一五 治安管理所の倉庫には

 郊外の酒場で飲んだ日から暫く経ち、次の休日がやって来た。

 3人はいつものように繁華街の中にある酒場に集まっていたが、そこには普段とは違う顔ぶれもいた。

「この方は、エレーシーのお知り合い?」

 フェルファトアの隣には、いつも本のたくさん入った大きな荷物が座っているのだが、今日はそこには人が座っていた。

「ええ、彼女がアビアン」

「こんにちは! アビアン・シアスティアです!」

 アビアンは絵レーシーに紹介されると、間髪入れず自己紹介をした。

「ああ、そういえばエレーシーの話でしょっちゅう出てきたわね。こんにちは」

「アビアンのところにも結構な人数が来てるんだよね?」

 エレーシーは、話のきっかけにとアビアンに話しかけた。

「えーと、そうね。もう毎日のように私のところに来てるよ。エレーシーとはそんなに毎日会えないからまとめて報告してるけど、これまでに会ったミュレス人よりもずっと多くの人に声をかけてもらってるよ!」

「ちょっと、ちょっと。あまり目立たないでよ」

 アビアンは思わず口に手を当てた。

「あっ、そうだね」


 いつもは机の上にグラスが置いてあるのだが、今日は小鉢がいくつかと、真ん中に大きな山盛りの麺とつけ汁が置いてあるだけだった。

「今日はね、飲めないから。とりあえずこれを食べましょう。食べたら出発よ」

 大抵集まったら一週間で起きたことを肴に、酒を飲み合って楽しく過ごす3人も、今日ばかりは後のことを考えて妙な緊張感を持ちつつ、黙々と麺を取っては啜っていった。

 これほど殺伐とした酒場を経験したことのないアビアンは戸惑いながら、同様に麺をすすりつつ、3人の顔を順番に見ていった。

 わずか20分で食べ終えて一息つくと、直ちにお金を支払って店を出た。

 外は今季一番の雪が降っていたが、そんなことはお構いなしに、エレーシー、ティナ、フェルファトアの3人は別々の方向に歩いていった。アビアンはまた戸惑いつつ、とりあえずエレーシーについていくことにした。

「ど、どうしたの? エレーシー」

「……」

 エレーシーは、じっと前を見つめ、口角を上げるでもなければ下げるでもない、妙な顔をして早歩きで歩いていった。

「ね、ねえ。エレーシー……」

「……今日はね、西の関所の方に行くの」

「西の関所? なんでまた……」

「あまり大きい声じゃ言えないこと。まあ、目立たないようについてきて」

「わ、分かった……」


 エレーシーとアビアンは、15分程度歩き続けて市政府街へやってきた。

「ねえ、どこに行くの?」

「シィシィシィ、静かに。ほら、あそこにある大きな建物だよ」

「もう、この辺、そういう大きい建物ばっかりでわかんないじゃない」

「いいから。ほら、ほら。あそこ。あの窓のない建物」

「ああ、あれ」

「ほら、ただの通行人のふりして」

 二人は顔を伏せつつ大通りを西へ、西へと歩いていった。


 やがて、向こう側から闇に紛れて黒猫族の人がやってくるのが分かった。最初は少し戸惑ったが、近づくにつれてそれがティナだということに気がついた。いつからいたのか、その少し後ろをフェルファトアも歩いていたのが見え、やがて建物の奥の道へと消えていった。

 エレーシーとアビアンもそれに続いて角を曲がった。

 エレーシーは建物の正面にも側面にも、人がいないことを確かめながら歩いた。

 途端に広めの草地が目の前に現れた。

 どうやらこの建物の裏は空き地になっているようだった。空き地には、冬の間使わないのか一艘の小舟が裏返しにして置いてあった。

「エレーシー、エレーシー」

 歩き続けていると、建物の近くに置かれた小さな小屋の物陰から声がした。ティナの声だ。

「こっち、こっち」

 ふと視線を下に移すと、僅かな茂みの中に二つの影が丸まっているのが分かった。

 それを確認すると、すぐに二人と同じように身を丸めて茂みに潜んだ。

「やっと会えたわね」

「それはいいんだけど、これからどうする?」

「決まってるじゃない。中に入るんだよ」

「よし、私に任せて」

 そう言うと、ティナは懐から小さな針状の金属を取り出した。

「これは?」

「まあ、ただの金物よ。これを突っ込めば開けられるって、村の建具屋の子に聞いたの」

「へえ……」

 エレーシーが感心していると、ティナは辺りを見回して誰もいないことを確認し、さっと裏口の前へ移動した。

 ティナがドアに耳をつけながら鍵穴にその金属を差し込み、建具屋の娘に聞いたようにぐちゃぐちゃと突き回すと、突然鍵穴からカチッという金属音がした。

「よし、多分開いたわ」

 ティナが小さくドアを開けて中の様子を確認しながら入ると、残りの3人もドアの前に小走りで移動し、建物の中へと入った。

 中は屋外以上にしんとしており、物音は一つも聞こえなかった。中には窓の一つもなく、無限遠にも感じる闇が拡がっていた。

「エレーシー、ろうそくと点火器持ってきた?」

「うん」

 エレーシーは鞄の中から瓶に入った大型のろうそくを取り出すと、床に置き、点火器を擦って火をつけ、ろうそくに灯した。なんとも頼りない炎だが、それだけが唯一の頼りだった。

「何か地図みたいなの、無い?」

「なにもない」

 4人はとにかく、少なくともこの施設が何なのかを明らかにするために、僅かな光を頼りにしながら壁伝いに進み始めた。

「あ、見て。何か書いてある」

 エレーシーは、ドアに文字の書かれた木の板が掛けられているのに気がついた。見やすくなるようにろうそくを左右に揺らしながら読んでみた。

「なになに……文書保管室?」

「ここ、治安管理所の文書を保管してる建物なの?」

「えー? でも、それだけでこんなに大きな建物建てちゃうのかな?」

「さあ、天政府人はお金だけは持ってるから、おかしくはないわね」

「とにかく入ってみようよ」

 そう言ってエレーシーがドアを開け、残る3人はそれに続いた。

 中は意外に狭く、本棚に挟まれた僅かな通路を一列になって通らなければならなかった。

「この狭さだと、文書保管室だけじゃないわね。正面に回れば、他の部屋があるはずだわ」

 ティナは扉の先に一縷の望みを託して一歩一歩進んでいった。


 長い廊下のような部屋を抜けると、やや広めの部屋にたどり着いた。

 暗闇の中に薄っすらと浮かび上がった一筋の光を見て、4人はここが正面玄関だと推測した。そして、それは正解だったことにすぐに気付く事ができた。

 その僅かに漏れ出た光が、4人の目の前に4つの扉があることを示したからであった。

 そのうちの一つ、一番右端にあったのはエレーシー達が出てきた扉だった。

「さて、3つ扉があるわけだけど……どこから入りましょうか?」

「入る前にちょっと調べてみましょうよ」

 ティナはエレーシーからろうそくを受け取ると、扉の前に立ってはろうそくで円を描いて何か手掛かりはないかと調べ始めた。

「設備保管室か、違うわね。武器保管室……こういうところは在庫管理してそうだからちょっと考えものだわ。えーと、次は……」

 ティナは左端の扉に書いてある札を読み上げた。

「汎用倉庫?」

 そのいまいち捉えどころのない名前の部屋に、4人は一瞬戸惑った。

「汎用倉庫って、なんだかあやふやね」

「何に使うんだろう?」

「まあでも、このままいても仕方ないし、とりあえず入ってみましょうよ、ね」

 エレーシーはティナに勧められるままに汎用倉庫のドアを押し開けた。

 中に入ると、左右に棚が所狭しと置いてあった。しかし、そこに置かれているものは本もあれば紙束もあり、何に使うのか見当もつかない紐のようなものがぐるぐる巻きになって置いてあったりと、かなり雑多に使われているようだった。

「ここ、そんなに管理されてないのかしら?」

 棚のものをざっと見ていきながら歩いていくと、意外とあっさりと壁が見え始めた。

「え、もう行き止まり?」

 想像以上に小さすぎた部屋に絶望感を抱いた4人だった。

 しかし、それでも気の済むまで調べてみようと思い、壁まで歩いていき辺りを見渡した。


 「ほら、見て」

 壁の辺りを詳しく調べようとろうそくをそこかしこに近づけていると、棚の横にもう一つ扉があるのを見つけた。

「ほら、ここにまだ扉があったよ」

「本当?! 何か札は掛ってるかしら?」

 エレーシーは急かされるままに札の文字を読み上げた。

「えーと、廃棄金物処理所……」

「しょ、処理所……」

 フェルファトアは「処理所」と聞いて嫌な予感がした。フェルファトアの知っている処理所で思い出すのは、焼却処理のような「跡形もなくなってしまう方法」だったからだ。

 エレーシーの背中を押しながら部屋に入ると、そこはこれまでのような窮屈な空間とはうって変わって、非常に広大な空間が拡がっていた。実際は依然暗いままなのだが、足音の響き方から相当広いことがうかがえた。

「なるほど、ここがこの大きな建物のメインになるわけね」

「この音の響きよう、なんだか壁が薄そうだわ。これまで以上に慎重に行動しないと……」

エレーシーを先頭にひとまず前へ、前へと歩いてみると、エレーシーは見えない何かを蹴飛ばしてしまった。

「痛っ……!」

「エレーシー、大丈夫?」

「うーん……ちょっと、まだ痛いかな……」

 エレーシーは思わず屈み、足の先を掴んで痛みが和らぐのを待った。

 その途端、床に置いたろうそくの炎は、キラキラとした輝きを浮き出させていた。

「エレーシー、痛がってるところ悪いけど、この山は……」

 アビアンは、目の前にそびえる大きな山に思わず目を奪われ、指差しながらエレーシーの肩を叩いた。

「え?」

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