第6話:届かぬ想い

 もう…歩くのがキツい…。

 一歩を踏み出すたびに頭がガンガンする。

 向こうに光がチラッと見えた。

「えっ…?」

 その光はこっちに向かってくるようだった。


「助け…」

 もう声は掠れてしまい、大声で呼びかけることもできなくなっていた。

 足がもつれて何度も転びそうになる。

 暗闇に閉ざされた中でチラチラする光を求めて、震える足を一歩ずつ進める。

 光はだんだん近づいてくる。


「緋乃っ!?そこかっ!!」

 聞き慣れた翔の声。

 助かった…あたし…助かったんだ…。

 あたしが膝をついているところに翔が駆けつけた。

「よかった、緋乃だ」

 安心した途端に気が抜けて、倒れかかった体を翔が支えてくれた。

 薄っすらしていく意識に逆らえず、そのまま目を閉じる。


 気がつくとおんぶされていた。

 広い背中に身を預けている。布を通して伝わってくる体温に安心する。

「翔…?」

「気がついたか?まったく、心配させるなよ」

 翔は器用に不自由な手でライトを前に向けて進んでいる。

 優しい。

 翔は誰にでもこうして優しく接していることは知ってる。

 この優しさを独り占めしたい。

 …雪絵の言ってた蜜って、これのこと?

 籠から垂らす蜜…決して手の届かない蜜を求めてしまう。

 優しさという蜜。

 決して誰とも付き合わないと決めている翔の決意…それが閉じた籠?

 そういうことだったの?

 ずっとこのまま、翔の背中に身を預けていたい。

 いっそ、時間が止まってしまえばいいのに…。


「好きになっちゃダメなんて…辛いよ…」

 ついつぶやきが口に出てしまった。翔の耳元で。

「もうすぐ着くからな」

 聞いていたのか聞いていなかったのか、翔の口から出た言葉は会話として成り立っていなかった。

 聞こえなかったの…?聞いたけど聞かなかったことにしたの…?

 疲れで頭が回らないあたしには、自分の気持ちを口に出してしまったことの恥ずかしさや、言っちゃいけないと思いとどまるほどの考えまでは気が回らなかった。


 元の場所へ戻ってくる。

「歩けるか?」

「うん、助けてくれてありがとう」

「結構フラついてるな。早めに休んでおいたほうがいいかもしれない」

 詩依と琢磨くんが駆けつけてくる。

「緋乃ぉっ!大丈夫ぅ!?」

「先生にはなんとかごまかしておいたから、そっちは心配するな」

「助かる」

 夕食を終えてキャンプファイヤーの会場が賑わっている。

「話は後にしよぉ。冷めちゃったけどご飯は取ってあるよぉ。あっちで食べてきちゃってぇ」

 薄く明かりのあるベンチを指差して言う詩依。

「何から何までありがとう」


「大変だったな。緋乃」

 紙皿に盛られた生ぬるい具だくさん焼きそばを食べながら話しかけてくる。

「…助けてくれてありがとう。迷惑かけてごめんなさい」

「どうして一人で離れたんだ?」

 あたしは手元に戻ってきたハンカチを出す。

「これ、河原に忘れちゃったから」

「明日、明るくなってから取りに行ってもよかったんじゃないか?」

「それじゃゴミと間違われて無くなっちゃうかもしれなくて…」

「そんなに大切なものなのか?」

 あたしは少し俯く。

「…翔が…可愛いって言ってくれたから」

「そうか。一人で暗い時に行かなきゃいけない場合は言ってくれよ」

「うん…」


 少しの沈黙が訪れる。

 遠くでは火が燃え盛り、賑わっている声が聞こえてくる。

「翔は…」

「ん?」

「どうしてわかったの?あたしの居場所」

 そう。黙って出ていったのに、あたしがいる場所をわかっていたようなタイミングで来たことが気になっていた。

「雪絵だ。緋乃が戻ってこないのを気にした頃、雪絵がやってきて『緋乃は河原に行ったみたいだから戻りが遅いようなら探しに行ったほうがいいかもしれない』と伝えに来たんだ」

 また雪絵の鋭い勘に助けられたんだ。

「河原からこっちへは分かれ道が一つあったから、そこで間違えると戻ってこられないと踏んでいたんだ。だんだん道が険しくなってたから、気づいて引き返すにも暗くて動けないだろうと思った」


 翔はあたしが思わず耳元で呟いたことには触ってこない。

 聞かなかったことにしようとしているのか、聞いていなかったのか…。

 どう思ったのか聞きたいけど、返事が怖いから聞きたくない。

 もし聞いたら、こうして側にいることもできなくなるかもしれない。

 そう思うと聞きたくない。

 まだ頭がぽやんとしていて、考えがまとまらない。


 食べ終わって片付けを済ませる。

 さすがに疲れが溜まっていて、あたしは先にバンガローへ足を向けた。

「緋乃」

 呼びかけられて振り向くと、そこには雪絵がいた。

 わずかな灯りに照らされているその姿は、さながら魔女のようだった。

「雪絵…あなたには何度も助けられてるね。ありがとう」

「緋乃は…このままでいいの?前に伝えた意味、もうわかったよね。閉じた籠から垂らす蜜の話」

 ギクッ!

 雪絵の言うことはいつも心に刺さる。それも的確に。

 自分でもわかってる。この想いは届かないって。

「今は…このままでいい」

 わかってる。このまま翔を好きでいても、辛くなるだけってこと。

「翔が何を考えているのか、わからない…でももう、自分じゃ止められないの…」

 雪絵は黙ったまま立ち去った。

「もう、第三段階もとっくに通り過ぎちゃったみたいね…けど…」


 申し訳程度の明かりをつけたバンガローの中で、あたしは座って壁にもたれて座って壁にもたれて考えにふける。

 雪絵って…なんか全部見透してるんじゃないだろうか。

 ふと漏らす一言が、すごく刺さる。

 何を考えてるかわからない。翔も…雪絵も…。


 みんなが戻ってきた後、大浴場で汗を流してすぐに休んだ。

 寝ている間にガールズトークが繰り広げられていたようだけど、ぐったり疲れていたあたしは朝まで目がさめることはなかった。


 翌朝。


 自・己・嫌・悪…。


 やっちゃったよ~…。

 目が覚めると同時に、あたしは昨夜のことを思い出してズーンと沈んでいた。

 つい翔に告白しちゃった…それも耳元で…。

 もうあたしの気持ち、伝わっちゃったよね。

 翔はあれ、どう思ったんだろう?

 聞きたい。

 けど聞いたら絶対にフラれる。

 そうしたらもう、翔の近くにいることもできなくなって辛いだけ…。

 そんなの…ヤダ。

 でもなんであの後、告白しちゃったことに触れないでいたんだろう…?

 やっぱり付き合うのって無理だよね…なんかもう、顔を合わせるのも気まずいよ~…。

 どうしよう~っ!?

 布団をかぶったままひたすら後悔していた。

 おんぶしてくれたあの温もりが忘れられない。

 広くて、がっしりしていて、安心するあの背中。

 全部が愛しい。

 あの声も、優しい目線も、大きな体も、気遣ってくれる優しさも…。

 雪絵の言ったこと、やっとわかった。

 一度舐めてしまった蜜の味…もっとほしい。

 全部独り占めしたい…。

 このまま諦めるなんて辛すぎるよ~…。


「ほら緋乃さんっ、さっさと起きて」

 一緒に寝ていた女子にガバっと布団を剥ぎ取られた。

「ひゃあっ!!」

「緋乃はお寝坊さんかなぁ?」

 にっこり笑顔を向ける詩依。

 辺りを見回すと、お化粧に勤しむ女子や、布団を片付けている姿がそこにあった。

 う~っ…このまま消えてしまいたい。

 起きて外に出れば班行動。

 つまり翔とは嫌でも顔を合わせることになる。

 気まずい空気が出ちゃう。


 でもダメだよね。

 よし、覚悟決めて行く。

 今日のあたしの目標は、昨夜の告白のことを絶対話題にしないっ!

 すっくと立ち上がって気合いを入れる。


「おはよぉ翔ぉ、琢磨くん」

「…おはよ」

 あたしはあまり気分が浮かない。

「おはよう。ゆっくり寝られたか?」

「そりゃもぉ。緋乃なんて消灯前からぐっすりだったよぉ」

 うっ…昨夜のことを思い出しちゃった。

「こっちは枕投げが始まっちゃってな。消灯時間を過ぎても騒いでたから先生にどやされたよ」

 いつもと変わらない翔。

 昨夜のこと、やっぱり無かったことにされてるのかな…。

 ホッとしたけど、ちょっぴり寂しいな。


 合流してすぐに朝食の準備に入った。

 時間のかかる炊飯ではなく、パンとサンドイッチの具に使う材料が用意されていた。

 それぞれ分担して調理する。


「なぁ緋乃」

「っ…なに…かな?」

 突然翔に声をかけられて、明らかに挙動不審になってしまった。

「昨夜の…」

 待って待って待って!!!

 それ今言うのっ!?

「いやっちょっと心の準備がっ!!」

 あたしは思わずビビってる空手選手みたいに身構えてしまった。

「はい?」

 翔がキョトンとあたしを見る。

「昨夜の疲れ、残ってないか?と言おうとしたんだけど」

 ………。

 身構えたままポカーンとするあたしをマジマジと見る。

「だっ…だいじょーぶっ!このとーりっ!」

 慌てるあたしだけど、ホッとした顔を向ける翔。

「そっか。それならいいや。で、心の準備って?」

 ギックゥ!!

 今日のあたしの目標は昨夜の告白には絶対触れないことっ!

 ここで思い出させちゃダメっ!

「い、いや…なんでもないの…ちょっとびっくりしただけだからっ!」

「そう?ならいいけど」

 ふ~…焦ったぁ…。

 でもよかった。追求されなくて。

 もしかして翔は、そこも気遣ってあえて話題にしないのかな?


 午前中は完全に自由時間。

 ある程度の範囲を決めて、それより遠くへ行かないよう注意された。

 おしゃべりしてる人、ボール遊びしている人、見える範囲から出ていった人。

 木登りしてる人はさすがに注意されていたけど、みんな思い思いに過ごしている。


 午前十時。

 このキャンプ場を離れて、待ちに待ったテーマパーク。ジャージから制服に着替えてバスへ乗り込む。

 お昼前に到着してから午後三時まで自由に過ごすことになっている。

「あぁ、着いた着いたぁ」

「こっからは集合まで班行動しなくてもいいんだよな」

「じゃ、言っておいたとおりあたしは緋乃たちの班に行くから」

「だったらメンバーチェンジってことで俺がそっち行く」

 結局、雪絵と琢磨が入れ替わることになった。

 メンバーチェンジが終わって別行動を始めた時、

「琢磨くんってあっちの女子が気になったのかな?」

「緋乃もそう思った?」

「…」

 珍しく雪絵が口を挟んでこない。それよりも気がかりなことがあった。

 雪絵の目は、未だ接点が無い他のクラスの男子生徒一人をしっかり捉えていた。

「まっいいじゃん。丸く収まったんだから楽しもうぜっ」

 こうしてテーマパークでの自由時間が始まった。

 今は午前十一時。

「先に昼済ませたほうが良さそうだな。そこのフードコートにしよう。席は先に取っといておく」

「うん。その前にお手洗い行ってくる」

 あまり待たせちゃいけないから、ササッと済ませてお手洗いを出る。

 えっと…フードコートはどっちだったかな?

「どうしたの?道に迷ったかい?」

 知らない男の人が声をかけてきた。かなりチャラそうな風体。

「うっ…」

 まだ初対面では緊張してうまく話せない。これは多分ナンパだと思う。

「あの…その…」

「へ~っ、君可愛いね」

 おもむろに近づいてきて肩に手をかけようとしてきたその瞬間、はねのけようとしたけど思わずグッとこらえて…あたしは肩に腕を回された。

「おニィさ~ん、俺の女に何してんスかぁ~?」

 えっ!?

「しょ…翔っ!?」

 肩に腕を回したのは、いつの間にかそこにいた翔だった。

 チャラい口調ながらも、男をキッと睨みつける。

「いやっ、道に迷ったみたいだったから声をかけただけさ」

 バツが悪そうに男は引き下がった。

 翔みたいなイケメンに俺の女宣言されちゃ、引き下がるよね。


 ………え~~~~っ!!?

 誰の女ってっ!!?

「あっ、あのっ、翔っ!?」

「ん?」

 肩に腕を回されて、俺の女宣言までされてドキドキするあたしとは対照的に、翔はいつもの笑顔。

「今っ、だっ…誰の女ってっ…!?」

「ナンパ撃退にはこれだよね」

 サラリと言う。

 ナンパ撃退………ですよね~…ドキドキして損した気分。

 一瞬、昨夜の返事なのかと思ったけど…残念。

「あっちで席を確保してたんじゃっ!?」

「席ならもう取っといた。んじゃ行こうか」

 それにしても翔っていろいろと行動が早い。

 フードコートの入り口まで、翔に肩を抱かれて顔が真っ赤になってしまっていた。

 その後も、頼んでもいないのに詩依と雪絵が仕組んでカップルシートや二人乗りのアトラクションは、翔の隣に座ることになった。

 あちこちで見せる、翔のさり気ない優しさに心を揺さぶられていた。

 何より気になるのが、昨夜を最後に雪絵が気になる発言をしてこないこと。


 あたしは気づいていなかった。

 雪絵が翔と緋乃の進展において、もはや介入する必要が無いと判断して黙っていることに。


 遊び疲れて、帰りのバスはお通夜よりも、深海の底よりも静かだった。

 その中で、あたしに厳しい視線を送る人がいた事に気づけるはずもなかった。

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