第20話 鏡
「せんせ、ふわふわさんがおこっているみたいだよ。ふわふわさん、まぶしいのきらいだから、せんせ、かがみもってて」
「ん?ふわふわさん怒ってるの?鏡を持ってるといいの?」
「うん、かがみがいいよ。おかあさんがおけしょうのとき見るかがみ」
給食が終わって、外に遊びに出る子たちや、教室で数人であつまって好きなことをやり始める子たちがいる中、机にいる沙絵のもとへやってきた大也が、そう言ってきた。それは杉田と図書室で話したあの日以来、想像していたよりずっと静かに数日が過ぎていた日のことだった。
盛り塩のことも、自分が気にしさえしなければと思い過ごしていると、気にならなくなってきていた。誰が作ったのか、誰が壊したのか、そういったことが少しずつ分かってきたことが安心となっていたようだ。
不安だった美咲の友達関係は、熱を出して休んでいた結衣が3日ぶりに登校してきたとき、結衣がいない間に美咲とばかり一緒にいた結美が、その日、結衣より先に美咲の元へ行ったことで、結美に執着する気が失せたのか、元々誰にでも声をかけ打ち解けていくことが自然にできる結衣は、すぐ別の子たちと仲よくなっていた。
少し目線を変えるだけで、霧が晴れたようにいろんなことが上手く行くものかもしれないなと、その時の沙絵は浮かれ気分でそれぞれの昼休みを過ごす子供たちを見守っていた。
そんな時、大也がまたふわふわさんの話をしてきたのだった。
そうだ、全てはここから始まったのだった。
沙絵は何かで読んだことのある本のタイトルのような言葉を思い浮かべ、「こいつめ、またそれか」と心の中で毒づきながらも、それを笑顔で返す余裕さえあったのだった。
それにしても、ふわふわさんが怒っているとは、大也にはどんなふうにそれが見えているんだろう?
何事も起こらなければいいな。
と、そんなふうに考えてしまうと、また元の不安ループの中に入り込んでしまいそうだ。
「いけないいけない」
沙絵は首を横に振りながら、自分を
両親の寝室には、大きな桐のタンスが3つ並んでいて、その真ん中の開き戸のタンスの中には一番下に小さな引き出しが3つあり、その右端の引き出しの中にそれは入っていた。
滅多にアクセサリーなど身につけない母も、結婚式や葬儀に参列するときは、その引き出しを開けて、真珠のネックレスやダイヤのついた婚約指輪を取り出すところを目にした小学生だった私は、その引き出しの中が見たくて、母がそこを開けるたびに見せてもらったのだった。
そこには、父からもらったダイヤの婚約指輪や2人ともしないで仕舞われたままの結婚指輪、これまた父からの金のネックレスや、母が若い頃に祖母からもらったアクセサリーなどが、それぞれ小さな小箱や長箱に入って仕舞われていた。
その中の一つに、その懐中時計は入っていた。
それは両親が新婚旅行でスイスに行った際に、父が母に買ってやったものなんだそうだ。
スイスといえば時計といわれるほど、有名な時計メーカーが揃っており、せっかくスイスにきたのだからと、一つ母に買ってプレゼントしてくれたんだと言っていた。
当時の母は、祖父母から成人のときにプレゼントされた腕時計があり、腕にはめるのはそれがあるからと、ずっと憧れていたペンダントになる懐中時計を選んだとのことだった。
それは直径3.5cmほどで、細かな花柄の細工がされた蓋付きのもので、普通にペンダントとしてつけていても、何の違和感もないような作りになっていた。
そしてその裏側は鏡になっているのだった。
「いずれはあなたのものになるわよ」
その綺麗なつくりで、中が時計になっているペンダントは、いつでもいつまでも見ていて飽きなくて、素敵だなと、沙絵は行ったことがないスイスのその場所で懐中時計を選んでいる両親を思い浮かべては、その蓋を開けては時間を確かめ、閉め、また開けてと、そんなことをその引き出しを開けるたびにしていた沙絵に、母はそう言ったのだった。
大也に鏡を持っていた方がいいと言われ、沙絵はすぐそのペンダントが思い浮かんだ。
あれをしばらく借りて首から下げていよう。と、すっかり大也の言うことを信じている自分に思わず笑みがこぼれた。
あのペンダントをしていよう。それで大也が安心してくれるなら、そうしてやるのも先生としての沙絵の役目だ。
沙絵は大也が気を失った時のことを思いだして、そんなことを考えていると、昼休みを終える5分前の予鈴チャイムが鳴り、いつの間にか大也の姿も教室にはなく、随分と長いこと昔のことを思い出していた沙絵は、慌てて職員室に向かった。
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