第21話 おとめ座の一番星、です

「……何、それ。わけわかんない」

「うん。ごめんね」

「それだって結局、あなたの理想でしょう。……ああ、だから最初に、わざわざあんな前置きをしたのね?」

「それも、ごめんなさい」

「……大体、好きだ、なんて恥ずかしい台詞。よくそんな、平気、でっ……」


 途切れ途切れになっていく、スピカちゃんの小さな声。


「……スピカちゃん?」


 消えてしまうのを呼び止めるように、私は声をかけていました。

 返事はありません。


「………………しえ、ら」


 長い長い、沈黙の後。

 スピカちゃんがゆっくりと、でもはっきりと言いました。


「……ありがとう」


 今にも泣きだしてしまいそうな震えた声で、絞り出されたその一言。

 確かな熱に、胸がぶわっとなるのを感じました。


「ありが、とう、しえらっ。私、……私、こんなんなっちゃうくらい、本当は誰かに、肯定、してほしかった……っ。ずっと。ずっとっ」

「うん……っ」


 スピカちゃんは昨日、私に奈緒ちゃんのような友達がいることが羨ましいと言いました。

 あれは、お世辞とかなじゃくて、たぶん本当の気持ちで。

 そんな「誰か」が、本当はずっと欲しくって。


 私には、お姉ちゃんや奈緒ちゃんがいてくれました。バカな私を、心から想ってくれる大切な人が。

 でも、スピカちゃんは、ずっと一人で、がんばってきたのかな。だとしたら、やっぱりあなたは強くて、気高くて。……でもその強さは、孤独の象徴なんかじゃ絶対になくて。


 ねえ、そんな「誰か」に、私はなれたかな?


「っ、本当なら、ちゃんとここから出て、面と向かって、伝えるべき言葉なんでしょうけどっ。でも、ごめんなさい。こんな醜くて酷い泣き顔、……しえらにだけは、見られたくない」

「……醜いなんて、思わないよ?」

「あなたがそうでも、私がイヤなの。あなたの前では、ちゃんと、……けっ、気高く美しい、星でいたいのっ……い、言わせないでよ。こんな恥ずかしい台詞っ」

「ご、ごめんなさいっ」


 恥ずかしそうに口ごもるスピカちゃんに、何だかこっちまで恥ずかしくなってきちゃいます。


「……そのかわり、明日は。明日は必ず、部活に行くから……だから、その時は」


 扉一枚、隔てた向こう。


「私に、の居場所を教えて」


 確かにスピカちゃんの笑った顔が、見えた気がしました。


「うんっ。約束っ」


 私の気持ち、ぜんぶ届いたかはわかりません。

 だけど、よかった。

 スピカちゃんのこの言葉が聞けて、よかった。

 カラオケの時と同じように、私は約束の言葉を告げます。指切りも、必要ないよね。

 届いてるはずだもの。


「……そ、それじゃ、その。私、さきに戻るね」


 スピカちゃんは私に顔を見られたくないって言ってたのに、いつまでも私が外にいたら困っちゃいます。


「……ええ」


 その返事を聞いてから、私は音楽室に戻ろうと一歩、離れようとして。


「あれっ」


 へたり。

 急に景色が低くなって、おしりに冷たい感覚が伝わりました。


「しえら……? どうかした?」


 スピカちゃんが声をかけてくれるまで、何が起こったのか全く理解できませんでした。


「あっ、ううん。その、あ、安心したら、立てなくなっちゃって……」

「えっ⁉」


 驚いた声のすぐ後に、

 がちゃん、と重たい機械の動く音がします。

 もたもた開く自動ドアを押しのけるようにして飛び出してきたスピカちゃんが、大慌てな表情で私の目の前に座り込みました。


「だ、大丈夫なのっ⁉ しえらっ!」


 それがなんだか、おかしくて。


「……ふふっ」


 私は思わず、笑っちゃいました。


「大丈夫だよ、スピカちゃん。ちゃんとすっごく綺麗だよ」

「……? な、何言って……」


 遅れて私の言葉の意味に気づいたスピカちゃんが、顔を赤くしてそっぽを向きます。


「も、もうっ! この子は……!」


 なんだか間抜けな自分の格好と、耳まで真っ赤にしちゃったスピカちゃんの姿とで、何か私の中でタガが外れてしまったのでしょうか。

 何で笑っちゃうのかもよくわからないまま、私はずっと笑っていました。


「あははっ。あはははっ」

「……ぷっ。何なのよ、もう、ふふっ。あははっ」


 スピカちゃんの涙が枯れるまで。

 ふたり、廊下に座ったまま笑い続けていました。



「……私、一番になりたかったの」

「一番?」


 いっしょに歩く、音楽室への戻り道。ふと口を開いたスピカちゃんに、私はオウム返しで答えます。


「私を嘲笑って、バカにして、見下した奴らをまとめて見返してやりたくて。ギターや歌だって一番うまいと思われたかったし、見た目も一番かわいいと思われたかった」


 けど、と言葉を区切り、スピカちゃんは物悲しそうな表情で窓の外を見つめました。


「どこか虚しかった。みんなが見てくれているのは、今の私の虚像で。昔の自分を否定するために頑張ってきたはずだったのに、その努力には誰も目を向けてくれなかった。……ううん、違うか。ほかでもない私自身が、切り離したのよね。『澄光きよみつ』と『澄光スピカ』を」


 廊下の窓の外からは、運動部の男の子たちのかけ声や野球のボールを打つ音が途切れ途切れに聞こえてきます。


「男なのに強くなれない自分が嫌で、男のくせにって言葉から逃げるように女装して。でも、女の子になりたかったわけじゃなくて、男から遠ざかりたかっただけ。完璧に女の子になれるわけじゃないのもわかってたから、どっちにもなれないし、なりたくなくて……どっちの私も、私にとっては偽物だった。本物なんて、自分の中のどこにも存在しないんだって、ずっと思ってた」


 くるり、と振り返って。

 スピカちゃんは、いつもと同じ、見惚れちゃうような素敵な笑顔を、私に向けてくれました。


「だから、本当に嬉しかったのよ。嘘じゃないって言ってくれたことも、逃げてなんかないって言ってくれたことも。私が積み重ねてきたことを、本物だって言ってくれたことも。本当に嬉しかった。ありがとう、しえら」

「ど、どう、いたしまして」


 なんだか、面と向かって言われると、やっぱり照れちゃいます。スピカちゃんも同じ気持ちだったのか、すいっと顔を背けちゃいました。


「でも、一番になるって目標がどうでもよくなったわけじゃないけどね」

「それとこれとは、別?」

「別。続けてきた『本気』だからこそ、やっぱり一番を目指したいの。もちろん、今までみたいに見下されたから見返してやるとか、ダサい理由でじゃないけど」


 そう言い切って前だけを見つめるスピカちゃんの横顔は、以前にも増して凛と煌めいて見えました。


「……あっ、別にしえらに認めてもらったのが不満とか不足とか、そういう意味で言ってるんじゃないのよ!」

「う、うんっ。大丈夫だよ」

「それに、あなたの一番はまだ……」


 そこまで言って、スピカちゃんは言葉を止めます。


「スピカちゃん?」

「……何でもないわ」


 そう言ったスピカちゃんの笑顔は、でもちょっぴり寂しげに見えました。


「私、応援するよ、スピカちゃん」


 星みたいに輝くみんなの本気を応援したい。私が天音部に入ったのも、それが理由です。


「ありがとう。見てて頂戴、私が一番星になるのを」

「一番星?」


 そういえば、初めて会った日にも言っていた気がします。

 この早見島の一番星になる名前だ……って。


「ええ。この名前は願掛けみたいなものでもあるのよ。スピカって、おとめ座の一番星の名前なんでしょ?」

「えっ」

「ん?」


 完全に頭上にハテナマークが浮かんだスピカちゃんの無邪気な笑顔に、私はその事実を言うべきか言わざるべきか悩んだあげく、


「……あのね、スピカちゃん。んだ……」


 言うことにしました。


「ど、どういうこと?」


 困惑するスピカちゃんに、ささやかな説明。


 スピカは、おとめ座に連なる一等星です。おとめ座の中で一番明るい星……α星にも分類され、おとめ座の恒星の中では一番に名前が挙がると言ってもいいでしょう。

 一等星というのは、天体を明るさの等級で分類したときの一番明るい星々の呼び方のことであり、地球の空には全部で二十一あると言われています。

 一方で、一番星というのは、夕方の空で一番最初に見つける星のこと。天文用語ではないので定義もあいまいで、見る人によってもどの星かは違います。大体、宵の明星とも言われる金星が一番星になることが多いのですが……スピカは、あんまり一番星にはならないかな……。


 という内容を噛み砕いてしてみたところ。


「そ、そう。しえらって、物知りね……っ!」


 スピカちゃんの笑顔が怖いです。

 笑ってはいるんですが、表情筋はぴくぴくと引き攣ってるし、顔は真っ赤だし、なんとなく涙目にも見えます。


「ご、ごめんねスピカちゃん。ほ、ほら、後で先輩に指摘されたりは恥ずかしいと思ったから、その……よかれと思って」


 悪い癖なんです。星のことになると、細かいことまで気になっちゃう。何度も同じ失敗をして、私は治すつもりがないのでしょうか。


「……いいえ。いいのよ。今さら締まりが悪いから、これでいくわ」

「え、えぇっ? でも……」

「いいの! 私はおとめ座の一番星になるの! 早見島で一番輝く星になるのッ!」


 早口で言い尽くして、ぷいっと歩き始めてしまったスピカちゃんに、私はあわててついていきます。


「ま、待ってぇ、スピカちゃん」

「待たない! 私はどんどん進まなくちゃ、一番になんてなれないもの! 手始めに、この天音部で一番になる……つまり、打倒プラニスよ!」


「ほう。それは楽しみだ」


 どきりとしました。

 身体の芯まで響く、低い声。

 廊下の先、第二音楽室の入り口に。


「……先輩」


 レイ先輩が、立っていました。

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