悪評の元

@nakamichiko

悪評の元


「三周年おめでとう! カンパーイ!!! 」


 閉店した店の中で私と女三人、正確には妻のお腹の中に私の子供がいるから、五人になるのか本当にささやかな打ち上げをした。この三年は本当にいろいろな事があった。祖父の始めたこの中華料理、まあラーメン屋と言った方がいいが、その店を継ぐのに「お前の門出だ、改装でも何でも好きなようにしろ」と味には鬼のように厳しかった父は言った。だがその父は病魔に侵されて、新規オープンして一年とたたずに逝ってしまい、祖父も息子の跡を追うように旅立った。悲しみに沈んでいることもできぬほど店は忙しく、それは商売人としては最大の喜びではあった。


「二人ともきっと喜んでいるよ・・・」

息子に先立たれ、連れ合いを亡くした祖母はぽつりと漏らした。


「そうね・・・孫を、ひ孫を見せてあげたかったわよね・・・それだけが心残りだわ」母が言った。一人アルコールを口にしない妻も、もう臨月に近いお腹をさすりながら

「本当に・・・残念でした」としんみりとしてしまった。


しかし、これは今日に限ったことではない。三人の少々意気消沈している理由は他にあった。この辺りは古くからある街だが、再開発が進み、新しい宅地が出来てきた。それを見込んで大型店が次々と進出し、そして今度すぐ目と鼻の先にラーメンの大型チェーン店ができることになったのだ。


「心配はいらないよ、ほら、近所の寿司屋さんだって、回転ずしが出来て逆に客が増えたって言っているじゃないか。寿司を食べる機会が増えれば、舌が肥えてきて、もっと美味しいものが食べたいと思うようになるんだよ。そりゃ、最初は客足が減ってしまうだろうけれど、大丈夫だよ、自信がある。じいちゃんからも、父さんからも仕込まれたんだ、現に他の弟子の店は大丈夫じゃないか。子供も生まれるんだから、頑張るよ」

「そうね・・・とにかく頑張りすぎないでね、体が一番だから」

母の心からの言葉だった。


 子供が生まれた日は皮肉なことに、そのラーメン店の巨大な看板が立った日だった。男の子で、どこか祖父に似ていた。たくさんの人からそう言われる中、自分と年が近くてよく来てくれる常連さんが、いつもと違う、神妙な顔をして食べていた。まあそんな日もあるだろうと思っていると、日に日にそういう人が増えてくるので、思い切って聞いてみた


「何か味に納得がいっていらっしゃらないですか? 」その言葉に

「いえ、いえ、いえ、・・・・・」とすぐに答えが返ってきたが、そのあと驚くような話を聞いた。


「この前友達と歩きながら、ここに食べに行こうって言っていたんです。そうしたら、帽子とマスクの男性が「あそこはダメだ」って言うんです。美味しいですよって言ったんですけど、それには何も言わずに・・・」


何人かに尋ねたら、まったく同じ話がかえってきた。そしてそれがどうも一人ではないらしい。


「ねえ、もしかしたらあのチェーン店の人間がやっているんじゃないの? 」と言うお客さんもいたが、小さな店の客を取ったところで大型店にとっては大した数にもならないだろう。一応ネットで私の店の事を調べてみたが「ラーメンは好みが色々あるから」という風なことは書かれていたが、その人もうちの店を「不味い」とまでは言ってはいなかった。むしろ評判は良い方で、それを見てさらに人が来る、と言った状況だった。客足は全く減ってはいなかったが、やはり不安な要素の一つであることには間違いはない。「新規オープン」の大型の垂れ幕を見ながら、関係はないと思いつつも子供の成長とともに日々を過ごしていた。


そしてある日、一人の若い常連さんが走って店にやってきた。

「今日、あのマスクの男と話をしたんです! 「あなたはスパイなのか、あそこは十分に美味しい店だ」って言ったんです。そしたらどういったと思います? 「味の問題じゃない」 って言うんですよ、どういうことなんでしょう」

それを聞いて店にいた自分ともう一人の店員は顔を見合わせた。帽子を深くかぶった上にマスクの男にそう言われても、やっぱり怪しいとしか言いようがない。とにかく自分としては何らかの嫌がらせであろうが、これ以上その男にはかかわらないでくれと頼んだ。そのお客さんに危険が及んでは大変だからだ。


この考えが良かったのか、それからはその男たちは現れず、またラーメン店も建築上のトラブルがあったようで、開店がかなり遅れてしまった。もう息子は妻におんぶされ、外に出るようになった。



「よしよしよし」

妻はそう言いながら子供をおんぶして店を手伝ってくれていた。いつもどちらかがいる、祖母と母が二人ともひどい風邪にかかってしまい、久々のピンチヒッターだ。

息子はもっとぐずるかと思ったら、それは遺伝なのか案外機嫌よくしていた。

すると一人の、帽子を深くかぶりマスクをした男が入ってきた。私と妻はもしや思ったが、他の店員に行かせて、ラーメンも運んでもらった。どこか張り詰めたような空気になっていたが、不思議なことに息子はじっとその客を見ていた。

そしてすぐさま席を立って勘定をすませて店を出て行った。もちろんラーメンは手つかずだ。私は慌てて店を飛び出し、追いかけた。その男はすいすいと進み人気の少ない道に入っていった。私は


「待ってください! あなたは何者なのですか? 営業妨害とまでは言いませんが、どうしてうちの店を悪く言うんですか! 」人がいないのを良いことに大きな声で言った。

するとその男は立ち止まり、こちらを向いて帽子とマスクを取った。


「じいちゃん・・・」


「味だけじゃ、ダメだぞ・・・」


と祖父が言ったとたん、何か急に眩しさを感じて、

次に目を開くと

そこには誰もいなかった。


私は放心状態で店に戻ると、妻が待っていたとばかりにさっきの客の残したラーメンを見せた。それは明らかに麺の数本が食べられ、かじったチャーシューが乗っていた。

「この食べ方って・・・」妻も何度も話には聞いていた。

「そうだ、じいちゃんの食べ方だ」


 祖父と私は良く「隔世遺伝」と言われていた。ラーメンの麺にはかん水と言うものが使われているが、もともとはモンゴルのアルカリ塩の事である。祖父の当時は科学的に合成されたものしか使用できなかったが、味は天然のものの方が良いと知り、モンゴル旅行に行き、その塩で客には出せないラーメンを作り

「これをお客さんに食べてもらいたい」そう言っていたという。

私は若い頃は店を継ぐ気は正直なかった。だが働き始めてやはりラーメンが好きだと気が付き、会社を辞め修行を始めた。仕事が終わって自分なりの味を研究することが楽しくて仕方がなく、父のもとで他の人間と一緒だったが、


「息子さんだからというところは全くないんですね、凄いです」という厳しさが自分にはうれしかった。それを祖父は遠巻きに見ていて、孫の私にはあまり強くは言わなかったが、よく美味しい店にも連れて行ってくれた。

「美味しいだろう、ここの焼き肉屋は一番だ! 」と昭和の香りのするような焼き肉店だった。そこでいつも言うのは

「味が一番だ! 何よりもそうだ! 」そんな人が、矛盾なのではと思えた。


 営業時間が終わり、客がいなくなった店を見まわした。改装できれいになり、今風の格好の良いデザインだと言ってくれる人が多かった。でもあのじいちゃんにあった後に店に入った時、気が付いた。


「若い人間が多い・・・」


祖父の時代、父の時代はいろいろな世代の人がいた。でも自分が探究した味に来る人は、ネットで調べてやってくる、どうしても若い人たちになる。そうなると昔から来ていた人がどうしても入り辛いのだ。この店は三人で作り上げてきた、私はそれをどこかに置き忘れていたようだった。


「味だけじゃない・・・その通りだ、じいちゃん・・・」

ではどうしたらいいのか、しばらく考えて答えが出た。




「三周年記念、初代のラーメン復活」


数か月後、小さいが目立つ看板を立てた。すると近所のたくさんの人がやってきた。

「ああ、懐かしいね、あの味だね、美味しい」と評判になり、行列ができる日も出てきた。私のラーメンの基本のスープと途中までは一緒なので、作るのにもそう苦労はない。しかし案の定こんな言葉が聞かれ始めた。


「お父さんのものは復活させないの? 」


私のラーメンはいずれは三代目のラーメンと呼ばれるだろう。そしてもし二代目のラーメンが復活したころには、また帽子とマスクの人間が現れるかもしれないと思っている。

きっと孫が店にいるときに。


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