三年目のプロポーズ ~民法第30条第2項の女~

@oshizu0609

第1話

「智未、俺と結婚してくれないか…」


 三ツ木智未が澤村和彦からプロポーズされたのは東日本大震災からちょうど三年目の3月11日のことであった。和彦の妻、純子が津波に飲み込まれてから三年目である。


「嬉しい…、でも…」


 智未は逡巡してみせた。和彦と結婚するということは、それはすなわち、純子の死を受け入れることに他ならないからだ。軽々にプロポーズに応じるわけにはいかなかった。


「智未の気持ちは嬉しいよ。俺も純子が死んだなんて、認めたくない…」


「それは私も同じよ…」


 智未と純子は幼馴染であった。いや、和彦と智未、純子の三人は幼馴染であった。


「でも、区切りをつけないとな…」


「それはそうだけど…、でも…」


「でも、何だ?」


「私には…、純子のその…、津波にのまれたことに責任があるから…」


 本当は純子の死、と言いたいところであったが、和彦の手前、「津波にのまれた」とぼかした。


「責任なんて、純子には何の責任もないよ」


 和彦は強い調子でそう言い切った。


「そう…、かな…」


 智未は首をかしげてみせた。


「あの震災…、津波は天災だ。どうにもならなかった…、それに福島への旅行を言い出したのは純子なんだから…」


 和彦は南青山に法律事務所を構えており、ここ六本木のタワーマンションを住処としていた。純子は専業主婦であり、子供はおらず、それゆえ暇を持て余していた。そこで暇つぶしもかねて、純子は幼馴染である智未を度々、旅行に誘っては二人して旅行に出かけていた。もっとも智未は純子とは違い、未だに独身であり、気象庁に勤めていたので、純子のように毎日が暇というわけではなく、智未が時間を作っては旅行を楽しんでいた。


 そして最後の旅行となった福島への二泊三日の旅行…、これもやはり言い出したのは純子であった。


 大震災に遭遇したのは二泊目であった。二泊目はみやげ物を買うべく、途中、別行動を取っていたのだが、大震災…、津波に襲われたのは正にその時であった。


 智未は何とか近場のマンションを見つけては、急いで屋上まで駆け上がり、津波の難から逃れることができたものの、純子とはそれっきりであった。恐らくは海のもくずとなったに違いない。


 夫である和彦は妻の遭難を大いに嘆き悲しんだが、しかし智未を責めることはしなかった。智未もそんな和彦がいじましく、また和彦から責められないだけにかえって責任を感じ、毎週末には和彦の身の回りの世話をすべく、このマンションへと足繁く通った。夫は妻に先立たれると、途端に生活が乱れる…、和彦もこの例に漏れることなく、炊事洗濯など乱れきっていた。


 勿論、智未にも仕事があるので毎日は来られなかったが、それでも毎週末だけでも和彦の身の回りの世話をしたことで、和彦の生活のリズムは随分と改善された。


「なぁ、智未。結婚してくれ」


 和彦は繰り返した。


「俺…、もう智未がいないと駄目なんだ…」


 和彦は智未にすがりつくように言った。


「和彦…」


「それに…、お前と結婚すれば良かったって、ずっと思ってたんだよ…、純子には悪いが…」


 和彦は禁断の言葉を吐いた。智未はかつて、和彦をめぐって純子と取り合いを演じた。その勝負に勝ったのは純子であり、爾来、純子は弁護士の妻として悠々自適の生活を送り、それにひきかえ智未はというと、未だに独身、しがないキャリアウーマンであった。純子が暇を持て余しては智未を旅行に誘っていたのは今の自分の姿を智未に見せつけるため、もっといえば「負け組」の智未を見下したいがためであった。勿論、純子はそんな動機を口にしたことはなかったが、智未はそれを肌で感じ取った。


 それにしても、「お前と結婚すれば良かった」とは穏やかではない。


「それどういう意味?」


「いや…、純子は俺と結婚してから弁護士の妻って立場にあぐらをかいて、まったく向上心のかけらも見せない女に成り下がった…、いや、死者に鞭打つようで申し訳ないが…」


 和彦にそう思われていたとは、智未は大いに溜飲が下がった。


 それでも智未は和彦の手前、もう少し、逡巡してみせた。


「でも…、純子とは友達だった…、その友達を裏切るようで…」


「お前のそういう優しいところ、俺、そこに惚れたんだよ…」


「優しくなんかないよ…」


「いや、お前は充分に優しいよ…、それに一人の自立した女としての魅力もある…」


「和彦…」


 和彦と智未はいつしか唇を重ねていた。


(優しくなんかない…、その言葉に嘘はないのよ…)


 智未は和彦と唇を重ねながらそう思った。事実、智未は優しくはなかった。


(何しろ、純子を殺したのは他ならぬこの私なんだから…)


 津波のあった時分、智未は純子とは別行動だったと警察ではそう証言したもののこれは嘘であった。実際には智未は純子と行動を共にしていたのだ。


 津波に襲われそうになった時、智未は純子を引き連れて近場のマンションへと逃げ込み、一気に屋上まで駆け上った。津波に襲われそうになったら少しでも高台に逃げ込む…、気象庁で教わったことだ。


 屋上まで駆け上った智未と純子は息をあえがせつつ、安堵した。これで何とか助かったと…。


 だが次の瞬間、純子は信じられない行動に出た。


 純子はヨロヨロとした足取りで柵へと近付くと、下界を見下ろし、そして津波に飲み込まれる人間を指差して、「わぁ、凄いよ」と声を上げたのであった。智未は一瞬、聞き間違いかと思ったが、しかしそうではなかった。


「ねぇ、智未もこっち来て見てみなよっ、凄いってば、かわいそうに…」


 そう告げる純子の口の端は緩んでいた。かわいそうなどと少しも思っていないのは明らかであった。明らかに楽しんでいたのだ。他人の不幸を…。


 こいつは生かしておけない…、智未の中で何かが弾ける音がした。智未はよろよろと立ち上がると、ゆっくりとした足取りで純子の方へと近付いて行った。


 一方、純子は何の警戒心もなく、再び柵に身を乗り出すようにして下界を覗いては、津波に飲み込まれる人々を見て無邪気に喜んでいた。智未はそんな純子の両足をすくい、下界へと突き落としたのだ。


 勿論、純子に対する鬱屈した思いもあった。だがそれ以上に人間として許せなかった。もっとも、いかなる理由があろうとも人殺しの時点で智未も人でなしに成り下がったわけだが…。


「明日にも特別失踪宣告の申し立てをするよ」


「とくべつしっそうせんこく?」


 智未は聞き返した。


「ああ、民法第30条第2項に定められてる…」


 和彦は弁護士らしく、その条文をそらんじてみせた。


「勿論、津波も危難のうちに入る…、純子が津波に呑まれてからもう1年以上が経過してる。正確には今日で三年目だから1年以上が経過している。特別失踪宣告の申し立ての要件は満たしてる。だから明日にでも家庭裁判所で申し立ての手続をするつもりだ」


「それでどうなるの?」


「純子は死亡したとみなされる。危難が去った時点…、つまり津波が収まった時点で純子は死亡したとみなされ、そうなればお前との結婚も可能だ」


「そうなんだ…」


 智未はあえて無知を装った。勿論、特別失踪宣告の知識は持っていた。さすがに純子を突き落とした時点では知らなかったが、和彦と結婚すべく、そのためにまずは妻を亡くして悲嘆に暮れる和彦に尽くしてみせることで、和彦の心のうちに入り込もう…、智未がそう決心して、毎週末、身の回りの世話をするようになってからというもの、智未も法律の勉強をして特別失踪宣告の知識を得た。


 純子が津波に飲み込まれてから…、智未が純子を突き落としてから既に三年が経過していた。


「和彦…、幸せになろうね」


「ああ」


 智未は再び、和彦と唇を重ねた。


(純子、私、純子の分まで幸せになってあげるからね)

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