16-2

~16-2~


 その夜の食卓で鎌をかけてみようと思った事に此れと言った事由は思い当たらない。単に会話の種が尽きただけなのだろうと思う。


 「相変わらずのお手前ですね」

 差し向けられたシチューの牛肉を噛み締め、嚥下した自分は右隣のあの人に身体を擦り寄せ称賛を述べる。何時にともなく二人の間に定められた満腹を示す合図だった。


 「気に入って貰えて何よりだ」

 笑みを浮かべるあの人は自分の前にミネラルウォーターの入ったグラスを置くと残った自身の食事を済ませるべくテーブルに向き直った。


 「…食事の作法が整っていらっしゃるのは僕の為ですか?それともお育ちの良さ?」

 そう、自分に食事を与える時を別にしてこの人の所作は其れなりのマナーに則った動作に終始している様だった。年齢を思えば当然に身に付いていてもおかしくはないのだけれど、何故か普段の佇まいとちぐはぐな感覚が否めなかった。


 「育ち生い立ちと言えば平凡より劣るだろうが、これは恐らく教育の賜物だろうな」

 一頻り料理を平らげたあの人はナプキンで口を拭いつつ答える。


 「教育、ですか」

 自分とは関わりの薄い単語を無感動に繰り返す。話に続きが有るのだろう事を口振りから察していた。


 「若い時分の話をしたな」

 「えぇ、覚えていますよロティシエール」

 からかうように呼ぶと不満そうな溜息で返す。大の男に使う表現でもないのだろうけれど、酷く可愛らしい。


 「勤め先の女主人は組合員の情婦でな、時には其れなりに格式の高い店に連れられて食事もしたらしい」

 「その方に指導を受けた、と」

 笑顔で頷くあの人。ただ、少し切なげにも思える笑顔だった。


 「…少し踏み入った質問をしても?」

 聞く権利は、有ると思う。


 「構わないが、珍しいな」

 俺の昔話に興味が有ったのか、と言わんばかりに虚を突かれた様な表情を浮かべている。穿った見方をすれば、少し空惚けてもいるような。


 「…此れを持つようになったのは、何時から?」

 あの人の身体に寄せる側頭部が体温を感じる妨げになっている鉄塊を指している事には直ぐ気付いたらしい。あぁ、と一言漏らして暫し考え込むように視線を自分から外した。慎重に言葉を選んでいるのだろう事は解ったので、答えを急かそうとは思わなかった。

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