第24話 勝ち負け、です

「それじゃー、おっつおつー」

「ええ。……今日はありがとう。また明日」


 実紗ちゃんとバイバイした、まだ明るい帰り道。

 私、奈緒ちゃん、スピカちゃん、ポーラちゃんの四人で、並んで帰っていました。


「…………」


 それまで他愛ない会話をつないでくれていた実紗ちゃんがいなくなって、私たちの間には何とも言えない沈黙が流れてしまいます。

 楽器体験の時間と、LANE作戦会議を経て、何とか持ち直したはずでしたが、それでもまだ微妙な距離の空気があって。


 原因はきっと、奈緒ちゃん。

 スピカちゃんが自分のことを打ち明けて、実紗ちゃんもフリーダムに言いたいことを言って。けど、奈緒ちゃんだけはずっと、何か言いたいのを我慢しているような……そんな表情でいました。


「……あの、さ」


 そんな矢先。

 沈黙に耐えきれなくなったのかもしれません、そんなタイミングで、奈緒ちゃんは思い切って口を開きます。


「スピカ。このまんまだとアタシ、ずっとモヤついちゃうから……ごめんだけど、これだけは言わせて」

「……何?」


 対するスピカちゃんは、身構えるでもなく、優しく柔らかい表情で、奈緒ちゃんの言葉を待ちました。

 何を言われても大丈夫な覚悟ができているのかもしれません。

 私とポーラちゃんは、そんな二人の様子を息を呑んで見守ります。


「ごくり、なノ」


 ポーラちゃん。それは口に出さなくてもいいんだよ。

 自転車を道端にかしゃんと停めて、奈緒ちゃんは塀を背にするスピカちゃんにずんずん詰め寄ります。そして、スピカちゃんの顔のすぐ横の壁に手をドンっと置いて、目と目を合わせました。


「どうして隠してたのかなあ、ギターあんなに弾けるってこと……!」


 ちょっと悪そうな顔で、奈緒ちゃんはそう口にしました。

 やっぱり、ギター経験者の奈緒ちゃんから見ても、スピカちゃんのギターはそこそこレベルじゃなかったみたいです。


「スピカがあんなに上手いって先に聞いてたら、アタシ経験者だから教える側に回るだなんて言わなかったし……楽器屋の子だなんていうのも初耳だし。レグ先輩の興味だって全部持ってかれちゃったし、おまけに頭ぽんぽんなんてされちゃってさぁ!」

「さ、最後のは関係ないでしょう」

「しえらや先輩に、カッコイイとこ見せてやろうってハリキってさっ。自分のギターまで持ってきてさ。アタシは歌も見た目も、なんにもスピカに敵わないけど、ギターだけは胸を張れる、ギターだけは負けないって思ったり、してさ。……それで見せられたのが、あんな圧倒的なパフォーマンスじゃ……」


 こつん。

 奈緒ちゃんがおでこを塀にぶつけます。


「……ヘコんじゃうよ、正直」


 奈緒ちゃんの顔は、私たちからは見えません。

 けど、とても複雑な気持ちなのは、よくわかります。

 抱え込んだままじゃ、モヤモヤで病気になってしまいそうな、そんな気持ちを吐き出して、吐き出して。もう吐き出すものが残っていないのを確認するみたいに、深く深く溜め息をつきました。


「奈緒……その」

「……ネガティブおしまいっ」

「え?」


 かける言葉を探しているスピカちゃんの答えを待たずに、奈緒ちゃんはぴょこんと跳ね起きて、いつもみたいにニパッと笑顔を浮かべました。


「だってさ、いくらスピカに愚痴ったって、それでギター上手くなれるわけじゃないし! 悔しかったらもっともっと上手くなって見返すしかないし! まだまだアタシの本気が足りてなかったってだけの話で、うじうじ言い訳する方がよっぽどダサいしっ!」


 さっきまでの落ち込んだ声が嘘みたいに、奈緒ちゃんはハキハキと元気に喋ります。


「けどさ、ひとつだけ、お願いスピカ」

「……なに?」

「もう、スピカの『本気』を隠さないで。スピカにそんなつもりがなかったとしても、騙されたとか裏切られたとか、そんな風に思いたくない。そこそこだなんて曖昧な言葉でかわさないで。スピカが本気なら、それは本物なんだから。堂々と自慢してくれなきゃ、見返し甲斐もないよ」

「……っ」


 驚いた気持ちや、申し訳ない気持ち、色々な気持ちが混ざった表情で、スピカちゃんは黙り込みます。

 スピカちゃんの積み重ねてきた本気は、奈緒ちゃんから見ても、やっぱり本物なんだってこと。それを当たり前に伝えながら、何でもないように奈緒ちゃんは笑います。


「アタシ、ほんっとーに悔しかったんだよね。ギターでもこの子に勝てないのか、って一瞬でも思っちゃったことが。スピカがどれだけ本気でどんな練習を積み重ねてきたのかとか、なんにも知らないクセにさ。本当に本当の本気で、やれること全部やって、それでもどうしても届かないってわかって初めて、勝てないって口にすることが許されるのに」


 ……普通の人は、多分そこまで強くないよ。

 きっとそれは、奈緒ちゃんの、奈緒ちゃんだけの、強さだよ。


「だからさ、スピカがギター上手くなるために練習してきたこと全部、アタシに教えてほしいな。何やってでも、アタシはスピカに追いつきたい。追いついて、追い越して、見返したい。……やっぱりアタシ、ギターでだけは負けたくないんだ」


 大胆に言い放った奈緒ちゃんの瞳は、いつもみたいにらんらんと輝いていて。

 それはまるで、届くと信じて星に手を伸ばす子供のようで。


 ……ううん。きっと本当に届いてしまうんだと思います。

 奈緒ちゃんの言葉には、瞳には、そんな力がありました。

 まぶしいな。


「私、一番を目指してるの」


 スピカちゃんは、そんな熱い言葉にクールに答えます。


「だからあなたは二番になってしまうけれど……それでいいなら構わないわよ」


 同じく大胆な、強気のセリフで。


「にっふふ、言うなぁ! やっぱそれくらいじゃないと、張り合いないよねぇっ」

「好きなだけ、私をおびやかして頂戴。そうしてくれた方が、私も追い立てられて上へ上へと進み続けられるもの。あなたのような向上心の持ち主が近くにいてくれて嬉しいわ」

「にへへ……」

「ふふふ……」


 ちょっぴり変なノリで笑い合う二人を見つめていたポーラちゃんが、もうお決まりになりつつあるセリフを口にします。


「ムムゥ……よくわかんないノ~! 音楽って、なノ?」


 奈緒ちゃんもスピカちゃんも、一瞬言葉に詰まりました。

 ポーラちゃん、時々こうやって核心を突くようなことを言ったりします。


「……まあ、確かにポーラの言う通り。音楽ほど勝ち負けがわかりづらい土俵もないかもしれないわね。大会やコンテストはあるけど、スポーツのように明確なルールがあって勝敗が決するわけじゃない……究極、当人の敗北感だけが指標だもの」

「じゃあ、スピカタンはどうやってイチバンになるノ?」

「現時点で一番だと思われている人たちを超える」


 はっきりとしたプランがあるような、自信に満ちた口調です。

 音楽室に戻る前、スピカちゃんは打倒プラニスを宣言していました。初めてライブを見た日、奈緒ちゃんが一番人気のバンドだと言っていたのがプラニス。つまり、プラニスを倒しちゃったらスピカちゃんが一番ってことになります。


「天音部で一番のバンドと言われているプラニスフィアと同じステージに立って、早見島じゅうの人たちの認識を塗り替えるの。このスピカが、一番だと。それが私にとっての勝利条件。天音部の一番を取ったら、そうね、次は……全国の高校で一番でも目指そうかしら」

「にははっ、ただのビッグマウスに聞こえないからすごいよ、スピカのは」

「当然よ。実現する気もない夢なんて語らないわ」


 ……夢。

 夢があるから、二人はこんなにもまっすぐで、まぶしく見えるのでしょう。


「スピカタンは、ずっと前の方を見てて、カッコいいノ。……でも、なんだかちょっとさみしいノ……」

「寂しい?」

「さみしいノ! ポーラはみんなで楽しくバンドやってみたいノ! カラオケの時みたいに、みんなで好きなウタをうたって、みんなイッショに楽しくなりたいノ! なのにスピカタンはずっと前の方を見てて、ずっと前の方にいて……それってやっぱり、さみしいノ」


 しおしおと、消え入るようにだんだん小さくなっちゃうポーラちゃんの声。

 彼女が天音部に入った理由は、「楽しそう」だったからです。

 本気で、ストイックに上を目指すスピカちゃんの姿は、ポーラちゃんにとっては「さみしい」のかも。


「あら。楽しいのなんて、大前提よ。楽しくなきゃ続かないわ」

「えっ」


 思わず、声を上げてしまった私に、スピカちゃんがきょとんとした目を向けます。


「意外?」

「あ、その……」


 口ごもってしまいます。

 スピカちゃんの原動力は、一番を目指すこと。一番になって自分を見下してきた人達を見返すこと……ううん、今は一番になって『本気』を成就させること。

 音楽以外に費やす時間を削ってまで、真剣にストイックに打ち込む心構えを見て、私はまた勝手に思い込んでしまったみたいです。

 彼女にとって音楽は遊びじゃない、そこに「楽しい」が入り込む余地はない、だなんて。


「明確なルールがないからこそ、楽しんだ者勝ちがまかり通る世界。どんな執念じみた動機があったって、やっぱり音楽が楽しいって気持ちなしにはモチベーションは続かないわ。だから安心してポーラ、少なくとも私はさみしくなんかない。音楽が楽しくてしょうがないから」

「そう……なノ? じゃ、じゃあ何でカチマケなんて決めたがるノ? 楽しければみんな勝ちなノ! それでいいノ!」

「にはは。ところがそうもいかないんだよねぇ」


 今度は、奈緒ちゃんが答えました。


「初めての経験、何もかもが楽しい。昨日できなかったことが、今日できるようになるのが楽しい。まだまだやりたいこと、できるようになりたいことが山ほどあって、毎日がマジ楽しい。……そんな『楽しい』をしばらく味わってるとさ、欲が出てきちゃうんだよねぇ。腕を試したい、誰かと競いたい、って」


 不敵な笑顔で見つめられたスピカちゃんが、すまし顔で言葉を引き継ぎます。


「音楽に限らず、スポーツでもゲームでも言えることだと思うわ。楽しむことを覚えて、それを原動力に上達して、ライバルと競争して勝てたらもっと楽しい。この先ポーラに、同じような競争心が芽生えるかはわからないけれど……私と奈緒は経験者だから。楽しいっていう経験を経て、今この位置に……あなたの言うに立っているのよ」

「そゆことっ。にははっ」


 奈緒ちゃんと、スピカちゃんの笑顔。

 それを見てもポーラちゃんはまだ浮かない顔でいました。


「ムゥ……やっぱりわからないノ。ポーラは、カチマケなんて決めたくないノ」


 私にも、ポーラちゃんの気持ちはわかります。

 星が好きで好きで仕方ない私だけど、誰かと競いたいとか、誰かに勝ちたいとか思ったことはないから。同じように星が好きな人と、同じように星の話ができれば、それだけで楽しいし、幸せなんです。

 音楽は、違うのかな。


「それがポーラの考え方なら、私は否定するつもりはないわ。今は純粋に音楽を楽しんでほしいと思ってる」

「今日はじめて叩いたドラムは、とっても楽しかったノ」

「なら、それでいいと思うわ」

「……わかったノ! ポーラは楽しむノ!」


 そこで変に気合いを入れちゃうポーラちゃんの返事がおかしかったのか、奈緒ちゃんもスピカちゃんもいっしょに笑顔になりました。

 それじゃあ私は、ポーラちゃんが音楽を楽しむのを、たくさん応援しなくちゃだね。


「ポーラ、もっともっと楽しんで、はやくナオタンやスピカタン、センパイみたいになりたいノ! ブチョータンも、ランタンも、今日はスッゴク楽しそうだったノ!」

「……そうね。それこそが、あの人たちの凄い所でもある。楽しんだ先で、頂点に立っているんだから……」


 確かに、天文台ライブの日のプラニスの皆さんは、とても楽しそうに演奏していました。演奏を聴くお客さんも……ううん、空の上の星までも、楽しませてしまう音楽。


「だからあの人たちに勝つには、私たちが誰よりも音楽を楽しまなくちゃ」

「ムゥー、カチマケの話はもういいノーっ!」

「ちょ、ちょっと重いっ!」


 唇を尖らせたポーラちゃんが、もすっ、とスピカちゃんの頭にのしかかります。お、おっきいな、ポーラちゃん。身長の話です。


「にははっ。そんじゃあスピカ、その『私たち』にアタシも混ぜてくんない?」


 楽しそうに笑う奈緒ちゃんの言葉に、ポーラちゃんが首を傾げます。

 一方でスピカちゃんは、これから何て言われるのかわかってるみたいに、微笑みながらふっと息をついて「何?」とだけ言いました。


「アタシと、バンド組んでよ。スピカ」

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