第16話 入部届、です
「おかえり、しえら。遅かったわね?」
濁点がついちゃいそうな「あ」を声に出して、私は帰宅するなりお姉ちゃんに駆け寄りました。
「ご、ごめんお姉ちゃん! 今日、私の当番だった!」
二人暮らしのお姉ちゃんと私は、お夕飯の当番を交代制にしています。
今日は、私の番。すっかり忘れて、遊びほうけてしまいました。
「先にただいまでしょー? お姉ちゃん心配したわよ」
「た、ただいま」
「はい、おかえり。もうご飯作っちゃったから、手洗ったら食べよ」
お姉ちゃんの用意してくれたお夕飯が、テーブルの上に並んでいます。いい香り。
「今日のメニューは豆乳グラタン、煮豆のサラダに、冷ややっこ、厚揚げのお味噌汁。ご飯には納豆ね」
イソフラボン豊富そうなメニューです。お姉ちゃんは、大豆が大好物。
美肌のため……と口癖のように言っているお姉ちゃんですが、実はブラのサイズが私より小さいのをひそかに気にしてること、知ってます。
「ありがとう、お姉ちゃん。明日は私が作るね」
「いいのいいの。どーせ家にいてもヒマだし、買い物くらいしか外にも出ないしー」
お姉ちゃんのお仕事は、ファッションデザイナーさんです。『
お家にいながら、インターネットを通じてお仕事相手とやり取りができるそうで、早見島に引っ越してきてからは外出することも少なくなって毎日のように運動不足を嘆いています。
「こんなに遅くなるってことは、友達と遊んでたんでしょ?」
「う、うん」
そう答えると、お姉ちゃんはにっこり笑います。
「よかった。ちゃんと学校で、友達作れたのね」
「うんっ。すっごく素敵な子たちなの。今度紹介するね」
「お、顧客調査ならウェルカムよ~」
言われて、お姉ちゃんのデザインした服をみんなが着ている様子を思い浮かべてみます。
一人は、無邪気だけど大胆で煌びやかなイケイケギャル。
一人は、童顔だけど長身でグラマラスな北欧ガール。
一人は、小柄だけどクールでオトナな超絶美少女。
……うーん。三人とも、甘々で可愛いファッションとはあまりマッチしていない気がします。
「何にせよ、よかったわ。外がこんなに暗くなっちゃって、一人で帰れないんじゃないかって心配してたくらいなのに。夜道も怖くないくらい、楽しい時間だったってことよね」
「ご、ごめん……心配かけて」
「いいってば。これからは毎日遅くまで遊んできなさい。ハッキリ言うけど、しえら、あんたはもっとハメ外して青春を謳歌するべきよ」
「ま、毎日はしないよ」
家事の当番も、お勉強もあります。毎日遊びほうけてたら、ダメな女子高生になっちゃいます。
「あ、でも……その、水曜日と金曜日だけ、遅くなってもいい?」
「部活?」
ノータイムで聞き返すお姉ちゃん。な、なんでわかるの。
「読めたわ。遊んできた友達も、部活の子ね?」
「お姉ちゃんは、なんでもお見通しだね……」
「あはは。だてに十五年お姉ちゃんやってないわよ。それで? 何かあたしがすることある?」
深呼吸をひとつして、答えます。
「入部届に、サインしてほしいの」
それからご飯を食べ終え、お風呂を沸かしている間。
私はお姉ちゃんに、入部届のプリントを渡しました。
「えーなになに……『入部申請書ならびに特別課外活動同意書』……天文部って夜に活動するもんねぇ。最近はこういうの厳しいのねー」
プリントに目を滑らせていくお姉ちゃんの視線が、ある一点で止まります。
「あはは。しえらったら、字間違えてるわよ。天音部だって」
「……ううん。天音部で、合ってるよ」
きょとんとするお姉ちゃんに、私は天音部の活動内容を伝えました。
天文部と、軽音部。二つが一緒になった部活。
早見島に来て最初の夜、天文台公園で見たライブ……それを開催している部活だって。
「えーっと、つまり……しえら、あんたバンドやるってこと?」
「わ、私はやらないよ! 近くで見てるだけ」
「ええ? せっかく入部するのに、それでいいの?」
どきり、としてしまいます。
今の私には、楽器や音楽をやるつもりはそんなにありません。奈緒ちゃんやスピカちゃん……『本気』の人たちの隣で、私なんかが中途半端にやろうとしても、きっとみんなの迷惑になってしまうから。
音楽のこと何も知らない初心者……ううん、センスが壊滅的なのできっとマイナスです。そんな私が『本気』の人たちの足を引っ張ってしまうなんて、絶対に嫌です。
でも、結局それって、言い訳でしかない。
奈緒ちゃんやスピカちゃんの想いをいいように利用して、音楽に触れることを最初から諦める口実にしているだけ。
……だとしたら、私、すっごく嫌な子だ。
「まだ何か、迷いがあるみたいね」
「……お姉ちゃん」
さすがです。お姉ちゃんには、やっぱりお見通しでした。
「でも残念でーした! もうサイン書いちゃったもんね! うだうだ迷う暇があったら一歩踏み込んで行動しなさい、行動!」
「えええ⁉」
ちょっと! 私の悩みを返してえ!
「あれこれ悩んだって、どうせ青春なんてもんはなるようになるし、なるようにしかならないわよ。せっかく今までとはまるで違う環境に一歩踏み出す勇気がついたんだから、そのまま踏み込んで進めばいいじゃない」
サインと判子の入った入部届を、お姉ちゃんが私に差し出して微笑みます。
「あたし、嬉しかったわよ、しえらがコレ渡してくれたの。きっとあんたにとってはものすごく勇気のいる決断だったんだろうってわかるから」
「……ううん。私一人の勇気じゃないよ」
「それでもよ。あんたが友達から貰った勇気だって、もうあんたのものなんだから。お姉ちゃんがあげた勇気も、もちろん同じ」
おひつじ座のヘアピンを、こつん、とお姉ちゃんが突っつきます。
その感触に、思い出されるのは昼間の出来事。
……そうだ。私は、星が好き。
そして天音部は、星が好きな人が、音楽の楽しさを知るための場所……。
「本当にやりたいことは、しえら自身が見つけなさい。誰の言葉がヒントになっても、しえらが見つけたならそれはしえらの選んだ未来だから」
ずっと変わらない大好きな笑顔で、お姉ちゃんは私の背中を押してくれます。
「……うん」
そんなお姉ちゃんの笑顔を、私はまっすぐに見つめ返して。
俯かないで、顔を上げて。
そして、笑いました。
「ありがとう、お姉ちゃん。私、」
ぴーろりぴりりーぴりりーりー
お風呂が沸きました。お風呂が沸きました。
「しまらないわねぇ」
うう……。
なんだか前途多難、です……。
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