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~1-7~


 老紳士を玄関まで見送った私は書斎の扉の前に居た。考えるべき今後の生活、片付けるべき散らかったままの寝室、未だ見つからない室内履き。其れ等の懸案事項を脇に追い遣ってでも解決すべき喫緊の案件を思い出した為である。持って回った言い方をしたが、要は同居人のご機嫌取りの為に此処に居る。


 平時から生意気な態度や言動が目立つ彼だが、情事に際しては淡白と言うよりも寧ろより深く、より長くと求めるきらいがある。その為自分が満足往くまでは些事であっても水を差されれば機嫌を損ね、酷い時には人目も憚らず泣き喚いた。境遇を考えれば精神が安定を欠くのは必然と考えてはいたが、普段は陰すら見せないその琴線が房事の濃淡に有ると知った時には少なからず驚愕したものである。幸いにして今回は大きな動揺も見せず、私の差し出す朝食を黙々と食してはいたものの、過去の事例を思えば蟠りの解消は早々に行っておいて損は無い。


 尤もそう言った事情を抜きにしても、先程の顛末は私としても申し訳なく、また私自身不完全燃焼の感が否めなかったためにこうして諸々の片付け事を後回しにして彼に阿るべく書斎の前に立っている。本音を言えば、先程の老紳士との会話で少なからず心がささくれてしまった私の方が彼を求めているのかも知れないとも思った。


 「すっかり共依存か」

 曾て一心不乱に街の掃除に勤しんでいた自分の姿を思い出し独り言ちながら書斎の扉を三度ノックする。


 「どうぞ」

 無感動な返事ではあったが怒気や哀愁を孕んではいないことに安堵しつつ室内に足を踏み入れた。



 独り暮らしのアパルトマン程の広さの書斎。両側の壁には据え付けの書架が並びそこに置かれた蔵書からは古書と新書の入り乱れた紙とインクの独特な匂いが立ち上る。奥の壁の比較的高い位置に据えられた小ぢんまりとした出窓からは朝の朧気な陽光が差し込み室内を柔らかな光で満たしている。出窓の下、つまりは書斎の最奥の隅に置かれた読書用の机は彼の操る車椅子の高さに合わせ誂えた物であり、彼は私に背を向ける形でその机に向い読書に勤しんでいた。

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