おめでとうーKAC9
黄金ばっど
おめでとう、君は少し得をした。但し最期までこの話しを読んでくれた人に限る
おめでとう。
今この話しを目に留めて読んでくれた貴方にこの言葉を贈ろう。
但し、本当の意味でのおめでとうは、最期まできっちり読んでくれた人に限るのだけど。
私は常々思っている事があるのです。
今日はそれを伝えたい。
これは実経験から得た物で、年老いた人なら勿論分かっている事だろう。
だけどカクヨムの読者層に当る若年層の人がもし今この話しを読んでくれているなら私は非常に嬉しく思う。
実際私がこの話しを聞いたのは実の父親からだった。
私の記憶が正しければ、当時の私は小学生の低学年だったと思う。
今思えば何故この時、父は私にこの話しをしたのか分からない。
もしかしたら私が父や母を非常に困らせるような事をしたから、父は私にこの話しをしたのかも知れない。
もう30年以上前の話なので何故なのかは幾ら考えても思い出せない。
でも、父親が話してくれた内容だけは今でもハッキリ覚えているんだ。
「あのな、人生には角度があるんだ」
そう言って父は唐突に話しを切り出した。
昭和の頃住んでいた家の広い玄関スペースの横で座りながら父は私に向かい合った。
時間の頃は夕方だったと思う。
少しばかり玄関から差し込む光がオレンジがかってたから多分あってると思う。
父は右手の手の平を垂直に立てると続きを話し出した。
「一本の線があって良い事をすると右、悪いことをすると左としよう。お前が友達を殴って泣かした。少し悪い事をしたから、左に行く。でもその後友達に謝った。左に行ったのが今度は少し右に向くんだ。分かるか?大事なのは右を向いた事なんだ」
当時の私にはまだこの話しはきちんと理解出来ていなくて、でも父親の少し真剣な眼差しに曖昧な相づちを打っていたのを覚えている。
「右を向いて進めば間違っても戻ってこられる」
当時の父はそう言って話しを終えた。
今私は当時の父と同じ位の年齢に来ている。
何を思って父がこの言葉を私に掛けてくれたのかは未だ持って分からない。
只、今思えばこの言葉があったからこそ、今の私はあるのだろう。
20代の頃の私は唯我独尊という言葉が相応しい若者だった。
怖い物知らずで咥え煙草にサングラスを掛け、如何にもな風体で歩く私が「どけ、おらっ」と一言呟くと前を行く人は慌てて道を空けてくれて、当時の私にはそれが正しい事で当たり前だったし、カッコいいとも思っていた。
反社会的な事が正義で大衆が悪。
そんな盲目的な、所謂馬鹿だった。
そんな馬鹿な私でも好意を寄せてくれる女性が居り、結婚し子供を設けるまでに至った。
だけど当時の私は本当に自分勝手で馬鹿だった。
色々とあったのだが長くなるので割愛しますが、結局家庭に自分の居場所を上手く見つけられなかった私は次第に外に向く様になり、悪い友人達と遊び回るようになった。
身勝手な理由で借金を作り、酒に溺れ、女まで作った。
そんな私に当時の嫁が三行半を突きつけるのは至極当然の事だろう。
離婚した後、私は身体を壊した事もあり、当時流行っていた日雇いのバイトで日銭を稼ぎ、稼いだ金でパチスロを打つ。
勝った日には酒を飲み、負けた日には水を飲む。
本当にクダラナイ日々をだらだらと過ごしていた。
そんなある日、どういう経緯か友人の幼馴染みの女性が私の髪を切ると言うことになった。
友人にとっては幼馴染みでも私にとっては初対面だ。
当日、何故か友人は来れないと言って私の部屋には来なかった。
そうして私は、当時過ごしていたワンルームマンションで何故か友人の幼馴染みの彼女と二人きりの状態。
しかも私は半裸。
切った髪が服にまとわりつくのを防ぐ物が何も無く上着を脱いだだけなんだが。
髪を切られるている内に、なんだか徐々に変な気持ちになってきた私は、髪切り終わったらどうにかしてヤッたろう的な感じの事を思っていたのを何となく覚えてる。
だけどその気持ちは彼女が私に言った言葉で霧散したのだ。
「眼―――――」
「ん?」
「――――――魚が死んだ時みたいな眼、してるよね」
彼女は私にそう言ったのだ。
中々居ないと思う。
リアルに魚の死んだ眼してると言われた事ある人。
そんな腐った眼をした私は、結局その日は彼女に髪を切ってもらうとぼんやりと過ごしたのだ。
彼女の言葉は私に今までの事を振り返らせるには十分なインパクトを持っていた。
流石に自分が悪いことぐらいは、当時の馬鹿な私でも気付いていた。
けどどうにもならなかった。
そう思っていたんだ。
でも、本当は思い込んでいただけだったんだ。
電気やガスが止められるのは当たり前みたいな生活をしていて、このまま行けば自分はどうなるんだろう?はたと、そんな事を考えたんだ。
未来の自分。
きっとこのまま行けば、ホームレスみたいなそんな情け無い生活になるだろう。
それで良いのか?
良いはずが無いだろう。
その時にようやく私は思い出したのだ。
昔父が私に話してくれた話しを。
「人生には角度がある」
そう、私はずっと左を向いたままだったんだ。
あれから長い月日が経ち私は今幸せだ。
ある程度の社会的地位を得て、新たな家族も居る。
マイホームを持ち、家に帰ればお帰りという暖かい言葉もある。
良く昔の人は若気の至りだとか、若い内はどうのこうの言うけれどアレは嘘だ。
いい大人が若い時にした汚点を誤魔化す為のただの言い分けに過ぎない。
若い内からちゃんと自分の見ている方向を確かめておいた方が良い。
私の実体験から言う。
「人生には角度がある」
なぁ?
君は今、右を向いているか?
おめでとうーKAC9 黄金ばっど @ougonbad
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