3-7
~3-7~
この夜のその後は幾度遡ってみても記憶が無い。一つ言えることは、書斎の仕掛け扉に隠した官能小説はその後場所を移したと言う事ぐらいだ。何処で覚えた物なのか、彼の放つ扇情的な誘い文句には毎度舌を巻く。
停留所の名称を告げる車掌の声に思考が妨げられた事も思い出せなかった一因なのだろう。片手を上げ降車の意思を示し座席から立ち上がる。路面電車が止まると同時に車掌に運賃を手渡した私は足早に降車しプラットホームから自宅への帰路へと足を向けた。
舗装された大通りの車道から其れより一回り細い煉瓦敷きの路地に入る。屋敷はこの道の突き当りに位置し、宛らその通りの主人であるかの様に遠目にも威容を放っていた。通り沿いには幾等かの雑貨商店と拙宅と同規模の邸宅が点在しており、その合間からは片や繁華街、片や町外れの住宅街に抜ける事が出来る。所謂高級住宅街と言った風情である。
この近辺は住民の少なさもあって人通りが極端に少なくなる。近隣住民と交誼も持っていない為通り過ぎる家屋が空き家なのではないかと疑う程である。それだけに追跡者の類は容易に発見出来てしまうので、その点については有用な道路であるとも言える。
路地を半ばほど過ぎた辺りで身体ごと背後を振り返る。ホルスターには未だ手を掛けていない。白昼(もう日は西方に傾いているが)堂々仕掛けられる事は無いだろうと言う楽観もあったが、何より相手が意図的に気付かれようと振る舞っている事を足音から察したからだった。
「あぁ、やっぱり気付きます?」
飄々とした態度で悪びれずに己の行いを白状した追跡者は見知った顔だった。
「皮肉な事に転職してからの方が背後の物音には敏感でな」
相手の調子に合わせるようにおどけた態度で肩を竦めながら答える。畏まった挨拶が必要な仲と言う訳でもない。
追跡者の正体は酒場の店主が個人的に雇っている小間使いだった。彼は仕入れた商品や店主からの細々とした言伝等を顧客に届ける役目を負っており、それらの仕事が無い時は店先に立ってバーテン見習いの様な事も行っている。
「店長が店に来て欲しいんですって、頼まれてたターキーが入荷したとかで」
小間使いは簡潔に用件だけを述べた。意訳すれば「調べていた件について情報が入った」と言う事らしい。
「あぁ、待ってたんだ。分かった、今夜にでも飲みに行くよ」
じゃあお待ちしてますと人懐っこい笑みで答えた未だ少年の面影が残る小間使いは元来た道を小走りに駆けて行った。それにしてもターキーの
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