女神誕生

六花 水生

第1話

 ここは神域。

 神力を持つ者、あるいはその子供達が暮らす、天帝様が治める領域である。



 麗かな春の日であった。


 私は姉上と二人で花を見に、庭へ出て来た。

そこへ


「グルルルルー」


という唸り声が聞こえたかと思うと、地を蹴る獣の足音が迫ってきた。

座り込んで花を摘んでいた私は咄嗟に動けず、迫る恐怖に身をすくめていたところ、


「伏せろっ!」


という男の声がした。

その声に弾かれるように身を伏せると、すぐに、間近を矢が通り過ぎ


「ブスッ」


と、矢が突き刺さる音、続けて


「ギャオー」


という獣の断末魔の呻きが聞こえてきた。


ひめ!大丈夫っ?」


姉上が駆けよってきた。


「だ、大事ございませぬっ。」


震える声で答える。


「間に合ってよかった。こやつは魔のモノだ。」


先程の男の声だ。


「ありがとうございました。妹を助けてくださって。」


姉上がお礼を述べている。


「いやいや、私の方こそもっと早く仕留めていれば、こちらの庭先までこやつが来ることもなかった。申し訳無い。」


見れば、筋骨隆々とした、明るい表情をした青年が大弓を持ち私の横に片膝をついていた。


「小さいお方、ケガなどされていないか?驚いて下衣を濡らしたりしておられぬか?」


ニヤッとして話しかけてくる。


「ぐっ、無礼な!驚きはしたものの、さような子供ではないわ!」


「わはは、それは貴婦人に対し、とんだ失礼を申した。」


と大袈裟にお辞儀をしてよこす。


「そちらこそ、シモの話など、子供のようじゃな!」


ムキになって言い返すうち、いつしか震えは止まり、恐怖心も治まっていた。


姉上も平常心を取り戻したのか、


「これ、二の姫、命の恩人に何という口のききようですか。

まこと、申し訳ございませぬ。まだまだ子供ゆえ、ご容赦くださいませ。」


「なんの、これだけ気丈であられるなら、立派な姫君だ。」


「ときに、そなた様は…?」


「おお、申し遅れました。私はタケルと申します。」


「あ、天帝様の甥の…?」


「おや、もう噂をご存知でしたか。此度、神籍を返上し、界を接する人の世に下る事になりました。そして同じく界を接して入り込んでくる魔のモノを討ち、人の世を安寧にせよとの命をうけました。今も界を跨いで跋扈する魔のモノを追っていたところです。」


「神籍を返上なさるのですか?」


「はい。神籍にあるものは長じるにつれ、司るべき領域の天啓を得るはずが、なかなか得られずにおりました。それよりも我が身をもって敵を討つことに才あり、と天帝様も私も気付きまして、それならばそれを活かせる道をということになりました。」


「そうでしたか。ご自分の適性で道を選ばれるのも、また立派な天啓かと存じます。」


 姉上は親にもお礼をさせたいと、家までタケル様をお招きした。事の顛末をきいた大人たちは驚き、タケル様に何度も感謝の言葉を伝えていた。


 それからタケル様は、ちょくちょく我が家を訪れるようになった。

 私の事をからかいながらも大人と同じように扱ってくれる。いつも明るく朗らかで、そんなタケル様に仄かな憧れをいだくようになった。

 ときにタケル様は、お土産を持ってきてくれることがあった。私にはお菓子を、姉上には1輪の花を。

 姉上と3人、いつも一緒に笑いながら過ごしていた。


それでも、私も大人に近づくにつれ、あの二人の間に流れる空気と、タケル様と私の間のものは違うものであることを感じるようになった。


 神籍にあるものは、ある程度大人に近づくと、司るべき領域の天啓を得る。


 姉上もそろそろ、その時期になりかかっていた。


 そんなある日、タケル様がやって来た。


「人界で魔のモノと闘うためには、人びとが結束しなくてはならない。皆を纏めるために私は王となることにしました。このことは天帝様のご意思でもあります。その為にまず、交渉、説得からはじめました。天帝様の御威光に多くのものは従ってくれました。されどまつろわぬものも、まだおります。これからは人を相手とした戦いも加わります。それゆえ、こちらに伺うことも、しばらくは難しくなります。そのいとまごいのご挨拶に参りました。」


「まあ、それは…」


姉上は絶句している。


「タケル様、勝って、またおいでくだされ。」


「ニの姫様、ありがとう存じます。魔のモノにも怯まなかったニの姫様、どうか姉上をお守り下さい。」


「わかっておるわ、わらわに任せるがよい。」


「ははは、これは頼もしい。では一姫いちひめ様も、ご健勝で。」


「タケル様…」


 タケル様は魔のモノと、タケル様が王となることに反対するもの双方との闘いに明け暮れていた。 

 私は少しでも話し合いで人びとが結束することができればと念じ、祈った。

 姉上は戦に傷つく者達の助けになればと、薬を調合し、その薬効あらたかな事で評判をよんでいた。そして周りのものたちは、


「一姫様は『癒やし』の天啓をえられるやも。」


などと噂していた。


 しばらくして、とうとうタケル様が人の王として、統一を果たしたとの知らせが入ってきた。

姉上と安堵し、喜んでいた。そのうちまた家に来られるかと期待していたとき、その知らせはやって来た。


「タケル様、魔のモノの牙の毒にて明日をもしれぬ重体」


 タケル様は新たに加わった連合国で、会議中に現れた魔のモノからその国の王子を庇い、噛まれたとのこと。

 それを聞いた姉上は

「我が神力をすべて込めた薬を作ります。これで私は神力を失くすでしょう。それでもタケル様を救えれば本望です。」


「姉上!それは神籍からも下りられるということでは…。」


「タケル様が生きておいでなら、自分はどこにいようが構わないのです。」


 やはり姉上はタケル様を想っておられたのだ。タケル様がくださった花をいつまでも大事にかざり、萎れそうになれば押し花にしていた。それを嬉しそうに見せてくださったが、よく見ればその花達の花言葉は愛を告げるものばかりであった。


 姉上は自身の神力のすべてで、魔のモノの毒に対抗する薬をつくった。

「ニの姫、私にはもうこれをタケル様にお届けする力がない。お願いだから、これをタケル様に届けてちょうだい。」


「わかりました。ではお預かりいたします。」


 私は神通力でタケル様の元に飛び、姉上の薬をタケル様に飲ませた。タケル様の顔色が徐々に戻り、ついに目を開けた。


「ニの姫様、なにゆえこちらに?」


「タケル様は大馬鹿者じゃ。魔のモノの毒になぞやられおって。姉上がその神力すべてでおつくりになった薬で、タケル様は助かったのじゃぞ!」


「なんと、一姫様が…」


「タケル様は、早う元気になることじゃ。そして姉上を早う迎えに来ることじゃ。」


「ニの姫様、それはどういうことで…?」


「姉上は神力を失くされた。もう神域には居られない。」


「一姫様は、この薬のために神力を失くされたのか!何ということを…」


「タケル様は姉上を好いておられようが!それならもう、人の世で嫁として迎えるしかなかろう?」


「確かに私は、神籍を下りる道を選んだこともまた天啓だと理解してくださった一姫様を愛している。しかし、一姫様は私をいかに想っておられるのか…」


「ええい、まどろっこしいのう!神力すべてを失くしてまで救いたい男子おのこをどう想っておるかなど、すぐにわかろうものを。ならば言うてやる。『タケル様が生きておいでなら、自分はどこにいようが構わないのです。』と仰せであった。それに、タケル様から貰った花は皆、大切にとっておいでじゃ。」


「おお!ならば我が想いは通じていたのですね。」


「そうじゃ。わらわはこれから神域に戻るが、タケル様から姉上に何か伝える事は?」


「ありがとうございます、ニの姫様。ではこれをお渡しください。そして『必ず迎えに参ります。』とお伝え下さい。」


 そういってタケル様は自分の髪紐を解き、私に託した。妻問つまどいの作法で、男子の髪紐を女子おなごが自分の髪に結べば、求婚を受け入れる証となる。自分で渡せないのは痛恨の極みだろうが、致し方ない。


 神域に戻ると、目を赤く腫らし、落ち着かない様子の姉上が駆け寄ってきた。


「タケル様は?薬は効いたのですか?」


「はい、目を覚まされ、姉上にこちらを、と。」


姉上に預かった髪紐をお渡しする。


「ああ、よかった。…これは、タケル様の髪紐。ということは?」


「『必ず迎えに参ります』との事です。」


 姉上は今度は頬をそめ、いそいそと自分の髪飾りを外し、タケル様の髪紐を使って髪を結い始めた。


 大人達は姉上が神力のすべてを使って薬を作ったことを知り、驚き悲しんだが、姉上のタケル様を思う気持ちが強いことを知ると、渋々ながらもタケル様との縁組を認めた。


 ようやくタケル様が姉上を迎えにやって来た。


「ニの姫、本当にありがとう。あなたがいなければタケル様と結ばれる事はなかったわ。」


「ニの姫様、まことにありがとうございました。薬をお届けいただいたことも、一姫様のお気持ちを教えてくださったことも。」


「まあ、タケル様!その事は恥ずかしいからおっしゃらないで!」


「何の恥ずかしいことがありますか。いつまでも想いを言葉にしなかった私の方こそ、恥じ入るばかりです。」


「お二人とも、ノロけるのはいい加減になされませ。人の世のものたちが王と王妃を待っておられよう。早う行ってやりなされ。」


「ニの姫、あなたにもいつか良いひとが現れますように。」


「姉上、ありがとうございます。」


「タケル様、姉上をよろしくお願いいたします。」


「ああ、妻の妹よ、しかと承った。」


二人が神域を越えて、人の世に下っていく。



また、季節は春だ。


 咲いている花を神通力で舞い上げ、二人に降り注ぐ。 


 神力すべてを使うほどの愛に敵うはずがなかった。


 今は心から言える。


「姉上、タケル様、おめでとうございます!お幸せに!」


この時、私に天啓が下った。


『そなたが司るは「縁結び」』


と。



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