第12話・窮地

 宴も進んで酔客がふらふら廊下に出たりしているようになったところで、私は混雑に乗じて行動を開始した。


 もし見咎められても怪しまれないように、どこかへ届けにいこうとして通路を間違えたように見せる為に、お酒の瓶を抱えて表の大広間から離れてさっき小間使い仲間に聞いた居住区の方へ足を向ける。そちらに意識を向けると、確かにデュカリバーがあると感じるのだ。不思議なことだ。




 そう言えば、あの聖剣はただ王家の者と呼び合うだけでなく、いつかレイアークに国難を退ける聖王が現れた時、聖王の手の中で不思議な光で輝くのだという伝説もあるんだった。伝説だからほんとかどうかわからないけれど、もしもほんとなら、ジークが聖王であればいいのに、なんて思った。まあ、以前に宝物庫で見せて貰った時に私もジークも触ったけど、特に何も起きやしなかったんだけれど。


 私よりもジークの方がずっと、色々な意味で王さまの資格があるんだし、この件が何もかも上手く行ったら、王太子の地位はジークに譲って、私は女に戻れるかも……。もしそうなったら、私は誰と結婚するのかな……。


 敵地のど真ん中で一人きりだというのに、私は階段を上がりながらそんな花畑な妄想を脳内で繰り広げていた。まあ、明るい事を考えていないと怖くなってしまいそうだ、という意識が働いて敢えてそうしていたんだけれど。もちろん、妄想にかまけて周囲への警戒を怠ったりはしない。誰かの足音が聞こえるとすぐに別の通路に飛び込んだ。そういう事を繰り返していくと、デュカリバーの気配は強くなってきたけれど、ちゃんと元の場所に戻れるのか、少し不安になってきた。


 それでも前に進むしかない。内緒の凄い冒険をしている事で私の神経はおかしくなっていた。デュカリバーを持って帰ったらみんな驚くだろうな、喜ぶだろうな、みたいなことばかり想像していた。良い事ばかり考えていたのは、もしも失敗したら、勝手な事をしたせいでどうなってしまうのかと考えたくなかったのかも知れない。それに、王子さまから束の間小間使いの姿に戻ったのも、私の感覚をおかしくしていたと思う。




 それでも、奇跡のように私は誰にも見つからずに館の奥まで来られた。




(あそこ……あそこに違いない)




 見張りらしい兵士が部屋の入口に立っている。美しい装飾が施された頑丈そうな立派な扉。その奥から、以前触らせてもらった宝剣の気配が強くする。剣の気配を感じるなんておかしなことだけれど、それが王の子なのだと父が言っていたっけ。


 でもやっぱり見張りがいる。今のままでは流石にこれ以上は近づけない。いかめしい見張りの男の顔を物陰から見ていると、エイラインに成りすますという自分の考えが荒唐無稽にも思えてきた。でも、私がデュカリバーを取り戻すんだ……なんとかなる、デュカリバーだって私を待っている。勝負はあしただ。明日は枢機卿とジークも宴会に出るかも知れないから、その間にもっと要領よく近づいて、髪の染粉を落として……服はどうしよう? 一旦外に出てジュードに頼もうか。




 そんな事を考えながら元来た道を引き返そうとして……やっぱり道に迷ってしまったよう。まずい、早く戻らなきゃ、と思った時。




「おい、おまえ、そんなところで何してる?」




 もう、びっくりどっきりして飛び上がりそうになる。だ、大丈夫、ちゃんとお酒の壺を持っているもの。新入りでよくわからなかったと言えば。




「ったく、どこで油売ってた。探したぞ」




 えっ。私を探していた? 見ると、声をかけてきたのは、厨房に色々指示を出しに来ていた中年の男だった。




「ああ、ちゃんと酒を持ってきたのか。じゃあ今から行くぞ」




 はい?




「あの……どこへ?」


「なんだ、聞いてないのか? 新入りの若い小間使いは皆、枢機卿閣下に酌をしに行く事になっている。早くしろ」




 えええーーーっ!! 枢機卿のところへ? 冗談じゃない。




「あの、そんな、私、枢機卿さまなんて偉い方のお傍になんてとても行けません! なんの作法もわからないし、きっと粗相してしまいます。お許しください!」


「作法なんて気にしなくていい。ただ頭を下げて酌をしていればいいんだ。お気に召さなければ帰っていいと言われるだけだ。お気に召せば、言われる通りにすればいい。おまえは久しぶりに若くて綺麗だから、きっとお気に召すだろう」


「お気に召す??」




 男は動転している私をじろじろ見て、




「おまえは生娘なのか? ふーん……新入りが来たとか報告しないで俺が貰えばよかったかな。まあでも仕方ないな、さあ来い」




 なんて言う。き、生娘?! なんてこと、これが聖職者の館なの? まるで娼館じゃないの! 若い女の子の下働きにいちいちお酌をさせるだなんて、枢機卿と呼ばれる人として正しい事とは思えないのだけど!


 けれど、今は道徳がどうのと考えている場合じゃない。敵対してから数年も枢機卿とリオンは会ってないと聞くけれど、実の叔父と甥。いくら髪を染めていたって、傍に行ったら枢機卿は私に気が付くだろう。おまけに、リオンと同じ顔の私はいま、胸や腰のラインが分かる女の服を着ている。女性が男装していて性別を断じる事は触れない限りは難しくても、女性のラインを出していれば男性でないとわかってしまう。リオンにそっくりの娘の存在を知られたら、計画も今後も何もかも終わりだ! どうしよう!


 枢機卿の館に潜入する事を考え始めてから今まで、小間使いが直に枢機卿に会う事になる可能性なんて考えてなかった。トゥルースでのリエラが王さまに会うなんてない、と思っていたようなものだ。でも、実際は、リエラは王さまの愛妾にされかけた。今、同じような事が……でも、今度は愛妾になるだけでは済まない。


 私は反射的に身を翻して逃げ出そうとしたけれど、がしっと男に腕を掴まれる。




「なにやってる、さっさと来い! 早く連れて行かないと俺が叱られるだろうが!」


「い、いやっ!」




 振りほどこうともがいたけれど、男は意にも介さず私を引きずっていく。剣でもあれば普段鍛えているので何とかなったかも知れないけれど、今の私は王子ではなく小間使い。動転したところを捕まえられてしまって素手で立ち向かえはしない。




(どうしよう! どうしよう! こんな事になるなんて! せっかくデュカリバーも見つけたのに!)




 とにかく、絶対に枢機卿とここで顔を合わせる訳にはいかない。この場を切り抜けさえすれば、私がやった事はきっと活かせる筈なのに!


 でも。切り抜けられそうにない。男は私の腕を掴んだまま別の部屋の前まで来て、その部屋の扉の前に立つ見張りに声をかける。




「新入りが飲み物をお持ちしました」


「ああ。だが枢機卿閣下はいま、宴の客人がたをお見送りする為に広間の方へ行かれた。中にはお客がお一人待たれているだけだ。まあすぐお戻りになると思うが」


「では取りあえずお客さまをおもてなしさせましょうか」




 私を連れて来た男はさっさと役目を終わらせて引き上げたいという様子で、見張りが頷いて扉を叩いて開けると、ぐいっと私を押し込んだ。




「お辞儀してお酌して待ってろ。べつに気の利いたことなんか言わんでいい。お気に召せばご褒美を頂けるかも知れんから言われる通りにするんだぞ」


「あのっ、私っ」




 ばたんと扉が閉められた。


 私的な客間らしく、そう広くはないけれど値打ちのありそうな調度品が並べられた立派な部屋だ。けれど勿論部屋を鑑賞する余裕なんてありはしない。枢機卿は席を外しているらしいけれど、すぐに戻ってくる……。




 向こうを向いてソファに座っていた男性が気配で振り返る。銀色の頭が動く。


 その瞳が、激しい驚きに見開かれた。




「なぜここに!」


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ジーク!!」




 かつてない窮地でジークの顔を見て私は泣きそうになる。


 音も立てずにジークは素早く私に歩み寄り、腕を掴んだ。




「この格好はいったい。囚われた訳ではなさそうだ」


「わ、わたし、デュカリバーを取り返そうと思って。小間使いとしてならばれないかと。で、でも、枢機卿に会えって連れてこられて」


「ばかっっ!!!」




 声を押し殺してはいたけれど堪えきれない怒りが伝わってくる。普段の穏やかな様子からは想像もつかないような強い感情で、掴まれた手首が痛い。




「自分の立場をわかっていないのか! 子どもの遊びじゃないんだぞ! ひとりで潜入なんて愚かしいにも程がある!」




 続けざまに罵倒されて、びっくりしながらも私もむかっとした。




「だ、だって! 言ったでしょ、私は護られてるだけじゃ駄目だって思うって! 小間使いならジークより目立たずにデュカリバーに近付けるもの! 私しか出来ない。現に、もう在り処がわかったし!」


「だからなんなんだ! デュカリバーと自分と、どっちが大事だと思っているんだ!」


「どっちも大事にするつもりだし! ちょっと、その、計算外の事が起こってしまっただけで」




 どんな時も、いくら、もっと砕けてと頼んでも、敬語を崩すことはなかったのにジークは怒りに我を忘れてしまったようだった。でも、私だって考えなしにやった訳じゃないのに。ちゃんと計画通りにデュカリバーを見つけた。枢機卿に会えなんて言われさえしなければ、自分でデュカリバーを取り戻すのが無理だとしても、在り処をジークに伝える事だって出来た。




「ジークが危険な事をするんだったら私だって! 立場って何よ。私もジークも同じでしょ。私がどうかなったらジークがお父さまの跡を継げばいいじゃない! 私は私に出来る事をやろうと」


「きみはばかだ、リエラ!」


「なによ、ばかはそっちだって同じでしょ! 自分を犠牲にしようとか」




 口論してる場合じゃないんだけど、二人とも頭に血が上ってしまっていた。私はともかく、ジークがこんなに冷静さを失うなんて考えられないことだった。だけど、どうにかして言い聞かせようとするような響きを含んだジークの次の言葉に、私の頭は冷えた。




「ここがきみにとってどんなに危険な場所だかわからないのか! あの男は、一度リオンを殺したんだぞ。二度目の機会があれば何も躊躇う理由はない。あの男に見つかれば、きみは死ぬ。リオンもリエラも、消え去る」


「!! わ、わたし……」




 そうだった。頭ではわかっていたつもりで、私は肝心な事をきちんと頭に置いていなかった。私が女とばれたら、なんて問題じゃない。私が私である事がばれれば、リオンであろうとリエラであろうと私は即座に殺される……。




「やっとわかったのか」




 顔色をなくした私に、ジークもようやくふうっと息をついて手の力を緩めてくれた。




「感情的になって済まない……だが幸い、枢機卿より先にわたしが見つけた。わたしが命に代えても護るから」




 その時、廊下に響く足音が、ゆっくりと近付いて来た。

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