満開の桜とおめでとう

天鳥そら

第1話桜の木の兄弟

都内にある私立の大学病院の中庭で、僕は一人桜の木の下に座っていた。昼間はあたたかいものの、ほんの少し太陽が傾けば肌寒い風が頬をなでる。読んでいた本をぱたりと閉じると立ち上がり、満開を迎える前の桜の木に微笑んだ。


「僕、明日には退院なんだ。本当は満開になった君の姿を見たかったんだけど」


残念そうな声に答えるように、桜の木の枝が風で揺れる。はらりと落ちた花びらが少年をなだめるように頬をかすめた。


「手術も無事に終わったし、予定より早く良くなったんだ」


僕の病気は重くはないものの、これからも油断はできない。経過をみるために、これから長く病院に通わなければならなかった。八分咲きの桜の木を見て、ため息をつくと上着のチャックを首までしめて、病室へと向かう。敷地内であれば外へ出ても良いと許可されているが、あまり長く戻らないと心配されてしまう。自分がもう少し大人であれば、あれこれ言われずにすんだだろうかと考えたけど、いい大人が看護師さんや先生にガンガン言われている姿を思い浮かべて笑った。


「同室の竹原さんだって、脱走の名人だものな」


自分より一つ年上の少年は、小さい頃から病院に通い、何度か入退院を繰り返しているせいか病医院内の構造に詳しく、看護師さんの監視をすり抜けて色んな場所に出入りしている。自分は許可なく病室を抜け出したことはないけど、自由奔放にふるまう竹原さんが羨ましかった。


病室に帰り食事・入浴をすませる。規則正しい病院での就寝は9時だった。同室の竹原さんとの二人部屋。最初はお互い心地なかったけれど、お互い話相手ができて助かった。入院って思ったより辛い。学校や友達との語らい、そういった日常から切り離されてしまっている。テレビだって自分の好きな時に好きな番組を見られるわけじゃないから、あっという間に世間から置いてかれて浦島太郎になってしまいそうだった。


僕は比較的大人の言うことを聞く、手のかからない患者だと思う。それは入院の期間が短いせいかも。長く入院生活を送っている患者さんは、それぞれ自分が過ごしやすいようにペースをつくっていた。看護師さんや先生も、ある程度目を瞑ってくれてる。そりゃ、ストレスもたまるよね。


明日でこの病院ともおさらばだと思うと、妙な心地がした。いつまでもここにいるような錯覚に陥ったこともある。もしかしたら、僕はもう死んでるのかもって心細くなったりもした。


「なあ、一緒に外に出ない?」


隣のベッドから竹原さんのささやく声が聞こえる。僕は口パクで行かないよと思い切り断った。何かやらかして体を悪くしたり、退院が長引くようになれば親にも迷惑がかかるんだ。僕だっていやだし。でも、はっきりと言うことはできなかった。竹原さんは入院期間が長い。こんなことを言えば辛くなるだろう。


竹原さんは布団の中でもぞもぞ動くと、ぱっと掛け布団を取り払った。外に行くための準備がすっかり整ってる。


「明日、退院しちゃうんだろ?今夜、桜見物でもどうかなって」


「桜……」


満開に届かない桜の木を思い浮かべる。看護師さんや先生、竹原さんは僕が桜の木を気に入っているのを知っている。満開の桜はそれはそれはキレイだと何度も聞かされていた。


「でも、夜中に抜け出すのは良くないよ。竹原さんだって、体悪くするかも」


「いいじゃんか。夜の桜、見たくないの?」


「見たい……けど」


僕の心がぶらんこが揺れるみたいに揺れる。怒られたらいやだ。体調を悪くしたらいやだという気持ちと、夜の桜を見てみたいという気持ちと。何度も振り子のように揺れてから、僕は着替えを始めた。


「お!行く気になったか?」


「ちょっとだけだよ。すぐに戻るからね」


夜は昼間よりもぐっと冷える。これでもかっていうぐらい服を着こんで、こっそり病院を抜け出した。


竹原さんはどうしてこんな場所を知っているんだろう。看護師さんや他の患者さんの視線をかいくぐり、すいすいと病院内の階段や廊下を歩いて行く。頭も良いからもっと体が丈夫だったら、スパイになれたかもしれない。それに比べて僕は鈍くさい。看護師さんに見つかりそうになったことが何度もあった。


まだまだ活気のある病院から離れ、花壇と植木の合間を縫うように進んでいくと駐車場がある。駐車場の暗い場所を選んで走り、昼間より遠回りをして桜の木が立つ芝生にやってきた。


僕と竹原さんの前に立つ大きな桜の木。花弁がこぼれてくるのを眺めながら、木のまわりをぐるりと回る。幹の近くに立って桜の枝を見上げると目眩がしそうだった。


「僕、夜の桜を見たの、初めてだよ」


「俺は何度か見に来たことがあるよ。キレイだろ」


鼻の下をこすって嬉しそうに笑う。風が吹いて枝が揺れる。やっぱり満開の桜を見たかったな。薄くて淡いピンクというよりは、白く光ってるみたいだった。ちらちらと夜の空の上で揺れている。僕は桜の木にもたれかかって、目を閉じた。木は動かないししゃべらないけれど、幹や根や葉っぱの中で目まぐるしく動いている。いつまでそうしていただろう。そろそろ戻らないとと思って、竹原さんの方に顔を向ける。


竹原さんは目を閉じて眠っているみたいだった。桜見物を楽しんでるところ悪いけど、そろそろ戻らないとマズイ。時間になると看護師さんが見回りに来る。できるなら抜け出したことをバレたくなかった。


「竹原さん、そろそろ戻ろう。竹原さん」


竹原さんの身体をゆすっても、竹原さんはぴくりとも動かなかった。僕は驚いて強くゆする。僕の全身がぶるぶる震えはじめた。おそるおそる口元に手をあてる。それから心臓の音を聞こうとした。


「その童は、死んでおる」


驚いて顔をあげると、自分よりも小さな女の子が微笑んでいた。頭の上で髪の毛をお団子にして、着物は赤い七五三で見るような着物だった。ちゃんと足袋と下駄を履いてる。僕は信じられなくて叫んだ。


「し、死んでないよ!竹原さんは死んでない!ちょっと眠ってるだけだよ」


「ちょっと眠る、それを人は死ぬと言うのではないのかの」


まるで、おじいさんみたいなしゃべり方だ。でもひどいことを言う。竹原さんは確かに病を患っているけど、死んでなんかいない。死んだりしないように精一杯闘っているんだ。


「竹原さん、竹原さん。早く起きて一緒に戻ろう。看護師さんや先生に、怒られちゃう」


パニックになりながら強くゆすると、竹原さんはかくりと傾いで、びっくりするくらい静かに倒れた。花弁がはらりと落ちて、竹原さんの死を歓迎しているようだ。


「竹原さん!竹原さん!早く先生を呼びにいかないと。慌てる僕の前に女の子が立ちはだかる」


「邪魔をするでない」


「邪魔なのは君の方だろ!」


ムッとして僕は言い返す。女の子を避けて行こうとするのに、まるで瞬間移動するみたいに僕の前に立ちはだかる。


「やめて。このままじゃ竹原さん、本当に死んじゃうじゃないか」


「なぜ死んではならん。この童は、このまま桜の木の下で眠ることを望んでおるのに」


それってどういうことだろう。このままがいいって、それって。


「死にたいってこと?」


僕の肩から力が抜け落ちる。気づいたらがっくりと膝をついて座り込んでいた。


「そなたも、思ったことはないか?これ以上、辛い治療が続くなら楽になりたいと」


「僕は……」


このまま、この病院で死を迎えるのではないかと思ったことがある。竹原さんの方を振り返って、穴が空くほど見つめた。無言で見つめていると、女の子は僕のわきを歩き、竹原さんのそばに座り込む。黒髪に白い肌。黒々とした瞳は愛嬌のあるかわいい顔だった。整った顔立ちではあるものの、怖い雰囲気ではない。女の子は竹原さんの耳元で何かをささやく。情けないことに、僕は話すことも動くこともできなかった。


女の子は僕の方を振り返って、ちょっと驚いたような顔をした。くすくすと笑うと、僕の方へ手招きをする。


「少し驚かしすぎたかの。こっちへ」


僕はふらふらと歩いて竹原さんのそばに座り込む、女の子のそばにしゃがんだ。


「これを」


女の子が指さす方を見ると、竹原さんの胸の真ん中に淡く光る金色の玉が見えた。そこに桜の花びらがふわりと落ちて、淡く光り、光が金色の玉に吸い込まれていった。


「この童と桜の木は昔兄弟であったことがあっての。少しでも元気でいられるよう力を分けておるのじゃ」


「竹原さん、死んでない?」


「細く長くだけど、長生きするの」


「そ、そう」


安心している僕の鼻を女の子が人差し指でつんとつつく。


「そなたも大丈夫じゃ。無理しなければ運動もできる」


ぱちぱちとまばたきをする僕に、ではのと笑う。風がびゅっと吹いて気づいたら女の子の姿は消えていた。ぽかんとする僕の頭から、桜の花びらが舞い落ちる桜の木から下がって見てみると、満開の桜の木が大きく枝を広げてた。


(退院おめでとう。がんばれ)


大きなお祝いと励ましをもらったような気がして、僕はそでで目をこする。うっかりすると涙がこぼれ落ちそうだった。



その後起きた竹原さんとあわてて病室に戻ったら、看護師さんが巡回に来るほんの十分前だった。竹原さんが眠っていた時にあったことを話すと、なんだそれ。夢見てたんだよ。夢と言って散々笑ってからかわれた。とうとう静かにしなさいって、怒られるぐらい。


でも、僕は信じてる。あの年より臭い喋り方をする女の子は桜の精霊なんだって。桜の精霊は竹原さんと兄弟で、いつも竹原さんを励ましてるんだって。


僕が退院する少し前、竹原さんも退院が決まった。お互いにおめでとうと言い合って、今度一緒に遊ぼうって約束した。


帰り際に遠くから見かけた桜の木があまりに綺麗で、うっかり涙をこぼしてしまった。






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