第7話:無気力

 交流合宿から数週間が過ぎたころの放課後。

「委員の仕事で遅くなっちゃった」

 あたしは教室まで戻ってきた。

「よっ、緋乃」

 後ろからかかった声の主は俊哉くんだ。

「とっ、俊哉くん…」

「先生が委員の仕事をもう一つ頼みたいって伝言があってね」

「そうなの?なら翔を呼んでくる」

 翔は別の用件で外しているが、居場所はわかってる。

「翔は別に動いてるだろ?俺も手伝うから、さっさと片付けちまおう」

「う…うん」


 少し距離を取りつつ、後をついていく。

「ちょっとお手洗いに行く」

「おう、とっとと行ってこい」

 お手洗いを出る時、ハンカチがポケットにしっかり入ってないことに、気づいてなかった。


「ここだ」

 外の体育倉庫だった。

「片付けがされてないから、片付けしてほしいんだと」

 ガララ。

 引き戸の鉄扉が開けられた。

 俊哉くんが先に入り、あたしが後に入る。

 扉の端に引っ掛けてしまい、ハンカチを倉庫の外へ落としたことに気づかなかった。

「どこを片付ければいんだろ?」

 見る限り、特に片付けが必要な場所は見当たらない。

 ガララ…ゴン。

 俊哉くんが扉を閉めて、扉を背にする。

「お前さ、翔の何なわけ?」

「えっ?」

 まさか…おびき出されただけ!?

「あなたには関係ないでしょ」

 少しムッとしながら答える。

「言っとくが、翔はもう誰とも付き合わないぞ」

「付き合うってそんな…近くにいたい。それだけじゃダメなの!?」

「近くにいればそのうち全部欲しくなるだろ。それでお前が辛くなって傷つくのが分かりきってるから忠告してやってるんだ」

 忠告。これって大抵は相手のためじゃなくて、自分のために言うものだよね。おまけに上から目線で腹が立つ。

 その手には乗ってあげない。


「あなたこそ翔の何なの!?」

「そうだな。露払いみたいなもんだ」

 露払いって本来は目上の人を導く役目だけど、ここで言うのは「厄介払い」と解釈すればいいよね。

「翔がどうするかは翔が決めることでしょ!?あなたが翔に頼まれたんならともかく、勝手にやって翔はそれで満足しているの!?」

 はぁ。

 なんか面倒そうにため息をつく。

「翔、翔、翔と鬱陶うっとうしいんだよ。ろくに会話すらできなかったくせにさ。翔だって呆れてただろうな。面倒くさいやつってうんざりしながらな」

「あたしはどう言われてもいい!!けど翔のことを言うのは許さない!!」

 チッ。

 俊哉くんは舌打ちする。

「意外と頑固だな。あいつのことになると」

「俊哉くんこそなんで翔のことになるとそんなムキになるのよ!!」

「ガキん頃からずっと見てきたからな………しゃぁねぇ、あんま手荒なことはしたくなかったけどよ…」

 ぞくっ!!

 突然寒気がした。

 逃げなきゃっ!

 本能的に悟って逃げようとするけど、狭い倉庫の中ではほとんどかわすスペースなんて無い。

 俊哉くんが目の前に迫り、腕を掴まれる。

 カシャン。

「えっ!?」

 腕に何かをされた。

 ぐいっと引っ張られて、体育倉庫の柱と向かい合わせられる。

 もう片方の腕を取られて


 カシャン。


 何をされたか、今理解する。

「ちょ…これ外しなさいよ!!」

 体育倉庫の柱に輪を作る格好で、手錠をかけられていた。

 おもちゃにしては結構本格的な作りなのか、重さもそこそこある。鎖も意外に頑丈みたい。

「お前が悪いんだからな。さっさと翔に関わらないと誓えばここまでする必要はなかったんだ。お前が二度と翔に近づかないと誓うなら外してやるよ」

 鍵をお手玉のように弄びながら言い放つ。

「こんなことして、ただで済むと思ってないわよね!?」

「安心しろ。お前みたいなちんちくりんに手ぇ出しゃしないさ」

 嘲笑の表情であたしを見る。絶対見下されてる!!あったまきた!!

「ついでだから教えてやるよ。翔がなんで誰とも付き合わないのか」

 俊哉くんの口から、翔についてのことが短く語られた。


「だからって…翔自身がどう変わるかわからないじゃない!!あなたにとやかく言われる筋合いはないわよ!!」

「翔自身の口からもう誰とも付き合わないって言ったのはほんとさ。じゃ俺はしばらくぶらついてくるから、その間に考え直せよ」

 ガララ…ゴロロ…ゴン。

 俊哉くんが姿を消し、重い鉄扉が閉まる。

「俊哉!!巫山戯ふざけないでよ!!」


 背にした体育倉庫から、緋乃の叫び声が聞こえてくる。

 すでに日が傾いてるこの時間、あたりに人影は無い。見つかる心配はまず無いだろう。

「まぁ、うるさいのは最初の十分ってとこか。それまで人が近づかないよう注意しないとな」

 校舎へ足を運ぶうち、向こうから二人の姿が見えた。四組で意気投合した二人だ。

 まずい、あいつらに今体育倉庫の近くを通られるわけにはいかない。このまま進まれると緋乃の叫んでる声くらいは気づかれてしまう。

「よう、今帰りか?」

 俊哉が先に声をかける。

 なんとか足止めして、あっちに近づけないようにしないと…。

「見てのとおりだ」

「帰りに二丁目のファミレスに寄ってくんだけど、お前も来るか?」

 二丁目ということは体育倉庫の近くにある門を通るはずだ。これはまずい。

「そうなのか。それより一昨日話したカレー屋に行かないか?うんめぇぞ」

「おっ、いいね」

 早々と話がまとまり、俊哉はカバンを取りに校舎へ消える。


 その頃…。

「ふー、全く人使いが荒いぜ」

 翔が教室に戻ってきて、自分のカバンを手に取る。

「ん?」

 緋乃のカバンがまだある。

「おかしいな。緋乃はとっくに終わって帰ってるはず。なんでまだいるんだ?もしかして俺を待ってるのか?」

 翔もカバンを置いたまま緋乃を探し始める。


 沈みゆく夕日は完全に沈みきり、夜のとばりが下りる。

 いくら呼びかけても俊哉は近くにいないのか、返事しないし周囲から誰の声も聞こえてこない。

 叫び疲れてしまい、真っ暗な中で手錠をされて動けず、その場所でへたりこんでいた。

「翔…助けて…翔…」

 弱々しく祈るような気持ちで呼びかける。


 ガラガラ…。

「もしかして、そこにいるのは緋乃か?」

「え…その声は翔?どうして…?」

 真っ暗で姿は見えないが、確かに翔の声だった。

「倉庫の前にお前のハンカチが落ちてたから、まさかと思ったがどうしたんだ。何があった!?」

 スマホのライトをかざし、ただならぬ様子に気づいて、緋乃に駆け寄る。

 倉庫にあった道具と力づくで鎖を切断した。


「ほら、緋乃のハンカチ」

 翔は倉庫の外に落ちていたハンカチをあたしに差し出す。

「ありがとう。これで借り、チャラだね」

「ばーか。当然のことをしただけさ」

 あたしたちは暗くなった校舎にカバンを取りに行った。


「まずったなぁ、あの二人話長ーよ。あいつをずっと一人にしてしまったのは予定外だった」

 俊哉は二人と別れた後に急いで体育倉庫に向かっていた。


 ガララ。

「あれ?」

 そこにいるはずの緋乃がいなかった。

 中に入り、スマホのライトで中を照らすが、そこには誰もいなかった。


「俊哉」

 静かに、重苦しい声色でドアの向こうから呼びかけられる。

「げっ、翔…と緋乃…!?」

 暗くてよくわからないが、影の形と声でわかった。

「まず、何も言わずに鍵をよこせ」

 手を出す翔に俊哉は一瞬たじろぐけど、覚悟を決めたかのように黙って鍵を差し出した。


 ガララ…ゴン。

 外に出て、体育倉庫の扉を閉めた。

 カシャン。

 鎖を切られた手錠の鍵が外される。

 やっと開放された…。

「俊哉、何か言うことはあるか?」

 背を向けたまま問う翔。

「うっ…す、すぐ戻ってくるつもりだったんだが…」

「お前のすぐとは二時間か」

 俊哉に振り向き、にじり寄る。

 怖っ!!翔めっちゃ怒ってるっ!!

 じり、と後ろに下がり、俊哉の背はゴワンと音を立てて体育倉庫の扉にぶつかる。

「し…仕方なかったんだ。閉じ込めてすぐこっちに同級生が来そうだったから」

「なぜこんなことをした?」

「またあんな辛いことにならないようと…緋乃に諦めさせようと」

「前に余計なことはするなと言ったはずだ。緋乃の気持ちは考えたのか?」

 翔がトンッと押し出すように背中を叩く。


 ぱぁんっ!!


「あなた、さいってぇ!!」

 俊哉の頬を平手打ちした。

 あたしの手もジンジンする。

「はっきり言ってなかった俺にも落ち度はあるが、二度と緋乃に近づくな。緋乃に対して誰かに手を回させるのもやめろ。さもなくば、今度こそ俺が直接拳をくれてやる」

 ギロリと睨む。

「なんで…なんでその女にそこまで拘るんだ!?今までお前がどれだけ辛い思いをしてきたか、俺が一番わかってるつもりだ!!またあんな過ちを繰り返すのか!?翔!!」

 翔は何も答えず、あたしの肩を抱いて俊哉に背を向ける。

 カバンは持ってきていたから、そのまま帰りの道へ進んだ。


「辛かったな。心細かったよね」

 頭をポンポンと撫でてくる。

「うん」

 嬉しかった。

 閉じ込められたのは怖かったし、心細かった。

 ずっとこのままで朝が来て、体育や部活の時間になって発見されるんじゃないかと悲観もした。

 けど、翔が助けてくれた。

 まるでヒーローみたいに現れて、あたしを助け出してくれた。

 あたしだけの王子様…。


「緋乃」

「ん?」

「勝手なお願いかもしれないが、この件は俺に任せてくれ。俊哉とは俺が話をつける。だから今回のことは学校や家族にも黙っておいてくれないか?」

 正直、許せない。許したくない。

 学校や家族にこのことを伝えて、俊哉が自分で何をやったか思い知らせたい。

 けど…。

「うん、翔に任せる」

 やっぱり惚れた側は弱いなぁ…。

「さっきのとおり、キツく言っておいたからもう俊哉にちょっかいをかけられることは無いと思う。でも何かあったらすぐ言ってくれ」

「うん」


 俊哉から、翔が誰とも付き合わない理由は聞けた。

 その理由はたぶん、表面的なことだと思う。もっと根っこに何か原因があるはず。

 あの話をしている時の俊哉って、すごく辛そうだった。

 翔のことなのに、我が事のように…。

 あんなことした俊哉とはあまり話したくないけど、いつかは向き合わなきゃ。


「おーい銘苅めかる。お呼びだぞ」

 休み時間にクラスメイトから声をかけられる。

「俊哉か」

 人の少ないところへ移動して話をすることにした。


「呼び出さずに教室へ入ってくればいいのに」

「緋乃に近づくな。そう言ったのはお前だろ。いつもお前と一緒にいるから呼び出すしかないんだ」

「ああ、確かに言ったな」

 頬を掻く翔。

「率直に聞く。お前、緋乃のことが好きなのかよ?」

「それは俺の問題だ。お前には関係ない」

 俊哉は眉を釣り上げる。

「また…中学時代の失敗を繰り返すつもりか」

「何も知らないのに決めつけるなよ」

 俊哉はさらに顔を険しくする。

「フラれて落ち込んでるお前を支えたのは誰だと思ってるんだ。またあんな役回りは勘弁してくれよ」

「なら慰めもせずに放っておけばいい。それよりもなんで緋乃を閉じ込めた。いくらなんでもやりすぎだろう」

「翔に近づき過ぎたから、諦めさせるため懲らしめてやろうとしただけだ」


 はぁ…。

 わかりやすいため息をつく。

「お前はもう少し頭のいいやつだと思ってたんだが…お前こそ中学の失敗を繰り返すのか?あのこと、忘れたわけじゃないだろ」

 一瞬にして俊哉の顔が真っ青になる。

 しまった!と翔が気づく。

 お互いあのことはタブーにしていたことだが、反論ついでに思わず口走ってしまった。

「お前に…お前に何がわかるんだっ!?」

 俊哉が食って掛かる。

 キーンコーンカーンコーン。

 時間切れだ。

「この話はまた改めよう」


 改めることにしたが、それから数日、翔は俊哉と話ができていない。

 翔が俊哉のクラスに行ってもなぜかいないからだ。

 同じクラスの雪絵に聞いた話によると、休み時間になるとどこかへフラフラと消えているらしい。放課後もすぐに姿を消している。

 両手を合わせて拝み倒す翔の姿は初めて見る。

「雪絵、頼む。休み時間や放課後で構わない。俊哉のやつを教室に引き止めておいてくれないか?」

「無理」

 即答する雪絵。

「そんなに怒ってるのか…」

「違う。心ここにあらずって感じで、ほとんどの声が届いてないみたい。だから引き止めるのは無理。あたしじゃ腕力で止めるのも難しい」

「さすがに心配よねぇ。何があったか知らないけど、このままでいいってわけでもないわよねぇ。緋乃はなにか知ってるぅ?」

 あたしは、この件を全部翔に任せている。

 けど、翔からじゃなくて話は直接本人から聞きたい。

「ううん、あたしは特に何も…」

「緋乃はむしろ俊哉と遭遇しないようにして」

 ギクッ!!

 全部知ってるような言い方をされて寒気がした。

 俊哉と翔が隠していること、気になるけど…任せるって決めたんだもん。

 雪絵がこういう言い方をする時って、必ず重大な何かがある。

 あたしは雪絵の言葉に、返す言葉を失っていた。

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