【KAC10】カタリィはフクロウを孕んだ

五三六P・二四三・渡

第1話

 妊娠五か月ともなると、辛いこととは別に嫌なこともたくさん出てきたな、とカタリィは思う。

 一番嫌と言うわけではないが、最近嫌だと気が付いたのは、バスで席を譲られた時、かなりの頻度で話しかけられることだった。

 席を譲ってくれるのは正直有り難い。『男の子ですか女の子ですか?』と聞かれるのは一向にかまわない。しかし、してほしくない質問と言うものは誰にでもあるものだ。

 かといってバスや電車に乗らないわけにはいかず、ただ祈りながら目的地に着くのを待つのだが、それがなんともばかばかしい気がした。

 今もまさにバスで席を譲られ、隣の初老の女性が話しかけてこないように祈ったが、案の定彼女は

「男の子ですか? 女の子ですか?」

 と聞いてきた。

 カタリィは女の子ですと答えたが微笑みを浮かべ「そうですか」としか彼女は返さなかった。続いて

「ヒトの赤ちゃんですか? 猫ちゃんですか? それとも」

 と案の定聞いてきた。

 出た。ヒトやイヌ化やネコ科が普通で、そのほかでも精々小型の哺乳類。ほかの可能性は全く考えていない顔だ。ただ話しかけてきただけの人の、虚を突きたいわけではない。でも自分が生むものの嘘はつきたくはない、とカタリィは考えていた

「えっとフクロウちゃんです」

「まあ……それはそれは、大変そうですね」

「そうでもないですよ」

 大きくなった腹を撫でる。腹の中をかぎ爪でひっかかれた気がしたが、錯覚だろう。

「まあ、鳥類の中では無難ですよね」

 人の娘を捕まえて、無難とはなかなか失礼な人だな、とカタリィは思った。

 だが事実無難だなとも思う。フクロウ以外の鳥類は食欲がわく。我が子に一瞬であっても食欲を向けたとあっては、酷い罪悪感に苛まれてしまう。だから人々はパートナーとして身近であり、食欲をあまり向けない犬や猫を選ぶ。鼠は寿命が少ない。猿は人に近い分、逆にヒトとの差を感じてしまう。イルカは悪くないが、育てるのが大変だ。鯨ぐらいになると、国から保証が出るが、残念ながら食欲がわくタイプの哺乳類だ。

 と、そこまで考えたところで、目的の駅に着く。

 隣の女性に礼を言い、バスから降りる。停留所の看板には、「市役所前」と書かれていた。

 カタリィは、彼の妻とここで待ち合わせをしていた。

 市役所前の広場にある噴水を目印にしていたのだが、見当たらない。カタリィはとりあえず噴水の淵に座り、一息ついた。

 カタリィの妻は、身重の彼を一人でここまで来させることを反対していたが、それと同時に、どうしても外せない用事もあった。カタリィは彼女にそれを優先させたかったし、一人でも大丈夫だと説得したのだった。

 おそらくその用事が長引いてるのだろう。そう思いながら道行く人々を眺めた。多くの人がイヌ科やネコ科の動物を抱いて歩いたり、共に歩いたりしていた。あれはイリオモテヤマネコ。あれはニホンオオカミ。あれはリオカン……

 新しい法律ルールが出来た時は大変驚いたが、このかつてから見たら奇妙と言える景色にも、今となっては慣れたものだ。

 絶滅危惧種保護出産法。少子高齢化は完璧に解決したが、人口の増加は防げなかった政府が考え出した法律だった。夫婦または同性パートナーには人の子供を一人産む権利が与えられている。しかし二人目を生むには、それ相当の国への貢献が必要になった。まさに中国が失敗したひとりっこ政策そのものだが、少子高齢化を完璧に解決した今ならデメリットはないとのことだ。そして、国への貢献が無くても、ヒトでなければ産むことが出来た。ただし、絶滅危惧種に限るとのこと。お互いの精子か卵子をその動物に遺伝子改良し、人工授精する。人口増加を抑え、同時に絶滅危惧種を救えるという一石二鳥の政策、と偉い人は言っていた。

「お待たせしました」

 そこまで考えた時、後ろから女性の声が聞こえた。

 振り向くと、妻と今年3歳になる息子が手を繋いで立っていた。

「ああ、今来たとこだよ、バーグ、アルカディア」

 カタリィは目の前の二人に言った。


 ◆ ◆ ◆


「出来ちゃいました」

 とリンドバーグが初めて言ったとき、誰しもが思うことを、カタリィは思った。

「AIって妊娠するのか」

「それは私のことを妊娠しないラブドールのような物と見ていたということですか」

「その質問は、妊娠できない人をラブドール扱いしてるように聞こえるからやめた方がいいと思う」

 カタリィは倫理観を盾に、半目で睨んでくるリンドバーグの質問をかわした。

「妊娠しないと思ってた、と言うことは、責任を取るつもりはなかったってことですか?」

「とんでもない! そんなつもりは全くない! おめでとう。じゃなくて……えーっと、この場合はありがとう、のほうがいいんだっけ?」

「では、結婚してくれる、ってことですね」

 そこでようやくリンドバーグは顔を崩した。

「ああ、いや、来月ぐらいにプロポーズをしようと思ってたんだけど、まいったな、タイミングを逃してしまった」

「いわゆるできちゃった婚になりますね。ところで二人目はどうします?」

 気が早いな。とカタリィは漏らす。「勿論僕が生むよ。夫婦の負担は軽減したいしね」

「それはありがたいし、わかりましたが」とリンドバードは顎に手を当てて、考え込む「何を産みますか?」

「そっか。そうなるんだよな。法律が出来たのは最近だし失念していたよ」

「私、シマフクロウがいいです」

「シマフクロウって……何故?」

「アイヌ語でコタン・コロ・カムイ……集落を守るカムイって意味があるんです。我が家や仲間を守ってくれる。そんな子になってほしい」

 命名のような感覚で種族を選んでいるようで不謹慎さが感じられた。しかしこの多様化した世界において、個体差など、名前の違いと同等のものとも言えた。

「ちょっと考えさせてくれないか、前向きにね」

「ええ、いくらでも待ちますよ」


 ◆ ◆ ◆


 カタリィは夢を見ていた。

 職場での夢だ。カタリィは大手出版社に勤めており、上司に育児休暇願を届けるところだった。

 皆のパソコンを叩く音が、妙に頭に響いた。

「この時期に育児休暇ってねえ、君はもっと空気が読める人だと思ってたよ」

 上司は肥満気味の体で座った椅子を軋ませていた。

 嘗め回すような視線をカタリィに向けている。

「でもすでに受精はしてしまいましたし……」

「はっ、男が妊娠て。本気でやる人いたんだな」

 カタリィは歯を軋ませる。手を後ろに組み、強くこすりつけていた。

 まだそんなことを言ってる人がいたんだと驚く。

「まあ」と上司はため息をついた「戻ってきて居場所があるとは思わない方がいい」


 映像が切り替わるようにカタリィの夢の場面が切り替わる。

 カタリィは暗い森の中にいた。

 遠くでフクロウの鳴き声が時々聞こえ、風によって揺れる木々の音が続けて聞こえる。

 不思議と不安はない。誰かに呼ばれているような感覚があった。

 空を見上げると大きな月が三つほどあった。

 どれぐらい歩いただろうか。一歩歩くごとに、血の臭いがするようになった。

 やがて開けた場所に出る。月明りによりそこだけ少し明るい。

 何か巨大な肉の塊が落ちており、フクロウがたかって啄んでいた。

 一瞬豚の死骸に見えたが、倒れているのはよく見るとそれは上司だった。


 腹部に違和感を感じ、カタリィは目覚める。

 見ると息子が慌てて手を引っ込めるのがわかった。おそらく膨らんだ腹が気になったのだろう。

「触っていいよ」とカタリィは微笑んだ。

 息子は頷き、恐る恐るまたカタリィの腹を触る。

 その姿にカタリィは未来を幻視した。

 シマフクロウの寿命は40年ほど。異種出産する動物の中では寿命が長い方だ。だが絶対ではないが、カタリィや息子より早く死ぬこととなるだろう。

「それでも僕はシマフクロウを産むんだ」

 カタリィのつぶやきに息子は首を傾げた。

 あたりを見回す。そして今は市役所に来ていたことを思い出した。

 市役所には、異種出産のための書類の手続きのために来ていた。

 書類の記入は主に妻がやってくれていたが、署名と印鑑がパートナー両者に必要だった。カタリィも長い待ち時間により、少し疲労を感じていた。出産に対する不安で、あまり睡眠もとれてなく、寝てしまっていたのだ。

 先ほどの夢は一見後味の悪いものだったが、不思議と目ざめは最高だったような気がした。この二番目の子の将来を考えると、その考えは良くはない。しかしこの狂った法律ルールで生きるこの自分たちの倫理観などどれだけ役に立つのだろうかと思う。カタリィはもう少しで三歳の誕生日を迎える息子の頭を見つめた。そして紙とペンを使い、新しい命について記入をしている妻の後姿を眺めた。シチエーションラブコメのようなやり取りを得て結ばれた妻を。「おめでとう」カタリィが受精したとき、妻はそう言ってくれた。その言葉だけて自分が生む側になってよかったと感じたことを思い出す。


 「どれぐらい触っていい?」と息子は聞いた。

 「あと三分ぐらいかな」とカタリィは返す。

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