一〇 重版出来

「え? もっと刷ってほしい、ですか?」

「そう」

 フェルファトアは本を引き取りに印刷所を訪ねていたが、彼女にはもう一つ別の目的があった。

 それは、例の禁書を追加発注することであった。

「最近、数部とかの小口で来ますね」

「いやー、何でかな、合わないのよねえ」

「……私の責任ですか?」

フェルファトアは、印刷所の製造管理官の顔が一瞬曇ったのを見てはっとした。

「い、いや、そうじゃないのよ。私も受け取る時に確認してるし。きっと、学校の担当者が間違えたのよ。最近、いい加減だから……」

「そ、そうなんですか?」

「多かったり少なかったりはまあまああるし、別にあなたが気にすることではないわ」

「そうなんですかね……それはともかく、今日は何部ですか?」

「うーん……どれだけなら追加できる?」

 製造管理官のルティア・テル・エスネーネは、いつもの取引相手からの突然の相談に困り果ててしまった。聞きたいことは山程あったが、顔見知りの好であまり深掘りしてはいけないのではとつい尻込みしてしまった。

「そうですね……数部くらいなら紙の余りもありますし、刷るのも一人で何とかなりますが。何十部ともなると、時間もかかりますし、人手も必要ですし、紙もインクも特別に仕入れないといけなくなりますね……」

「そうか、確かにあの教科書は一人で何百冊も刷れないわね」

「元板(訳註:転写元の木版のこと)も彫り直さないといけなくなりますしね。それで、何冊要るんですか?」

 分かっていたことだが、改めて本作りの苦労を聞かされると、あまり多くの部数を言い出すのはためらわれた。本当は配るために数十冊は刷って欲しかったのだが。

「うーん、そうねえ、6冊……かな」

「6冊ですか。じゃあ、えーと、2日くらいお待ち下さいね」

 フェルファトアは分かったと軽く手を振って帰ろうとしたが、ルティアが呼びかけた。

「あ、追加発注証明書の申請をしますので、その教科書の引取証を見せてください。そうだ、それと、お代はどこに請求すればいいですか?」

「えーと、地上統括府の教育院につけといて」

ひとまずルティアから引取証と追加発注証明書を受け取ると、印刷所を後にした。


 とりあえずは切り抜けたが、フェルファトアはお代と聞くと固まってしまった。

 思えば、薄給のミュレスの民には、高級な天政府人向けの教科書6冊も支払うお金など持っているはずがなかった。ましてや、数十冊なんてもっての外だった。

 今はまだ教科書配達の季節なので、数冊ずつ注文するというのはごく普通のことではあった。(それにしても今年はよく来ると思われているような気はするが。)

 しかし、それでは効率が悪すぎる。行くなら一気呵成で行かなければ、気づかれ次第直ちに制圧されてしまう。

 ともかく、そのような意味でも、別の意味でも資金繰りを考えなくてはならない。フェルファトアは今になってこの現実と向き合わざるを得なかった。


 フェルファトアは一旦教育院に寄った後で、自分の部屋のベッドの中でこれからの作戦を立て直そうと自問自答していた。

 教育院の給与は一般的なミュレス人よりは多い。しかし、さすがに何十冊も買うお金はない。

 そもそも、後先考えずにそれだけのお金を使うと後々苦しくなりそうだし、お金の流れとしてあまりにも不自然すぎるのだ。

 フェルファトアは小一時間程考えに考えていたが、結局いい案が出ないまま眠りに落ちてしまっていた。


 次の日、考えを悟られないように作り笑顔をしながら教育院に登院すると、机の上に一枚の紙がおいてあった。

「書籍発注書?」

 紙には、ポルトリテにあるミュレス民族学校の名前と、「エル3-160」と書いてある。

「あ、ヴァルマリア。今日も印刷所に引き取りに行くんだろ? それなら、その発注書を届けてくれないか?」

 天政府人の役人が後ろから忍び寄り、机の上に置いてあった発注書を取り上げると、ざっと見てフェルファトアの胸元に突きつけた。

「あ、はい。分かりました……」

 フェルファトアはそそくさと机の上に積まれた引取証を束ねると、発注書と一緒に肩掛け鞄に詰め込んで教育院を出発した。

 フェルファトアには誰に発注書を渡せばいいのか分からなかったが、とりあえずルティアに聞くことにした。

「ねえ、ルティア。今日、これ渡すように言われたんだけど」

「ああ、発注書ですか。私がいただきますよ」

 ルティアはすんなり受け取ってくれた。

「でも、珍しいですね。発注管理の子は休みなんですか?」

「いやあ、私達には休みなんて殆ど無いはずなんだけど」

「まあ、私は何でもいいんですけど……160冊ですね」

 フェルファトアは、この際とばかりに気になるところを聞くことにした。

「この『エル3-160』って何?」

「エル3は、本の名前を暗号化したものですよ。私達は『版束符号』とも言ってますが。この『エル3』が何の本の版束か分からないですけど、160は『160冊』の意味ですね」

「でもその『エル3』の本の内容は自分で刷ってればわかるんでしょう?」

「取り出せば分かりますよ。内容について口外はできないのでお教えしませんけど」

「なるほどねー。ちなみに、これってどこに請求行くの?」

「これは、ここのサインを書いた人に行きます」

「え? 何でもかんでも教育院に行くわけじゃないの?」

「この発注書は、私達、印刷所が配ってるものなので。まあそこからどう払うかは知りませんけど」

 フェルファトアはしばらく顔に手を当てて伏し目がちに考え、ルティアを指さした。

「あ、そうだ。発注書を10枚程くれないかしら」

「え? フェルフが?」

「そうじゃなくて、私の所の役人に頼まれたのを思い出したの」

「……なるほど。まあ、いいでしょう」

 ルティアはあまり納得した様子ではないが、だからといって渡さない訳にもいかないので、タンスを開けて紙の束を解き、10枚をフェルファトアに手渡した。

「ありがとうね。あ、そうそう。それで、これが本題」

 そう言うと、フェルファトアはいつもどおり引取証を渡した。ルティアから山のような本を受け取ると、急いで海辺の町ヴェルデネリアに向かった。


 ヴェルデネリアの宿屋の一室で、海を見ながら白紙の発注書を眺めていた。

 これが、これから起こさんとする反乱に使えないだろうか。思想の拡大に使えるのではないか。

 ついにここ数日間考え続けていた問題の答えを導き出そうとしていた。

 それは、偽の発注書を作ることだった。

 フェルファトアは、最近は一年に5~6校ほどの天政府人学校が新たに開校している事を前から気にしていた。ましてや、この新たな教科書を印刷、配達する時期である。どこかで混乱が生じて「作りすぎ」が印刷所で発生してしまった場面をフェルファトアはまま目にしていた。だから、一校分くらいは追加発注があっても紛れるのではないかと。

 印刷作業員には申し訳なく思いつつも、フェルファトアは筆を走らせた。

 最初は慎重に行動しようと考えていたフェルファトアであったが、それにも無理があることは薄々気づいていた。どうせやるなら、一気にやらなければならない。既に走り出してしまっている以上、後戻りはできないのだ。

 教科書のお代については、すでに覚悟はできていた。全てを天政府教育院に請求しよう。問題になる前に教育院を脱してしまおう。もしこの謀略が成功したら、天政府に払ってもらおう。

 教育院長のサインを引取証に書かれたものを見ながら書き写した後、一つの壁が立ちはだかっていた事に気づいた。

 その本の「暗号」を知らなかったのである。

 フェルファトアはどうしようかと頭を捻らせること数刻、ふといい考えが思いついた。

 製造管理官のルティアがその暗号を見ながら製造管理をしているなら、自分が引き取りに行くときも、その「暗号」を見ながらやり取りしているに違いないと考えたのだ。

 改めて自分の持っている引取済みの引取証の束をまじまじと見ていると、先日追加で注文した6冊の追加発注証明書には、「イエテ18-6」と書いてあった。6は6冊の意味だろうから、おそらくあの本の「暗号」が「イエテ18」なのだろう。フェルファトアは貰った発注書に「イエテ18-120」と書き、最後に教育院長のサインを追加発注証明書を見ながら真似て書き記した。

 ふと発注書の上の方に目をやると、使用場所と書いてあることに気づいた。引取証では学校名が書いてあるので、おそらく「配達先」の事だろうが、ここであまり変なことを書くと不自然だし、実在する学校名を書いて何らかの連絡が行ってしまうと教科書を引取るより前に計画がバレてしまう可能性もあった。

 考え倦ねた結果、ありそうでない学校名をでっち上げることにした。書いた紙を懐きながら、明日教育院に帰ったらまっさきに印刷所へ寄ろうと、笑みを浮かべながら用心しながら眠るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る