第22話 混乱



「ダメーーーーー」


 結衣を抱えて保健室に向かおうとしたところ、背を向けていた教室の方から大きな声が聞こえた。


 振り返ると、そこには教室の前の廊下にいた大也が、両手で耳をふさぐ形でしゃがみ込んでいた。


 その視線の先には美咲と結美がいて、結美は大也の大声に驚いたのか、両肩を上げたまま固まっており、美咲はそんな大也を先程とはまるで別人のように、呆けたように見ていた。


 下駄箱の違う通路にいた杉田と波多野がその声に気づいて廊下に出てきた。その時2人は声の主を探すように、まず顔を向こうに向けていた。


「杉田先生!お願いします」


 沙絵は向こうを向く杉田たちに聞こえるよう、大きな声でそう言うと、その声に気づいた杉田がこちらを向き、私が抱えている結衣に視線を移すと意図を察したようで、急ぎ足で来ると、沙絵の手から結衣の荷物を自分の腕にかけ、結衣を抱えてくれた。


「お腹が痛いようです。保健室へ」


そう杉田に声をかけ、沙絵は一目散に教室の前にいる子どもたちのところへと向かった。


 そこではひと足先にそこに向かった波多野が、「どうしたの?」と、結美の肩を包むように摩りながら、その3人を代わる代わる見ながら声をかけていた。


「はいはい、みんなは教室に入ってて」


 その声を聞きつけたクラスの子や隣のクラスからも子供たちが顔を覗かせて、教室から出てきた子たちもおり、収拾がつかなくなる前にと声をかけ、登校してきた子たちにも、教室に入るよう促していた。


 波多野が結美の肩を摩りながら美咲の近くにいたので、沙絵はしゃがみこんでいる大也のところに行くと、同じようにしゃがんで、大也に「大也さん、どうしたの?」と声をかけた。


「せ、せんせ、あ、あ、あ……」そこまで言うと、はっはっはっと、息が荒くなり過呼吸と思われる症状が出てきた。


「大也さん、先生の顔を見て」


 大也の目の前に、人差し指を立てて見せ、その指に大也の目が留まると指を沙絵の目の前に持ってくると、大也の目が沙絵の目を捉えたので、沙絵は自分の口を尖らせて、それを指さして見せ、


「ゆっくり、ふーーーするよ。先生と同じ口して、一緒に、ふーーーーー」


 大也の背中を摩りながら、一緒に声を出しながら、息をゆっくり吐かせて、次にゆっくり吸わせてを3~4回繰り返すとだいぶ落ち着いてきたので、


「波多野先生、大也さんを保健室にお願いできますか?」


そう波多野に言い大也を託すと、波多野と代わって、その過程を目にし、更に固まってしまった結美と、変わらず焦点が合わずぼんやりしている美咲の間に行くと、沙絵は2人の肩を抱いた。


 結美の肩を摩りながら、


「結美さん、美咲さん、ビックリしちゃったね、大丈夫だからね」


 そう声をかけた沙絵の腕をすり抜けた美咲が一歩離れると、沙絵を見た。


 その目は、先ほどまでの焦点が合わないぼんやりとしたっものとは違い、下駄箱で見たのと同じで、とても冷たく光って見え、ぞわっと背筋が感じて身体中に鳥肌が立った。


「美咲さ……」


 そう声をかけようとした沙絵の声に被せるように、


「結美ちゃん、いこ」


 そう言って結美の手を取り、沙絵のほうを見ようとした結美を引っ張るようにして教室に入って行った。その動作の最中に、一瞬こちらを見ようとした結美の目が何か言いたげで、なんだか切なくなった。


 沙絵は結衣と大也も気になり保健室に行こうとしたが時間が気になり時計を見ると、朝の会までまだ10分ほどあった。


 下駄箱を出てから今まで、とても長く感じていたが、ほんの10分ほどの間の出来事だったのだ。


 教室を覗くと、みな何事もなかったように各々ランドセルから教科書を出したりそれを片づけたり、それらが終わった子たちはお喋りやじゃれ合いをしたり、まだ登校して教室に入ってくる子もいた。


 特に変わった様子もないことを確認すると、保健室に向かおうと前のドアから出ると、そこに優太がいた。


「優太さん、どうかした?」


 務めて普段と変わりなく声をかけると、


「せんせい、大也は?大也、どうしたの?」


「大也さんはね、ちょっと具合が悪くなってね、保健室に行ってるよ。先生が今から保健室に行ってくるから、優太さんは教室で待っててね」


 優太はその言葉に不安そうに「うん」と頷くと、教室に入って行った。


 沙絵は急いで保健室に向かうと、ちょうど杉田が保健室から出てくるところで沙絵に気づくと、


「あ、友井先生、2人とも大丈夫よ。そう心配はいらない。波多野先生も自分のクラスの子たちが心配で教室に行ってるわ」


 1年主任の波多野は、先程の騒ぎで他の1年のクラスが騒いでいないか気になったのだろう。その前を自分は通ったのに、教室にいたのに、それに気付かなかった。


 平常を装っていたけれど、やはり慌てていたんだなと、こういうときこそ落ち着かないといけないのにと、波多野も自分のクラスが気になるのに、大也を預けてしまった自分の勝手さに、申し訳なく思った。


「すみません、お手数かけました。杉田先生も忙しいのにすみません。すみませんついでに、今日の帰りにでもまたお話いいですか?」


 今日の出来事をじっくり話せる相手は杉田しかいないという気持ちと、先日杉田と話したことで落ち着けたこともあり、話を聞いてもらおうと声をかけた。


「いいわよ。それより早く行動したほうがいいわ。もう時間が……」


「はい」


 そう言うと、沙絵は保健室に入り「友井です。失礼します」と声をかけ、手前のカーテンを開けた。


 そこには大也がいた。


 すでに落ち着いていたようで、大人しく布団の中にいた。


 沙絵の声に気づいた養護の大野が反対側のカーテンを開け入ってくると、


「2人とも大丈夫よ。大也さんは慌てて話そうとして息を吸うタイミングと出そうとする言葉のタイミングがおかしな具合になったんじゃないかなと思う。ここにきた時はもう落ち着いていたわ。結衣さんは……」


 そこまで言うと、大野は「外へ」とでもいうように顔をしゃくるような仕草をしたので、カーテンの外へ出ると、自分の顔を沙絵の顔に近づけ、


「今朝、家でゆっくりとトイレに行ってる時間がなかっただけよ」


 と、小声で言った。


「ふぅーーーーーー。よかった」


 思い切り深い溜息が出てしまった。


「どうしましょう?2人とも教室に戻っても大丈夫そうですね?」


「そうね、大丈夫だと思うけど、大也さんのほうは1時間ほどここで休んでもらって、ちょっと様子を見ているわ。どうする?お母さんに連絡入れておこうか?」


「そうですね、私、もう行かなきゃならないので、お願いできますか?……あの、何の問題もないというのが伝わるようにお願いできますか?大也さんのお母さん、すごく心配性なので、また飛んできてしまうかもしれないので……」


「はいはい、大丈夫よ。私はそういうの慣れてるから」


 いつもなら朝の会のほうを誰かにお願いするのだが、今日は美咲と結美が気になるので、教室の方へ行くことを優先した。


「じゃあ、1時間目が終わったら迎えに来ます。ちょっと大也さんと話したいので」


「わかりました」


「大也さん、1時間だけ大人しくしていてね」


 再びカーテンを開けると大也にそう声をかけ、大也が頷いたことを確認すると、


「結衣さん、開けるね」と声をかけ、その向こうのカーテンを開けると、既にランドセルを背負い手提げを持って結衣は立っていた。


「もう大丈夫かな?」と声をかけると結衣が頷いたので、「じゃあ行こうか」と、カーテンから出ると、大野がいたので、結衣の肩を抱き大野先生に「ありがとうございました」と、結衣にお辞儀をするように促し、一緒にお礼を言って教室に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る