祝福へのこたえ

しゅりぐるま

祝福へのこたえ

 「言わなきゃいけないことがある」春子にそう言わせたのは秋彦の真っ直ぐな想いだ。彼を他の誰かに傷つけさせるわけにはいかない。自分で彼を傷つけるべきなのだ。


 直接会う勇気もなく、電話も気が引けた春子は、ダメだなと思いながらも二人の秘密のメッセンジャーアプリで連絡をした。「聞きたくないけど、聞かなきゃいけないことなんだろうな」秋彦の返事に目が潤んだ。この他人の微妙な機微に気がつく優しい人を今から傷つけるのだ。春子は逃げ出したくなった。「私、結婚するの」作った一文をながめ、ため息をついてから送信した。


 「びっくりした」それが秋彦の一言目だった。そして二言目に「おめでとう」ときた。ありがとうと答えるべきなのか、春子は戸惑った。目に溜まっていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。

 春子は結婚を隠していたこと、二股だったことへの弁明は一切しなかった。しないことがせめてもの償いだと感じた。ただ、誰でもよかったわけじゃない、その気持だけは伝えたくて文字にすると、秋彦は「わかってるよ、そんなこと」と言ってのけた。春子は嘘はつけそうにない。大事なことは特に。というのが秋彦からの言葉だった。


 式の準備も兼ねてとその前から同棲を始めた春子は、結婚に対してさらに悲観的になっていた。前々から、結婚相手の夏男といるとつまらないと感じていた。二人のデートは大概、一人暮らしの夏男の家に泊まることだったのだが、春子はいつも早く帰りたくて仕方がなかった。だがそれは、春子のものがそこにないからだと思っていた。読みかけの本がここにあれば、好きなDVDがここにあれば、自分のパソコンがここにあれば、きっと夏男との時間も楽しく過ごせる。そう思っていたが、それは大きな間違いだった。

 夏男との会話がつまらないのだ。文化的な趣味を持たない夏男との会話は、いつも夏男の質問に答える形で終わった。広がらない夏男との会話に春子は辟易していた。そして秋彦への思いは一層強くなったが、現状を変える勇気もなく、ただ秋彦との逢瀬を重ねていた。秋彦は何も言わずにそんな春子を受け入れてくれた。


 めかし込んだ自分が鏡に写っていた。とうとう何も変わらないまま結婚式を迎えてしまった。厚塗りの化粧でごまかされているが、式の数日前に大きなニキビが顔の真ん中に3つもできていた。こんなこと、今までになかった。夏男との生活のストレスが春子の肌に現れたとしか考えられなかった。秋彦がさらいに来てはくれないだろうかと春子は考えた。だが、秋彦には場所も教えていない。来るわけがない。結局、打算的で強かにしか生きられない自分の自業自得だと、春子は自嘲気味に笑ってスマートフォンを手にした。


 秋彦とのメッセンジャーアプリを開く。当然メッセージは来ていない。春子は彼のステータスを見た。そこには春子へのメッセージが打ち込まれていた。「おめでとう。君の毎日が幸せなことを願っています」


 春子は居ても立ってもいられなくなり、メイクさんの名前を呼んだ。こんなドレス着てられない。他人のために着飾った自分を見せる訳にはいかない。メイクさんに頼み込んで着付けてもらったドレスを脱がせてもらう。メイクさんは春子の突然のお願いに戸惑いながらも、強い意志を感じたのか従ってくれた。


 夏男への書き置きを鏡台へ残し、春子は走った。秋彦は彼の家にいて、驚いた顔の彼の胸に飛び込んだ。「どうしたの春ちゃん、今日のメイク迫力あるね。その顔で泣かれるとちょっと怖いよ」秋彦はそう言って笑いながら、春子を抱きしめた。

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