第10話:転校

 つい…思わず…云ってしまった。

 ずっと抑えて、隠し続けてきたあたしの気持ち。

 交流合宿の時もつい云ってしまったけど、無かったことにされていた。

 けど今回は違う。ハッキリ云ってしまった。

 ハッとなって口を抑えるけど、もう遅かった。


 振り向いた。微笑みながら。

 翔が誰かを見つけたように表情を変えた。目線はあたしの少し後ろ。

 あたしはそっちにソロリと振り向く。

「…お前、もしかして緋乃か?」


 何が…起きたのか一瞬、理解できなかった。

 ここにいるはずのない、遠くに行った人の声が。

 振り向いた先には、見間違うはずもない顔があった。

「まっ、まもるっ!?…なんで…ここにいるのっ!?」

 加賀屋かがや まもる

 あたしが中学卒業の日に告白されて、返事する前に近くで別の騒ぎが起きて、事情があって未だ返事ができていない人。

 翔とは違うけど、かなりのイケメンは相変わらず。


 中学の卒業式当日のことだった。


「それ何?」

「えっ!?」

 机に入っていた覚えのない封筒に入った手紙がなんだかわからずに、透かしてみたりひっくり返していたら、それを仲のいい友達、笹本ささもと 愛海あゆみに見られた。

「えっ、それってまさか!?」

「ち、違うよ!!絶対違う!!きっと手紙を宛てる人を間違えたのよ!」

 顔が真っ赤になっているのは自分でもよくわかった。

 思わず手紙をカバンにしまった。

「もし人違いだったら、ちゃんと宛てた人に渡したほうがいいんじゃない?」

 愛海の指摘に、あたしは一瞬迷った。

「そ、それもそうね。勝手に他人の手紙を見るのは失礼だけど、確認しなきゃ届けることもできないわよね」

 あたしと愛海で手紙の内容を確認した。


-----

 水無月 緋乃さまへ

 普段は会って話をしているのに、突然の手紙でごめんなさい。

 卒業する前に伝えたいことがあります。

 式が終わった後、校舎裏で待ってます。

 加賀屋 衛

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「…………えーっ!?」

 二人して教室中に響く叫び声を上げてしまった。

 教室全体の半分くらいが登校している状態だったから、ほぼ全員が二人に視線を浴びせた。

「ちょっと、これ事件よ!しっかり名指ししてるから人違いでもないわ!!」

 興奮気味に愛海がヒソヒソしてくる。

「待って、頭が追いついてこない!」


 加賀屋 衛。

 中学の一年と三年で同じクラスになり、一年では席替えで席が隣だったこともあって臆病で人見知りだったあたしも少し打ち解けて、時々一緒に遊んだりした。

 三年の夏くらいから受験に向けて勉強に集中していたから、あまり長い付き合いではなかったかもしれない。

 それでもあたしにとっては心を許せる数少ない男友達だった。

 周囲の評判は良くて、誰にでもフラットな交流をしているのが印象的だった。

 その気構えせずに接することのできる安心感は、あたしの人見知りも優しく包み込んでくれた。


 その加賀屋くんから、まさかの呼び出し!?

 あまり意識してなかったけど、こうして改まって呼び出されると急にドキドキしてきた。

 当の加賀屋くんの席は今、三学期の席替えでかなり離れている。

 カバンがあるから来ているようだけど、姿はない。


 卒業式が終わり、会場から出てすぐに先生が最後の挨拶をしに回っていた。

「ほら、卒業式終わったよ。加賀屋くんの話を聞いてきなよ」

 からかい気味に愛海が唆す。

「ついてこないでよ?近くで様子を見るのもナシね」

「わかってるって。だから結果聞かせてよね?」


 卒業式当日となると、辺りには人が多い。

 別れを惜しんで泣く人。ハグしてる人。思い思いに中学校生活を振り返っている。

 あたしは校舎裏までやってきた。

 あの加賀屋くんが、あたしを呼び出すなんて。

 周りを見渡すとフェンスのすぐ向こうに民家が立ち並ぶ。

 少し広い校舎裏の通りは誰も居ない。

 特別教室は授業と部活以外では使う人も少ない。ましてや卒業式当日だ。

 部活も休みになっている。


「きちゃった…」

 どうしよう…ドキドキしてきた。


 少し待っていると、一人の人影が現れた。加賀屋くんだ。

 ボッ。

 一気に顔が赤くなってしまう。

「あっ、あの…」

 緊張のあまり喋るのもやっとだ。

「緋乃、来てくれてありがとう」

 微笑みながら話しかけてきた。

 思えば中学で唯一と言っていいほど、男の子に対して気を許せる人だった。

 人見知りだからなかなか女友達もできず、愛海が友達として大切な人でもある。


 中学の三年間、初めてまともに話をした男の子。

 あたしよりもずっと背が高い。180cmというところだろうか。

 サラッとした黒髪が印象的。

「一年の時、隣の席になって、最初は控えめな人だなと思ってたけど、打ち解けると印象がずいぶん変わった。これが緋乃の本当なんだなと思った。去年の夏からはお互い受験に向けて一生懸命勉強したよね」


 サワ…。

 校舎裏で吹き抜ける風が、あたしと加賀屋くんの髪を、制服を揺らしていく。

「お互い、志望校に合格して一安心といったところだな」

 優しい瞳で見つめてくる。

 そういえば加賀屋くんの志望校って聞いてなかったかも。

「最初は控えめな印象を受けやすいみたいだけど、実際には全然違っていて、明るく真っ直ぐなところにどんどん惹かれていったよ」

 息を呑む加賀屋くん。


「緋乃、キミが好きです」


 キュン。

 胸が締め付けられるような甘酸っぱい一瞬。

 嬉しい。

 気持ちは決まっていた。

「あっ、あの…あたし…」

「なんて、突然言われても困るよね。最初に話しかけたときも言葉に詰まってたのを思い出したよ」

 追い詰める様子ではなく、優しく包み込むような空気で続ける。

「それと、もう一つ。実は俺の行く高校は…」


 ウーーーカンカンカン…カンカンカン…ピーポーパーポー…。

 突然サイレンが近づいてくる。

「えっ?」

 何が起きたかを理解する前に、校舎側からの騒ぐ声に状況を知る。

「校舎裏の民家で火事だってよ!!!」

 遠くに聞こえた生徒の声。

 ハッと気づくと、フェンス向こうの窓越しに民家の内側でメラメラと火の手が上がっていた。

「嘘っ!?」

 屋根からは黒い煙が立ち上っている。気づかなかった。

「離れろ!!」

 加賀屋くんはとっさにあたしの手を掴んで走り出す。

 ガヤガヤした音が近づいてくる。

 あたしたちと入れ替わる形で野次馬したがりな生徒が校舎裏になだれ込んでいた。

 先生や生徒たちに混ざって、防火服を纏った消防団員の姿もあった。


「離れて!!離れてください!!!」

 消防隊員が仕切る形で、校舎裏から先生や生徒たちの人払いをする。

 校庭には消防車が入ってきていた。

 消防車はあふれかえる生徒や先生をゆっくりかき分けるように、校舎裏とフェンスの間へ滑り込む。

 途中で人の波に押されて衛とはぐれてしまう。

「加賀屋くん!!どこ!?」

 珍しく大声を上げてしまう自分に驚きつつも、騒ぎの中ではぐれてしまった加賀屋くんの姿を探した。


 数十分後に民家の火事は鎮火したが、卒業式も終わって火事騒ぎも落ち着いたところで、次第に人の気配がまばらになってきた。

 校舎裏は現場検証のため立ち入り禁止となり、規制線が張られていた。

 呼び出された校舎裏で待っていれば、と思ったけど待つことすらできない。


 結局、その日は加賀屋くんを見つけることができず、携帯もまだ無かったから連絡もできず、そのまま宿題も無い長い春休みに突入した。

 なんとなく気まずくて、連絡できないまま二週間が過ぎた。

 どうせ近くだし、そのうち会えるよね。

 そんな時、愛海の誘いで久々に会うことにした。


 会ってすぐに、やっぱり加賀屋くんのことが話題に上がった。

「で、どうしたの?オッケーしたの!?」

「それが…」

 付き合うつもりだったけど、返事する前に火事の騒ぎがあって離れ離れになったきり、結局会えず終いだったことを伝えた。

「そっかー、それじゃ遠距離恋愛にもならなかったんだ?」

「うん」


 え?


 思わず頷いたけど、今なんて…?

「遠距離恋愛って、どういうこと?」

「あれ、もしかして知らなかった?加賀屋くんは家庭の事情に合わせて、志望校は関西の高校にしたんだよ。春休みの時間を使ってもう引っ越してた。衛の友達も、卒業式の後で知ったんだって」


「え…………えーーーーーっ!!?」

 思わずパニックになった。

「どうして!?遠くに行っちゃうことがわかってて告白してきたの!?」

「遠くに行っちゃうからこそ、でしょ」

「そっ、そうかも知れないけど…」

 そういえば告白されて、続けて進路の話も出てきたような。もしかしてこれのことだったのっ!?


 こうして、あたしの中学時代初の恋は不発に終わった。

 ちなみに中学時代は携帯を持たせてもらえず、家の電話だけだった。

 けど加賀屋くんの引越し先は知らないし、携帯の連絡先も知らない。

 もちろん旧住所がわかれば転送されて手紙を送れるけど、今更連絡を取り合ったとして、どうしていいのかわからない。

 向こうから電話かけても来ない限り、連絡する手段がないじゃない。


 中学の卒業。その春休みの間、しばらく落ち込んでいた。

 だから高校こそ、いい恋をすると決めていた。


 その加賀屋くんが…衛が…ここにいる…。

 あたしが告白されて、返事ができないまま時間が過ぎていった…心残りが…今になって…。

「なんでだよ…なんでそいつなんだよ!!」

 翔は黙って見ている。

「お前には、俺がいるだろ!!」

「ちょっと待って!!なんでここにいるの!?大阪に住んでるんじゃないの!?」

 衛はバツが悪そうにする。

「父親の大阪赴任は中二の頃からだったんだ。母親と俺も一緒に行くはずだったけど、編入試験と高校受験が重なって負担になるからと、大阪の高校を受けることを条件に大阪行きは先延ばししてもらったんだ」

「それで、なんで今ここに?」

「今月から父親の赴任先がこっちになったんだ。それでわずか半年足らずでこっちへ戻ることになった」


 頭が真っ白になった。

 衛が、戻ってきた。

 中学時代に想いを寄せていた衛が。

 けど今のあたしには翔がいる。

 一緒に過ごした時間は半年も経ってないけど、衛に対してよりずっと強い想いを寄せている翔が。


 わかってる。翔は誰とも付き合わないって。

 返事をもらったとしてもフラれる。


 間違いなく。


 あたしは中学卒業の時の返事を、まだ衛にしていない。

 衛はあたしの肩をグッと掴む。

「俺なら、あいつより絶対大切にする自信がある!!今の言葉、取り消してくれよ!!」


 翔はスイっと背を向ける。

「緋乃、また明日学校でね」

 たまらずしてしまった告白の返事をすることなく、翔は歩き出す。


 デジャヴだ。あたしと、衛の。

 あたしは俯きながら黙るしかなかった。


 結局、衛に返事をすることも、翔に返事をもらうこともできず家に帰ってきた。


 机にぐったり身を預けて、中学の卒業式当日を思い出す。

 あんな騒ぎがあったんだよね。

 今度は立場が変わって、あたしが翔の返事を待つ番になっちゃった…。

 返事は聞くまでも無いけど、かといってそのまま衛にOKなんて言えない。

 何より、あたしの中で翔の存在が大きくなりすぎた。

 こんな気持のまま衛と付き合うなんて、できない。

 どうしよう…まさか中学の時の心残りが、今になって舞い戻ってくるなんて…。


 次の日。

 はぁ~…。

 気が重い。

 登校して席に座るけど、ぐったりと机に突っ伏した。

「緋乃ぉ!」

「詩依…」

「どうしたの?まさか昨日翔にぃ…」

 目をキラキラさせてワクワクを隠しきれない詩依が、一瞬だけ真顔になるも、笑顔に戻る。

 昨日のことをかいつまんで話した。


「えぇ!?そんなことがっ!?」

「そうなの…あたしどうしたら…」

 ガラッ。

「緋乃、翔が来たよぉ」

 コソッと教えてきた。

「おはよう、緋乃。寝不足かな?」

「…おはよう翔」

 先週までの翔と変わらない様子。まるで昨日の告白が無かったことのようにされて、少し寂しい気持ちがした。


 けど返事はわかりきってる。

 つい気持ちが抑えきれなくて告白しちゃった。

 おまけに…。


「嵐の予感」

「おっ、雪絵か。おはよう」

「おはよ」

 雪絵が机に突っ伏してるあたしに耳打ちしてくる。

 ついガバっと起き上がり

「……嘘…だよねっ…!?よりにもよって…」

「それはすぐにわかるわ」

 冷静に返す雪絵を見て、ズーンと青ざめてしまう。


 朝のショートホームルームが始まり、終わろうとするあたりで先生が咳払いをする。

「夏休みも目前ですが、今日から仲間が増えます」

 …雪絵の言ったこと、嘘じゃ…なかった…。

 この世の終わりとも思える絶望に打ち拉がれた。

 姿はまだ見せていないが、誰なのかはわかっている。

 さっきの雪絵の耳打ち、本当に…当たった。


「加賀屋 衛です。先週、大阪から引っ越してきました。こっちは半年ほど前まで住んでいましたが、家族の都合でまた戻ってきました。みなさんよろしくお願いします」


嵐が…嵐の予感が…。

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