る道で、かつかつと熱心に杖を鳴らしながら「今の世ではミューズは男の姿をとって現れるのだな」と笑いながら物乞いに語りかけたが、物乞いはそれが何のことか分からないといった様子で、わずかに微笑み返すばかりであった。


 *


 何しろ、その物乞いは喋ることができず、読み書きもできなかったため、彼の名は分からなかった。まさか「物乞い」と呼ぶわけにもいかず、しかし呼び名がないことはXXにとっては不便であったため、XXは物乞いを「阿呆」と呼ぶことにした。本来その名で呼ばれるべき宮廷お抱えの道化の制度などはとっくに廃れてしまっていたが、この物乞いには、XXがそのように呼びたくなるような愛嬌があったからである。

 XXは「雇ってやる」といって物乞いを連れてきたものの、実際にはごく親しい友人のように彼を遇していた。物乞いがXXの屋敷にやってきてからというもの、彼の生活の多くの時間が物乞いとの会話に費やされるようになった。会話といっても、物乞いは喋ることができないので、XXが一方的に語りかけ、それに対する物乞いの反応を彼が楽しむといったものであった。

 音楽も演奏させたが、あまり頻繁にではなかった。物乞いは彼の屋敷の中で自由に彼の楽器の練習と手入れとを繰り返していたので、XXはわざわざ注文するまでもなくその演奏を聴くことができたからである。そういう状況であっても、XXは自ら演奏を頼むときがあったが、それは彼の意識が音楽にのみ向かっているときであって、彼が物乞いの演奏に秘められた「神秘」を追求しようと努めているときであった。彼は音楽に精通していたわけではないし、音楽一般に対して何らかの情熱を抱いていたわけではない。むしろ、音楽にほとんど無知であると言ってもよかった。だが、彼は、ごみ溜まりで初めて物乞いの演奏を聴いた時から、物乞いの演奏するこの音楽の中に、XXが密かに「神秘」と呼んでいたような、そこにしかない「何か」があると直観していた。その直観は啓示と言い換えても差し支えのないものであった。彼はそれを、急に、何かによって授けられたかのように感じ取ったからである。そしてそれが何であるのかを彼はぜひとも知りたいと考えていた。その音楽を聴いたときに、彼が浸ることのできた悦楽、その正体を突き止めることによって、長い間彼の内に潜んでいる憂鬱が癒され、ついには完治してしまうように思われたからである。そのため、全身全霊を音楽に傾けられるように精神が整えられ、そうした探究心によって満たされていると思われるとき、彼は物乞いに「阿呆よ、いつもの曲を弾いてくれ」と言って二、三曲演奏するように頼むのである。一曲目の演奏が始まって間もないうちは、その「何か」を解き明かそうという心構えを保ち、理知の働きを強固にして、「神秘」の尾だけでもいいので明確なことばや概念によって捉えよう努め、物乞いの演奏する音楽の内に共通に潜んでいるあの謎に迫ろうとしてはいるものの、しかし、二曲目、三曲目と続くにしたがって、緊張に強張っていた探求の精神は、物乞いの演奏する音楽の優美な流れによって徐々にその角を削り取られ、やがて砂のように崩れ去ってしまう運命にあった。そのようにしてXXは演奏のさなかに、硬直した探求の精神をすっかり忘却してしまい、安らかな満足のうちに物乞いの演奏を聴き終えるのであるが、聴き終えてすぐに彼は物乞いの音楽のうちに秘められたあの「何か」についての研究のことを思い出し、またしばらくの間は彼は自らの内に探求の精神を養うのであった。


 ふと彼は、物乞いの持つ奇妙な楽器を自分で弾いてみればそれが分かるのではないか、と思いついた。そこで早速XXは、いつものようにバルコニーで楽器の手入れと練習をしている物乞いのもとに行き、こう言った。

「阿呆よ、しばらくそれを貸してはくれぬか」。

 物乞いは全く想像もしなかったことばを投げかけられたかのように、目を見開いて固まってしまった。そして次にXXが「ん、返事をせい。貸してはくれぬのか」と言いつつ、楽器に手を伸ばそうとしたとき、物乞いはふと意識を取り戻したように、XXの手から楽器を遠ざけた。その瞬間に、物乞いは自分のしたことを振り返り、雇い主であるXXの頼みを無下に断るなど、とんでもないことをしてしまったと思ったかのように、すっと青ざめてしまった。そのため、XXの「む、やはり貸してはくれぬか。まぁしかたあるまい」というこの返事に、物乞いは驚いたように目を見開いたまま硬直したのであった。固まってしまった物乞いを見てXXは「ん? やはり貸してくれるのか?」と言うが、物乞いは大きく首を振って否定し、それに合わせてXXも大いに笑った。それからしばらく、XXは物乞いから楽器を借りようとして手を伸ばし、物乞いはXXの手から楽器を遠ざけることでそれを拒否する、というようにふざけあうことがあった。それはあたかも恋人同士が戯れあって、ちょっとしたいたずらが二人の共通言語においては愛情表現として解釈され、それを二人で微笑んで済ませてしまう、というようなありさまであった。XXが物乞いの楽器に触れることを、物乞いが頑なに許そうとしないのをXXは愛らしく思っていたのであった。


 *


 ある日のことである。たまたまXXを訪ねてきた地元の議員が、物乞いがバルコニーでいつものように楽器の手入れと練習をしているのを耳にして、「あれが噂になっている物乞いの演奏家ですかね」とXXに語りかけるでもなく、ぼそりと呟いた。議員は腕を組み、遠くから微かに聞こえてくる音色に耳を傾けて、うむうむ、確かに噂に違わず実に素晴らしい、と何度も頷いていた。その音楽を聴いて、議員はこう言うのであった。

「XX君、あれを君の独占物としてしまうのは実に不利益ですよ。あれはもっと世に出すべきものです。天才の音楽というのは独り占めされるべきものではなく、むしろ世間の共有財産となるべきじゃないでしょうか?」と議員は言った。XXは、どこが気に食わないのか自分でも分からないままに彼のことばにやや反感を抱いたものの、その内容に関しては概ね同意したので、「なるほど、その通りだな」と返事をした。すると議員は議員らしい笑みを湛え、「それならば私も協力しますので、可能な限り大きなホールでやりましょう。歴史に残るような偉大な演奏会にしましょう」矢継ぎ早に繰り出した。

 様々にまくし立てる議員をすこし止めて、「阿呆、阿呆よ、来たまえ」とXXは大声で物乞いを呼んだ。XXが物乞いを呼んだ瞬間、議員はわずかに顔をしかめたが、物乞いが物乞いらしからぬ清潔な身なりをしているのを見て大いに喜んで、「おお、これがかつて街の隅でごみにまみれながら物乞いをしていたとは信じられないな。今となっては見るからにいっぱしの音楽家ではないか。立派なものだ」と呟いた。

「阿呆よ、お前、演奏会などに興味はあるか? 大勢の客の前でお前に演奏をしてもらうのだ。お前さえ良ければやろうと思うのだが」とXXは問いかけた。物乞いはそれを聞いて跳び上がらんばかりであり、何度も頷いて大喜びをしているような様子を見て、XXは、なるほど、ワシ一人に演奏を聴かせる現状にも物乞いは十分に満足してはいるようだが、やはり多くの人々に自分の演奏を静聴してもらえるというのはやはり何よりも嬉しいことなのであって、その点、彼は根から音楽家なのだろう、と考えた。こうした物乞いの反応を受けて、XXは「阿呆もこう言っておることだし、演奏会はやってみることにしよう。場所や日取りなど細かいことについてはまたお会いした時にでも決めようか」と議員に言った。議員もそのことばに機嫌を良くして帰っていった。


 しかし困ったことといえば演奏会のプログラムであった。物乞いが演奏するどの曲にも、彼は彼なりに何らかのタイトルを付けていたかもしれないが、それを彼から聞き出すこともできなかったし、彼がそれを書き記すこともできなかったため、プログラムに、演奏する曲目を記す際に、一体どうすべきなのか、どのようなタイトルを記載すべきなのか、という問題が生じたのであった。最終的なタイトルの決定権はXXに委ねられたが、そのXXも、物乞いの音楽に秘められているあの神秘的な「何か」が何であるのかを未だ解き明かせておらず、それゆえ彼の音楽の秘めたる本質をまだ完全には理解していないがゆえに、その名付け親となる権利はないと考えて、ついにタイトルの決定権を放棄してしまった。その結果、物乞いの演奏会のプログラムには、五つの「無題」という文字が並ぶという奇異な事態が生じることとなった。

 しかしそうした事態は良い方に作用し、五つの「無題」が並んだ前代未聞のプログラムは、かえって人々の好奇心を煽ることになったのである。XXと議員が主催という、一部の人々にはいかにも政治的な癒着を感じさせるであろう演奏会ではあったものの、すでに、XXが物乞い出身の素晴らしい音楽家を雇った、という噂も広く広まっていたため、「無題」という題が付された五つの音楽とはいったいいかなるものであるのか、という好奇心で人々の思考を埋め尽くしてしまい、そこから暗い疑いをすっかり払い除けてしまうだけの効果が、そのプログラムにはあったのである。演奏会の企画の発表からわずか数日の内にありとあらゆる人がその演奏会のことを知り、そして演奏会の当日には、様々な噂が飛び交う物乞いの姿を一目見ようと街のあちこちから人が押し寄せ、その街でも最大のホールはあっという間に満員となった。ホールの席がぎっしりと人で埋め尽くされているのを見て、演奏者の物乞いと、主催するXXと議員とは三者三様に喜んだのであった。

 物乞いは窮屈そうに燕尾服を纏い、手製の奇妙な楽器を携えて、たった一人のために使用されるにはあまりにも広いステージの中心で、スポットライトを一身に受けていた。そのとき客席にいる誰もが、この大きなステージにたった一人で立っているのは世界最高の天才音楽家であり、今日のステージさえもその大天才にとっては、彼の経歴にほんの一行書き加えるか書き加えないか程度の些細なものでしかないのであろう、と信じて疑わなかった。彼が手にしているあの奇妙な楽器は、その真実とは裏腹に、彼の貧しさに基づいている不足の象徴とは決してみなされず、むしろ彼の天才性に基づいた、常人の理解をはるかに逸した異形として、聴衆の目には輝いて見えたことであろう。人々の目には、物乞いがごみ溜まりの隅で演奏して日銭を稼いでいた頃とは正反対の意味で、いま彼ら自身から遠く隔てられ、決して手の届かない存在として映っているのであった。そのような判断を提供する素材があまりにも豊富に出揃っていたからである。

 物乞いは、これまで決して経験したことのないような環境で演奏するというのにもかかわらず、緊張とは一切無縁でいるように見えた。彼はいつも通りに、いやむしろ、彼自身が真の音楽家であるがゆえに、多くの聴衆が彼の演奏を聴いていると意識するがゆえにいつも以上の集中力で演奏することができたのだろう、とXXは考えた。物乞いがこれまでにない集中力で音楽を演奏していたということは、また彼の耳にも明らかであった。物乞いの音楽は、そうした深い集中力のせいだけでなく、コンサートホールの音響効果のせいもあってか、いつもよりも深く広く鳴り響いて、普段の演奏とは別種のもののようにXXには聞こえるのであった。それでも、そのように、環境や状況による様々な変化が物乞いの音楽には見られはするものの、物乞いの音楽は物乞いの音楽のままであり、演奏する人間も、いつもと違って、演奏会のための正式な服を纏ってはいたとしても、やはり物乞いに違いないのであった。つまり、奏でられた音の中心には、どんな場合であれいつも奇妙な形をした楽器があり、そして物乞い本人が座っているのである。こうしたことがXXはどこか面白く思えた。

 XXは、ここしばらくは演奏会の準備のために、彼の精神に宿る探究心をじっくりと育むことができていなかったにもかかわらず、その日の演奏は、彼が物乞いに演奏をねだるときよりも明確に、とはいえそれでも依然として曖昧なしかたでしかなかったのだが、至福の音楽に宿るあの「何か」の輪郭を捉えることができたような気がしたのであった。彼は音楽に誘われるようにしてその輪郭を捉えたのであった。その「神秘」をことばにしてはっきりと掴み取ろうとすると、それは指と指の隙間を抜けていく水のようにするりと逃れていく。しかしそれでもその「何か」が硬質で、決して揺るぎないものであり、あらゆる変化から免れているような絶対的なものである、ということを、「神秘」のうちのほんの一部分に過ぎないかもしれないとはいえ、彼はとうとう掴み取ることができたのであった。


 物乞いがステージから退場してしばらくして、この一人の音楽家に捧げられた永遠に続くかとも思われた拍手も徐々に静まっていく中、特別席で議員は立ち上がり、XXを促して立ち上がらせて彼に抱擁するのであった。

「XX君、大成功でしたな」と大笑いして嬉しそうに議員は言った。「この街最大のホールが満員になった。それにこの喝采だ、定期的に開催することも可能でしょうな」。

「ああ、大成功だった」とXXは返事をした。「定期的に開催するのも悪いことではないだろうな」。今日ほどの集中力で奏でられた演奏を繰り返し聴くことで、物乞いの音楽に秘められたあの謎を、やがては完全に解き明かすことができるのではないか、とXXは信じていたのであった。


 そしてこの演奏会のことは後日、新聞において大きく取り上げられた。とある高名な批評家が聴衆の一人として演奏会に出ていたらしく、その時の感動をありのままに記したとされるものが大きく掲載されたのであった。XXはそれを物乞いに読み聞かせてやったが、そのとき物乞いは照れたり苦笑したりと忙しそうにしていた。その新聞記事を少しここに抜粋してみよう。

「諸君! 脱帽したまえ、天才だ!

 先日XX氏と某議員とが主催するコンサートが開催された。この記事を読んでいるような人はもちろん誰もが聴きに行ったことであろう。そしてそうした人々の誰もがあのプログラム、すべてが彼の天才性の内に秘められ、私たちには覆い隠されて何も明らかでないあの五つの「無題」を目にしたことであろう。……私たちは歴史的瞬間を目の当たりにしたのである。ああ天才! 天才だ! かの天才がここに導かれてきたのである! 私たちが彼の後に彼と同等の才能を持った音楽家と再び相見えるのは、おそらく百年、あるいはそれ以後のことかもしれない。こうしていま私たちがこの音楽家の演奏を聴くことができるというのは、幸福以外の何ものでもない! 今後も開催されるであろう彼の演奏会に出席することは、私たち批評家の、音楽愛好家の、いや彼の同時代人すべての義務である。……彼の音楽の価値は、これまでの音楽史の破壊にあるといってよかろう。……彼は、おそらく一切専門的な教育を受けていないが、それにも関わらず彼の音楽は、「音楽」というものの本質を捕えて離すことがない。彼の音楽に秘められた音楽性はまったく別種のものであるにも関わらず、その本質は、私がC…やR…といった音楽家たち(彼らもまた私たちの天才音楽家と同じく百年に一度の天才である!)に認めてきたものと同一であることは、なんとも不思議なことであるが、疑い得ないことである」云々。

 新聞におけるこの評以来、物乞いの才能は確固たるものとして多くの人々に受け入れられることになった。かつて街の隅でごみと隣り合わせにしてみすぼらしく座っており、誰も見向きさえしなかった物乞いを、誰も彼もが浮ついた調子で、世界に名だたる天才音楽家、百年に一人の大天才などと称えてやまないのであった。

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