第2話・踊らない理由

「リオンさま、今度の舞踏会こそ、わたくしと『春風のワルツ』を踊って下さいませ!」


「あら、わたくしが先よ。お怪我をなさる前にわたくしと約束なさいましたもの」


「そんなのもうだいぶ前のことでしょう! あの頃は誰とでもワルツを踊ってらしたもの。そんな約束無効だわ」




 『なんだか最近のリオンさまは近づきにくい』と評されて多くの令嬢がジークに流れたものの、アークリオン王太子と親密になる事を全ての令嬢が諦めた訳では勿論ない。リオン派の令嬢たちの中でも、リオンが生前最も親しくしていたこのふたり……アーシア・コルノー公爵令嬢と、パトリシア・スコット公爵令嬢はその筆頭であり、いくら素っ気なくしてもあまり遠慮がない。ふたりはリオンの幼馴染であり、有力な婚約者候補であったので、昔から、どちらがリオンを射止めるか競い合っていたらしい。最終的には親が決める婚約とはいえ、どちらの家も将来の王妃を輩出するに相応しい家柄であるので、両親の国王夫妻はリオンの意志を考慮に入れるだろうとふたりはちゃんと計算してもいたのだ。


 金髪で優し気なアーシアと、赤毛で勝気なパトリシア。リオンの記憶に触れると、どちらの事も幼馴染として信頼出来る女性と思っていたのが伝わってくる。二人は仲が悪い訳ではなく、互いをライバルとして認め合い、抜け駆けはしない約束をしているということも。二人はタイプは違うけれど、誠実な女性らしい。なので、拒絶するのは申し訳なくも思う。だけど、身体が近づくワルツは今はお断りしない訳にはいかない。




 それはそうと、以前に、『枢機卿が貴族たちに、銀髪税を払えば王族と同じ銀髪に染める事を許可したせいで、銀髪の貴族が溢れて王家の銀髪の権威が貶められた』と聞いていたけれど、そういう事をするのはあくまで枢機卿派の貴族と、どちらでも構わないという下級貴族のみらしい。なので、国内のあちこちでは銀髪に染めた下級貴族の姿が見られるのだけれども、両親の王宮では、銀髪の者は両親と私、ジーク以外に見かけない。勿論、私たちや枢機卿一派以外にも王族はいるのだけれど、いつ王家と枢機卿の間に争いが起こってもおかしくない、きな臭い現状、火の粉が我が身に振りかからぬよう、王都から離れた領地で息を潜めているらしい。


 そういう状況なので、王宮に出仕しているのは、国王への忠誠篤い者か、枢機卿の間者か、どちらかという事になる。両親は、コルノー侯爵もスコット公爵も疑ってはいないけれども、やはり身内とごく限られた者以外に、リオン王太子の秘密を知られるのは、絶対避けなければならない事なのだ。




「ごめん、アーシア、パトリシア。どちらが先かなんて決められないよ。だからまだ当分……」




 当分。しかし、いつまでも誤魔化して躱せるものでもない。ダンスが得意だった王太子が、簡単なものですらこなせない程の怪我をしてずっと完治しないとするのにも問題がある。なので両親やジークと話し合い、私がダンスの技量を磨いて、服の下の詰め物に気付かせないくらい上手く女性をリード出来るようになるしかない、という結論に達している。でも、まだそこまでの自信はなく、何とか引き延ばして時間を稼がなくてはならない。




 だけれど、ふたりは可愛らしく口を尖らせて、




「んもう、いっつもそればっかり。もう乗馬も全く問題ないのに、どうして誰ともちゃんと踊って下さらないの」


「こんなに間が空いた事がないから……万が一きみたちを転ばせでもしたら大変だからね」


「では、いつになったら踊って下さいますの?!」


「えーと……」




 普段はおっとりしているアーシアが、珍しく、言い訳無用とばかりに迫ってくる。困ったな、と思った時、パトリシアが口を開いた。




「リオンさま。いま、ここでお約束下さいな。どちらが先かはその時でも構いませんから。でなければ、わたくしたち、噂を信じてしまいそうです」


「噂?」




 なんだろう。どきっとして、それが顔に出てしまったかも知れない。ふたりは益々不審そうになる。




「やっぱり、ほんとうなのかしら、アーシア」


「まさかそんな……でも、あり得なくはないわ」


「噂、ってなに? 僕には何も……」




 でも私の声は上ずっていたかも知れない。なんだか、リオンになって以来一番焦っている状況な気もする。ああ、こんな時にジークかエリスがいてくれればいいのに……。でも二人は今、それぞれ騎士団の仕事をしていてここにはいない。




「噂をご存知ありませんの、リオンさま? では、申し上げますわ。皆、リオンさまがダンスを再開なさらないのは、ダンスに誘えない女性を想われているからでは、と専ら囁き合っておりますわ」


「え?!」




 私が女性を?? 一体なんでそんな発想が出て来るのか。リオンになって以来、どの令嬢とも礼儀正しく距離を置いて接しているというのに。




「なんだってそんな馬鹿げた事を。アーシア、パトリシア、きみたちはそれを信じているの」


「だから、いつまでもリオンさまがそのように逃げていらっしゃったら、信じてしまいそう、と申し上げているのです。もしも違うのなら、態度で示して頂きたいのですわ。最近のリオンさまは何だかおかしいですわ。以前みたいに自信に溢れてらしたご様子がお見受け出来ず……」


「ちょっと、パトリシア! それはリオンさまに対して失礼でしょう!」


「……。そ、そうね。申し訳ありません、リオンさま。言葉が過ぎました。はっきりして頂きたいという焦りがあって」




 アーシアに咎められて、パトリシアも言い過ぎたと思ったらしく、慌てて謝罪して来る。


 別にいいよと流したけれど、私は内心傷ついた。小間使いとして生きてきた私が、今は精一杯、国の為両親の為に王太子に成り切ろうとしているところに、生まれながらに王太子だった兄のように堂々として見えない、ときっぱり言われたのだから。パトリシアはまさか王太子がすり替わっているなんて夢にも思わないから、何の悪気もなく幼馴染の気安さもあって、叱咤激励する気持ちで言ったのかも知れない。でも……私は彼女たちを騙している。一途にリオンを慕っている、王妃の座が欲しいからというだけではなく、リオンに忠誠心を持って接してくる彼女たちを。


 けれど、落ち込んでいる場合じゃない。噂とやらをはっきりさせなければ。




「で、僕が想っている女性とはいったい誰なんだ? そんな気になる女性がいるなら、僕は別に遠慮せずにダンスを申し込むけれど?」




 私の問いに、二人は、あなたが言いなさいよ、と押し付け合うような視線を交わし合ったけれど、結局言い出したパトリシアが思い切ったように、




「女騎士のエリス殿ですわ。リオンさまがお怪我をなさって以来、一日もお傍に置かれていない日はないのですもの。以前ならばジークさまだった事が、今はエリス殿。なので、皆はこう思っているのですわ。リオンさまがエリス殿に……そのう、目を止められたので、ジークさまは遠慮されて、リオンさまの為に令嬢たちの相手をなさっているのだと」


「そう、そうですわ。それでリオンさまとジークさまの間も、以前に比べてなんだかぎこちないと」




 とアーシアも勢いがついて口を添える。


 私は驚きで咄嗟に言葉が出なかった。確かに、幾ら王子でも女騎士であるエリスに公の場でダンスを申し込む事は出来ない。そして、秘密を知っていて信頼出来る一番の女性の部下として、私は彼女に頼り切っている。意識していた訳ではないけれど、今まではリオンが、兄弟のような間柄のジークと一緒にしていたような色々な日常の事を、私は、男女で一緒にするには不都合な部分はエリスとしているのかも知れない。


 ジークはリオンに対していたのと同じように私に接してくれている筈だけれど、女の目は誤魔化せないらしい。両親も大丈夫今まで通りに見えると言ってくれているのに、なんか、女騎士への恋の為に仲違いしているみたいな言われようだ。そんな馬鹿な……私にもジークにもそんな気持ちの余裕がある訳もないし、女性への片恋なんかで崩れるようなジークとリオンの絆ではないというのに!




「どうなのです、リオンさま?!」




 とにかく、どうにかしてこの場を収めなければならない。別にエリスにそんな気持ちはないよと言うのは簡単だけれど、じゃあなんなんだと言われた時になんて言うのか考えなくっては、いい加減に取り繕える雰囲気ではない。




 しかも、廊下の向こうから、




「リオンさま! こちらでしたか!」




 と呼びかけながら近づいて来たのはジークとエリス。うわぁ……。




「ジークさま。丁度良かったわ。この際、お二人からお聞きしたいわ」




 パトリシアがアーシアに囁いているのが聞こえて、私は頭を抱えたくなった。

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