浜芝

エリー.ファー

浜芝

 美術館で初めて見た絵画はアニーデクソフォンの、金曜日から土曜日にかけての夜、という絵だった。余りにも感動して、その絵のことを調べるうちに、私はキュレーターになっていた。

 毎日が楽しくてしょうがない。

 そんなある日、アニーデクソフォンのある絵の下書きを芸術資料館の下から見つけたということで、現地へ向かった。

 寒い冬だった。

 雪が降っていて、震える手で、その指先で、その貴重な下書きに触れた時に破いてしまったらどうしようと心配してばかりいた。

 資料館はそもそもアニーデクソフォンの自宅を囲うように作られたものだそうで、その下書きというのも、隠し部屋から発見されたそうだ。

 こんなにも嬉しいことはないし、アトリエに入れてもらえた時は同じ空気を吸っているのだとむせび泣いたことを覚えている。

 そこにいたのはアニーデクソフォンの子孫という女性で年齢にして二十代前半。とても美しかった。私は少しでもアニーデクソフォンのことを聞きたいと話しているうちに少しずつ彼女にも興味が出ていった。

 気が付けばその家で、私とその子孫は暮らす様になっていた。

 彼女は元々画家になる夢を志していたそうだが、やはりどうしても子孫がそこまで有名となると、一歩踏み出せなかったという。自分の描いている絵はやはりアニーデクソフォンに似ていっていたし、そのことで中々の批判も受けたそうだ。

 私はそれを知ったうえで、もう一度絵を描くべきだと彼女に伝えた。

 彼女は静かに筆をとり、今までの苦しみや悲しみ、そしてこれからの未来を絵にした。

 正直、画家として売れたかと言われればそんなことはない。売れなかったというのが事実である。

 ただし、この資料館を維持していくための収入も、生活のための収入もその時点では既にあったので、決して不幸になるような問題が起きたわけでない。

 ひたすら、時間だけが丁寧に流れたのである。

 ある日、資料館の下であるものが見つかった。

 それは絵画だった。

 見つけたのは私と彼女のみ。

 しかし問題があった。

 その絵は今までのアニーデクソフォンのイメージを大きく壊すものだったのだ。つまり、彼が白人至上主義の会に所属していたことや、同性愛を認めていなかったこと、多くの犯罪に手を染めていたことが分かるものだったのである。もちろん、見つかったものが、絵画だけではなく彼の日記もあったことがその一端だったが、調べれば調べるほどそれは濃厚になっていった。

 世紀の大発見であるとは思う。

 美術史に残ることは間違いない。

 だが。

 そこで発生するものは一時的なものだろう。

 この資料館を訪れる人々が一瞬増えても、このようなマイナスイメージで抗議活動が起きてしまったり、批判の電話がかかってくることは間違いない。絶対に対処しきれなくなる。

 私と彼女は。

 アニーデクソフォンの秘密を忘れることにした。

 そして。

 同じ年に結婚した。

 秘密を知り、結婚した三年後。

 丁度三年後。

 彼女が病でこの世を去った。

 今にして思えば、あの絵画や資料は世に出せるものではないと、アニーデクソフォン本人も分かっていたのだろう。何か病原菌のようなものを付着させていたようで、この資料について知ってしまった人間を殺す罠が仕掛けられていたのだ。

 何百年という時を越えて、私はアニーデクソフォンに殺される。

 子孫と愛し合い、本人に殺され。

 最後はこの文化や芸術が溶けた空気を吸って死ぬことができる。

 私は死ぬ寸前のその体を動かしながら、その絵画や資料等をまた地下に埋め直した。

 また、誰かがこれを見つけ、その三年後に死に至る。

 その誰かが。

 私と同じように幸福だと思ってくれることを心より願った。

 三年分の死と使徒。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浜芝 エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ