第17話 ようこそ、です

 羽丸しえらです。

 今日は、四月十日、火曜日。

 昔とは違う理由で待ち遠しく思えた放課後がやってきました。


「しーえらっ、部活行こ!」

「うん、奈緒ちゃん」


 同じようにこの時を心待ちにしていた奈緒ちゃんが、HRホームルーム終了のチャイムとほぼ同時に私の席に駆け寄ってきてにぱっと笑います。

 その背中には、黒いケースが担がれていました。中身はきっとギターです。


「なにー、アスミンもう部活決めたのー?」


 気だるげに尋ねてきたのは、私のひとつ前の席の洞辺どうべさん。


「にふふっ、実は入学前から決まってまーすっ」

「えー内定じゃーん。エリートー」


 ちょっと私には笑いどころがわからないやり取りをしてから、奈緒ちゃんは別の席にも目を向けます。


「スピカも一緒に行こっ」


 声をかけられたスピカちゃんが、鞄に教科書をしまいながら見惚れるような優雅な動きでこちらを振り返り、くすりと微笑みました。


「今日はずいぶん賑やかなのね、奈緒」

「だってめちゃくちゃ楽しみだったんだもん! おかげで授業ほとんど頭に入ってこなかったよっ」

「授業はちゃんと聞かなきゃダメでしょう。後で泣くことになっても知らないからね?」

「うぐっ」


 豪速球の正論が奈緒ちゃんに突き刺さります。奈緒ちゃんの気持ちもちょっとわかるけど、やっぱり勉強は大事だよね、うん。


「……ふうん。奈緒のギター、そこのメーカーなのね」

「そだよっ。お年玉貯金はたいて奮発したんだぁ」

「だと思った。中学生が手を出すにはちょっと高いもの」

「あれ、わかる? もしかしてスピカもギターできるカンジ?」

「そこそこにはね」


 繰り広げられる二人のハイ次元な会話。私もいつか、「ふうん、奈緒ちゃんの望遠鏡、そこのメーカーなんだ」「初心者にはちょっと扱いにくいかもね」とかそういうことを言う日が来るのでしょうか。たぶん来ません。


「てゆーかぁー、スピカ姫とアスミンってー、おんなじ部活ー?」


 洞辺さんの問いに、奈緒ちゃんがにこにこ頷きます。

 彼女のように、クラスのアイドルであるスピカちゃんを「姫」と呼ぶ人は少なくありません。……私は、面と向かって言うなんて恥ずかしいので心の中でだけ星のお姫様と呼んでます。


「そーなんだー、気になるー。体験入部だったらー、あたしも行ってみよっかなー」

「なになに、スピカ姫の体験入部がどうしたって?」


 スピカちゃんの名前が出たかと思うと、教室中からざわめきが集まってきて私の机を取り囲みます。た、助けてえ。


「それじゃ、せっかくだからみんなで一緒に行こっか!」


 奈緒ちゃんの一言で、昨日の見学者をゆうに超える人数の生徒が、天音部の体験入部に集まることになってしまいました。



「ラン」

「何だい」

「俺は今、猛烈に感動してる」

「そうかい」

「レイ」

「何ですか」

「俺の夢見た光景が、今目の前に広がっている」

「そうですか」

「何だよお前らテンション低いぞ! こんなに一年が集まってくれたんだからもっとアゲてけよ! ウェイウェイ!」


 ウェイウェイという、部長先輩のなきごえが第二音楽室に響き渡ります。その隣で、やれやれと苦笑するラン先輩と、眠そうな顔であくびをするレイ先輩。


「驚いてはいるんだけど、ね。正直さばき切れるかどうかという不安の方が大きいかな」

「同感ですね」


 二十人、ううん、三十人……もっと。昨日の説明会に来ていた子たちも含めて、音楽室を埋め尽くしちゃうような人数が集まっていました。

 一年生は全員合わせても百人に届くか届かないかくらいの人数なので、天音部の見学だけで一年生の三割以上が集まっていることになります。


「さすがに軽はずみすぎたかなー……」


 予想外の事態に、奈緒ちゃんがちょっと困った顔で笑います。

 スピカちゃんも、あまり顔には出さないけど困ってる様子。


「じゃあ……初めての子も多いようだし、うちの部活の説明からしていこうか?」


 ラン先輩の音頭で、昨日とほとんど同じ内容の説明がされます。所要時間、およそ五分。


「今日は第二音楽室を使っていい日……『軽音』の日だから、みんなには楽器の体験をしてもらおうと思っているよ」


 その言葉で、待ってましたと言わんばかりに顔色を変えたのは、奈緒ちゃんと……そして部長先輩です。


「よっし! じゃあギターやってみたい人はこっちに集まってくれ!」

「はいっ!」


 大きく手を挙げた先輩のもとに、奈緒ちゃんとスピカちゃんを筆頭に、一年生の半分くらいがずらりと集まりました。


「ドラムは私が」

「ポーラはこっちにするノ! いっぱいあって楽しそうなノ~!」


 クールに案内するラン先輩のところには、ポーラちゃんをはじめもう半分の一年生が。

 ……あっという間に、私一人が取り残されてしまいました。


「……去年もこんな調子でな」


 人ひとり分の空間を挟んだ隣から、眠そうな声。レイ先輩です。


「二人とも相変わらず圧倒的な人気ぶりだ。そして俺はヒマな方が助かる。だからウィンウィンだ」

「は、はあ」

「……ヒマなら何か話すか?」


 とても難易度の高い提案です!


「まあいい。俺が勝手に話す。……今日お前が来てくれたの、正直言って意外だった」

「です……よね?」


 昨日のやり取りだけ見れば、私は「星の方」……『天文専』の生徒と思われたはずです。

 現に、今も先輩たちのレクチャーには参加せず、遠目で見守っているだけ。何しに来たんだろうって、思われても無理ないです。


「けど。それ以上に嬉しかった」

「え?」


 思わず、レイ先輩の横顔を見上げます。眠そうな瞳は、どこかどこでもない場所を見つめているようでした。


「あれこれ言葉にするのは、得意じゃない。誤解の無いようにシンプルに伝える。お前が来てくれて嬉しかった」


 飾らない、嘘のない、まっすぐな言葉。

 だからこそ、まっすぐに伝わりました。


「……私は、そう思ってもらえたことが、嬉しい、です」


 だからなのかな。私の言葉も、勝手にこぼれちゃいました。


「あ、っ、ご、ごめんなさい! なんだかエラそうにしちゃって……」

「いや、全然そんなことはないが……」


 ああ、な、何言ってるんだろう私。

 伝えるべき言葉がはっきりしすぎてて、うまく喋れないことなんてあるんですね。


「あっ、そ、そうだっ、これ!」


 平常心を取り戻すため、私は昨日の夜からずっとお家でシミュレーションしていた一連の動作を実践します。


「にゅ、入部届、持ってきまひゃっ」


 噛みました。失敗です。


「……そうか」


 先輩はそれだけ言って、私から手渡されたプリントに視線を落とします。


「……ハマル?」

「は、はい。羽丸です」

「ハネマルじゃなくてか?」

「ハマルです」

「お前、本当にハマルだったのか」


 傍から見たら意味不明な会話です。


「確かに預かった。明日の活動までには正式な部員になれるよう手続きしておく」

「あ、ありがとうございますっ」

「俺じゃなくてラン先輩がだけどな」


 ……昨日から思っていたのですけど、部長じゃなくて副部長の仕事になっているのはなぜなのでしょうか?

 思っておくだけにします。


「……正直ちょっと憧れていた。新入部員に、ようこそと言える先輩の姿に。だからその機会を与えてくれたこと、感謝する」


 レイ先輩は、入部届を大切な手紙のように丁寧にたたんで……そして、眠そうなポーカーフェイスにほんの少しだけ微笑みを浮かべて言いました。


「羽丸しえら。ようこそ天音部へ。今日からここが、お前の居場所だ」


 それを聞いて、また泣き出しそうになっちゃった私のせいで、先輩の貴重な笑顔はあっさり奪われてしまうのでした。

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